第五十六話 ルーンメーカー

 テレジアを連れ、屋敷に勤めるメイドさんたちの控え室までやってきた。鍛冶屋について、知っていたら教えてもらえればと思ったのだが――。


「……あれ?」


 ドアをノックしてみるが、返事がない。部屋の外にある壁には、出勤しているメイドが誰かを示すボードがあるのだが、ミレイさんは『在室中』となっている。


「…………」

「入ってみるかって? いや、そこは慎重にだな……うわっ」


 テレジアは同じ女性だからということなのか、もう一回ノックして返事がないと分かると、大胆にもドアを開けて部屋の中に入っていった。


「きゃっ……す、すみません、ついびっくりしてしまって。その蜥蜴のマスクは、テレジア様ですね」

「…………」

「重ねてすみません、シャワーを浴びていたもので……すぐに着替えて参りますので、少しお待ち下さいね」


 メイドさんも身体を動かす仕事が多いので汗をかくし、昼間からシャワーを浴びるというのはありうる話なのだが、もし俺が入室していたら大変なことになっていたところだ。


「…………」


 テレジアがこちらにやってきて、入っていいというようにドアを開けてくれる。まあ、ミレイさんは返事ができなかっただけで部屋には居てくれたわけだし、結果オーライと言ったところか。


 ◆◇◆


 テレジアと一緒に待っていると、ミレイさんが着替えて出てきた。肩くらいまで届く長さのライトブラウンの髪は急いで乾かしたのか少し湿っており、ヘッドドレスも着けずに手で持っている。


「大変失礼いたしました、私、一日に何度かシャワーを浴びるもので……」

「ああいや、こちらこそいきなり訪ねてきてすみません。ミレイさんに、聞きたいことがありまして」

「はい、私でお答えできることでしたら。分からないことでも、同僚に聞いてみることもできますし」


 猫脚の洒落たテーブルを囲んで三人で座る。メイドの控え室でも、屋敷の他の家具と比べてグレードが下がるということはなかった。


「ミレイさんは腕のいい鍛冶屋さんを知ってますか? できたら、今から訪問したいと思ってるんですが」

「鍛冶屋さんでしたら、包丁などを直してもらっている行き付けがございます。よろしければ、ライセンスの地図をお見せいただけますか?」

「はい、お願いします」


 俺がライセンスを出して八番区の地図を表示すると、ミレイさんは俺の横にやってきて、

横から覗き込むようにしてライセンス上のある一点を指さした。


「中央広場から西の通りに抜けていきまして、このあたりの『区境くざかい』ぎわに工房があります」

「区境……この壁のことですか」

「はい、迷宮国全体はほぼ円形の城壁に囲まれていて、区ごとに『区境』という壁で分けられています。時計回りに一番、二番と分けられているので、東の方角には一番区への壁があります。こちらは、西の区境より厚く、警備も厳重なのですが」

「技能で壁を超えたりっていうことができたとしても、資格がなければすぐに排除されるっていうことですかね」

「そうだと思います。まず、転移魔法の類では、正規の手続きを経なければ壁を超えることは不可能と言われています。区境は上空で途切れていますが、乗り越えようとすると元の場所に戻されます」


 箱開け専用の部屋に飛ぶ仕組みもそうだが、迷宮国はさまざまな場面で『転移』を利用している。転移がなければ、今の形が成り立たないと言ってもいい。


 一番区から八番区まで壁で区切っても、天井で蓋をされていなければ技能次第で壁を超えて他の区に移動できてしまう。空を飛ぶ技能でなくても、垂直の壁を登ることなどは、魔法の力を利用すれば可能なのではないだろうか――だが、その方法では壁を超えることはできないというのは今のミレイさんの話で分かった。おそらく地面を掘っても無理だろう。


 しかし、何事にも『穴』はあるものだ。俺のような例外があるのだから、他にない職に就き、未知の技能で制度の裏をかいているような人物もいるかもしれない。上の区に行き、難度が高く見返りの大きい迷宮を、技能の強さで低レベルで攻略する――個人的には着実にレベルを上げて進むべきだと思うが、序列を最速で駆け上がろうとすれば、安全にやっていたらライバルを出し抜けなくなっていくだろう。


(強い職で、レベルも高くて……そんな探索者がごろごろしてる場所か。そんな人たちが下の区に降りてくることがほとんどないのは、上の区での競争が熾烈だからか)


 八番区にエリーティアが降りてきたのがすごく珍しいこととして騒がれていたので、上の区に一度行った探索者にとっては、下の区に戻ることはメリットがほとんどないのだろう。実際、エリーティアは俺のパーティに入って大きな戦果を挙げているが、レベルはまだ1しか上がっていない。


「アトベ様、よろしければ工房までご案内いたしましょうか?」

「あ、ああいや……大丈夫です、道も教えてもらいましたし。この工房の名前を聞かせてもらってもいいですか?」

「ミストラル工房という名前です。工房主の方が常に全身鎧を身につけているので、『鎧の工房』とも呼ばれております。最初は驚くと思いますが、とても気の優しい方なので、怖がらないであげてください」


 ライカートン氏とメリッサもそうだったが、職人はちょっと変わった人が多いのだろうか。いや、常に鎧を着ているからといって変人と決めつけてはいけない。


 ミレイさんに挨拶をして屋敷を出る。テレジアはしばらく俺の後ろからひたひたとついてきていたが、途中で気がついたのか、追いついてきて横に並んだ。


「…………」

「町はまだ修復中だから、足元に気をつけてな。頭上も注意した方がよさそうだ」


 魔物の攻撃を受けて破損した箇所を、建設関係の技能を持っているらしい人々が修繕している。この分なら、数日もかからず町は元の姿に戻りそうだ。


 ◆◇◆


 地図に示された場所に辿り着くと、『ミストラル工房』という看板が出ている石造りの建物があった。町の建物はあまり距離を置かずに建てられているのだが、火を使う工房ということもあってか、両脇が水路に挟まれている。


 入り口のベルを鳴らすと、ガシャン、ガシャンという重々しい金属靴の足音が聞こえてきた。


 そしてドアを開けると――俺より少し大きいくらいの体格の、全身鎧姿の人物が姿を見せた。


『おや、ご予約の方ではないようだね。我輩は当工房の鍛冶師シュタイナー。今日はどのような用事で来られたのかな?』


 鎧の中から声が聞こえるのではなく、直接頭に反響するように聞こえてくる――その重量感のある鎧姿から想像できるような低い声ではなく、中性的なハスキーボイスという感じだ。


『ああ、我輩の姿を見て驚いているのだね。これについては気にしないでほしい、炉の熱量を防ぎ、光で目を傷めないように、魔石で加工した装備をする必要があるのだよ』


「なるほど……」


 タタラ場という古来の製鉄所では、鉄を加熱する炉の光を見続けなくてはならないため、老年になると片目が使えなくなることも多くあったという。


 それで全身鎧ということなら頷けなくはない。熱を遮断する効果がついていれば、見た目よりは蒸れたりもしないだろうし。


「…………」

「ん……テレジア、どうした?」


 テレジアが、シュタイナーさんの後ろ――室内に向けて警戒している。どうやら、中に誰かいるらしい。


『お連れ様はリザードマン……お客様は、亜人に対する差別意識を持っていない。そう受け取ってもいいのかい?』

「ええ、テレジアは俺の大切な仲間です」


 迷いなく答えると、テレジアがこちらを見る。彼女は胸に手を当て、きゅっと握った――俺の気持ちに嘘がないと伝わっていればいいのだが。


『それは素晴らしい考えですね。亜人に対しても分け隔てなく接する、そんな人が少しでも増えるようにというのは、私自身の願いでもあります。お客様、名前をお伺いしても?』

「ああ……すみません、申し遅れました。俺はアリヒト=アトベと言います」

『アトベ様だね、ありがとうございます。改めまして、ミストラル魔法鍛冶工房にようこそ。では、こちらにどうぞ』


 シュタイナーさんがドアを大きく開け、俺たちを招き入れる。まず入ったところにあるのは、客が作業待ちをしたりするために使うらしい居間だった。


 奥の鍛冶場に案内される途中で、シュタイナーさんが不意に聞いてくる。


『ところで、今日はどんなご用向きで来られたのかな?』

「魔石と鉱石を使って、武器を強化できないかと思いまして。ルーンスロットに、ルーンを嵌める加工も……」

「なんとっ……ルーンとな!」


 誰もいないように見えた鍛冶場から、一人の少女が姿を見せる。


 魔法使いのようなローブを身に着け、フードを被っている少女――何か、普通の人間とは違うものを感じる。亜麻色の髪に、森のように深い緑の瞳をしているのだ。


「あっ……し、しまった、つい出てきてしまったではないか。シュタイナーを使って接客をさせるつもりであったのに」

「は、初めまして……シュタイナーさん、この子は?」

「『子』ではない、わしはこう見えてもお姉さんなのじゃぞ。お主は人間以外の種族でも気にせぬようじゃから、まあ正体を明かしても良かろう。わしこそがミストラル魔法鍛冶工房の工房主、セレス=ミストラルじゃ!」


 ばっ、とフードを脱ぐ少女――その耳は尖っており、エルフ耳というやつだった。


「その耳……そうか、セレスさんはこの世界に元からいた種族なんですね」

「うむうむ、その通りじゃ。転生者たちはエルフと呼ぶが、この瞳の色から『翡翠の民ジェイド』と呼ばれておる」

「ジェイド……なるほど」

「わしらは転生者が選べぬ職に就くことができる。わしの場合、『ルーンメーカー』というものじゃな。それで、その甲冑はルーンを使って動かしておる。ゴーレム使いも『命なきもの』を動かすことができるが、それと違うのは、シュタイナーには自我があるということじゃ」

『私はこう見えて力が強いから、鍛冶の仕事を任せていただいているんだよ。ご主人様はルーンの加工を担当しているわけだね』


 正体を明かされても、シュタイナーはあっけらかんとしている。アイアンゴーレムではなく、リビングアーマーということなら、実は中身が入ってないということか。  


「ああ、ひとこと断っておくが、シュタイナーの鎧には中身が入っておるぞ。何も入っていないと思っていたずらをせぬようにな」

『っ……い、いやだな親方さま、中になんて何もいないよ。私はただの動く鎧ですよ?』


 そう言われると中身が気になるが、一体何が入っているのだろうか。ルーンによって自我を与えられた人形ということか――と、本人が隠したがっているようなので、詮索しすぎるのもよくない。

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