第四十八話 スタンピード

 皆が起きてきたあと、ベルを鳴らしてミレイさんを呼び、モーニングサービスを部屋に持ってきてもらった。『スイートバード』と呼ばれる鳥系の魔物の卵料理がメインで、同じ魔物の燻製肉が乗っている。どちらもかなり美味しく、俺たち全員の口に合った。


 『子鬼草ゴブリンブッシュ』という植物系の魔物の茎を使ったというサラダは、クレソンのような味と食感で、甘酸っぱい果物のドレッシングと合っていて悪くはなかった。根の部分が子鬼の顔のようになっているが、それを度外視するとカブのような食感で美味いらしい――今回は出てこなかったが。


 朝食を終えたあと、外に出る支度を終える。玄関ではミレイさんを含め、メイドさんたちが全員並んで見送ってくれる――まるで館の主人にでもなったような気分だ。


「じゃあ、行ってきます」

「目安でかまわないので、お帰りの時間をお聞かせいただけますか?」

「えーと、夕方六時くらいには戻れるかと」

「かしこまりました。そちらの時間に合わせて夕食など準備いたします。それでは、行ってらっしゃいませ」

「「「「行ってらっしゃいませ!」」」」


 総勢十名にもなるメイドさんたちが見事に唱和するので、みんな圧倒されていた。俺はというと、メイド喫茶に一度社会勉強に行った時のことを思い出した――こちらの世界のメイドさんの方が、本職という雰囲気は出ていたが。


 ◆◇◆


 ルーンと鉱石を鍛冶屋に持ち込む前に、俺たちはまずギルドに立ち寄った。


 すると、掲示板に赤い文字で標題を記された紙が張り出されており、探索者たちがその前に集まってざわついている。


「スタンピードって、放っておいたら外にも魔物が出てくるんじゃないのか?」

「場所が悪いな……午睡の湿地か。みんな敬遠しすぎて放置しちまってたんだな」


 俺は人だかりの合間を縫って、掲示されている内容を確認する。


 ――『午睡の湿地』で魔物の討伐数が極端に落ちており、スタンピード警戒域に入りました。探索者の中でレベル3以上の方は、魔物の討伐にご協力ください。報酬、貢献度については通常より3割増しとさせていただきます。責任者:ルイーザ=ファルメル

 

(ルイーザさん……何か大変なことになってるみたいだな)


 彼女から出された掲示となれば、出来る限り俺も力になりたい。試験は明日なので、今日は『午睡の湿地』に向かっても問題はない。


「アリヒト、どうするの?」


 エリーティアが指示を仰いでくる。他の皆もスタンピードについてよく分かっていないようなので、まずそれを確かめることからだろう。


「エリーティア、スタンピードって具体的に何が起こるんだ?」

「迷宮の中の魔物たちは生物として繁殖することもあるけど、それ以外にも迷宮自身が迷宮内の環境を恒常的に保つために、『発生』させることもあるの。でも、逆に魔物が多くなりすぎると、そのとき迷宮は、一階層の入り口から魔物を外部に強制的に排出してしまう。その魔物が異常に増えている状態を『スタンピード』と呼ぶの」


 迷宮の入り口はただの階段のように見えるが、降りる途中で転移しているのだというのは分かっていた。しかし、中から魔物が出てくることもあるとは。


「それだけ聞くと、迷宮ってまるで生きているみたいね……自分の意志で考えて」


 五十嵐さんの言葉に、俺はアリアドネのことを思い出す。百十七番目の秘神――つまり、

秘神は百体以上存在する。


(……それまでの階層と全く異なる環境の、迷宮の隠し階層。そこに眠る秘神は、迷宮と密接に関係があると考えるのが自然だ。つまり迷宮の意志の代行者……いや、アリアドネはそんな素振りは見せてなかったな)


 しかし、もし全ての迷宮に秘神がいる隠し階層があるとしたら――アリアドネ以外の秘神を見つけることで、迷宮が一体何のために存在しているのか、それについての手がかりが掴めるかもしれない。


「アトベ様、おはようございます。お騒がせして申し訳ありません」

「おはようございます、ルイーザさん。何か、大変なことになってますね。俺たちにも、スタンピードを鎮圧するために手伝いをさせてもらえませんか?」


 ルイーザさんは目を見開く。彼女を驚かせることが多くなってしまっているが、俺としては当然の申し出のつもりだった。


「……アトベ様はこの八番区を駆け抜けようとしていらっしゃるのに、迷いなくそのようなことをおっしゃられる。それがどれくらい嬉しくて、有り難いことか……」


 涙をハンカチで拭くルイーザさん。それほど厳しい状態にあったということだ――スタンピードが起きてしまったときのギルドの職員の義務と重圧は、相当なものがあるのだろう。


 厄介な状態異常を仕掛けてくる敵がいるという迷宮に、探索者を送り込むわけにもいかず、安全で攻略しやすい迷宮ばかりが探索されるのはある程度仕方がないことではある。ある程度強くなっても、見晴らしが良く戦いやすい曙の野原を離れられない人も多いだろう――俺も仲間を見つけられずにいたら、そうするしかなかった。


「では、現在把握している状況をお伝えしますので、こちらの部屋に……」


 ルイーザさんが俺たちを、ギルドのミーティング部屋に案内しようとする――その時だった。


「――魔物だ、魔物が町に出てきたっ! 守備兵を呼んでくれっ!」

「数が多い、外に出てる探索者は無理せず建物の中に入れっ……うぁぁっ!」


 ギルドの入り口の外に、人間ではないものが飛んでいる――それは人を攻撃し、空中から為す術もなく襲われた探索者は負傷して、ギルドの中に逃げ込んで倒れ込む。ルイーザさんは彼に駆け寄り、その状態を見ながら気丈に声を張った。


「すぐに治癒師ヒーラーの手配を! 皆さん落ち着いてください、すぐに守備兵が駆けつけます!」

「ルイーザ先輩、無理ですっ! 守備兵の方々は『午睡の湿地』の入り口を警備していて、こちらに来るまで時間がかかります!」

「そんな……で、では、どうすれば……っ」


 動揺するルイーザさんを落ち着かせるため、俺は少し躊躇したが、彼女の肩に手を置いた。


「っ……ア、アトベ様……っ、申し訳ありません、ギルド職員の私が取り乱してはいけないのに……」

「俺たちも戦えます。空飛ぶ魔物も経験してますし、任せておいてください……みんな、準備はいいか?」


 後ろを振り向くと、すでに全員が武器を構えていた。外の状況がどうなってるか分からないが、この騒ぎだと敵の数は十や二十ではきかなさそうだ。


「スズナ、急で悪いが『盛り塩』の技能を取ってくれ。ルイーザさん、塩はありますか? それがあれば、敵がギルドを狙うことは防げます」


 レベルが1から2で、装備も整っていない探索者もここには多くいる。ならばギルドの建物は安全地帯として、後顧の憂いなく戦いたい。


「塩……分かりました、すぐお持ちします。アトベ様、どうかこの町を……」

「絶対に守ってみせますよ」


 八番区で出会った人々には本当に世話になった。俺が探索者として生きていけるのは、傭兵チケットをくれたルイーザさんを初めとして、皆が親身になってくれたからだ。


「アリヒトさん、塩の準備ができました!」

「よし! エリーティア、まず近くにいる敵を落としてくれ! その後、俺たちも一気に外に出る!」

「了解! テレジアさんと私がエリーさんに続くから、ミサキちゃんは気をつけて後ろから来なさい!」

「は、はいっ……できるだけ慎重についていきます!」


 先陣を切ってエリーティアが飛び出していく――開いたドアから侵入しようとしていた魔物は、全身が触手のようなもので覆われた奇妙な魔物だった。


(まず、支援攻撃2を取っても1が使えるかどうかだ……念じてみるか。『支援攻撃1』を発動……!)


「――はぁぁぁっ!」

「キシャアァァァッ!」


 エリーティアが走りながら居合抜きの要領で放つ斬撃『スラッシュリッパー』を繰り出す。飛んできた触手の塊は、あろうことか、触手で隠れて見えなかった巨大な口をがぱぁ、と開き、粘着質の唾液を撒き散らしながら食らいつこうとする――しかし。


 ◆現在の状況◆


 ・エリーティアの『スラッシュリッパー』が発動 →『フライングドゥーム』に命中 支援ダメージ11

 ・『フライングドゥーム』を一体討伐


 すでに敵は一刀両断にされていた。二つに分かれた魔物――フライングドゥームが、食らいつこうとした勢いのままで建物の中に飛び込んできて、若い冒険者が『ヒィッ』と悲鳴を上げる。床に落ちた魔物を見ると分断された上顎と下顎にびっしりと鋭い牙が並び、緑色の血にまみれている――こんな魔物がいるんじゃ、誰も午睡の湿地に行きたがらないわけだ。


 しかし今エリーティアを支援したことで、念じるだけで『支援攻撃1』に変更できることが分かった。次は『支援攻撃2』を試してみたいが、今は検証よりも掃討を優先すべきだ。


「いい、ここにいる人たちは外に出ないで! 腕の立つ探索者に任せれば、被害は最小限で済むから!」


 レベル9のエリーティアが呼びかけると説得力がある。レベル3までしかいない探索者たちは皆が指示に従ってくれた。


 外に出たあと、スズナがギルドの入り口、窓に盛り塩をする――そうしている間にも、立ち並ぶ建物のさらに上空にフライングドゥームが現れ、俺たちを見つけるなり次々に急降下してくる。俺は自分に向かってくる個体を黒檀のスリングで狙撃するが、一撃で勢いを殺すことはできない――!


「くっ……!」

「後部くん、危ないっ!」

「――っ!」


 降下してきたフライングドゥームに、五十嵐さんがクロススピアで文字通り横槍を入れ、テレジアが『ウィンドスラッシュ』で吹き飛ばす。


「――スズナ、ミサキ! 俺の前に半歩でもいい、進み出てから追撃するんだ!」

「はい、アリヒトさん! ――っ!」

「私のサイコロをくらえー!」


 スズナの矢、そしてミサキのサイコロが、吹き飛ばされてから壁に弾むようにして戻ってこようとするフライングドゥームに叩き込まれる――支援ダメージ22が入れば、エリーティアなしでも仕留めることができた。


「町中に好き勝手飛び回って……アリヒト、支援者の人たちや、自分を守る力のない探索者を助けましょう」

「よし、分かった。この魔物は、スタンピードで迷宮の外に出された奴らだろう……つまり、『午睡の湿地』の入り口から湧いてきてるはずだ。そこは守備兵が押さえてるはずだから、俺たちは別に回ろう」

「「「「了解っ!」」」」


 八番区の全域上空を、我が物顔のように飛び回る飛行系の魔物たち。数十体のフライングドゥームを従えて、極彩色の一回り大きな個体が混じっている。


 おそらく『名前つき』――奴を何としても倒さなくては。スズナの盛り塩で安全地帯を増やしつつ、町の人を助け、敵を全滅させる。思いがけず、波乱に満ちた一日が幕を開けた。

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