第二話 職業選択
「お客様、未登録の札をお持ちですね。探索者として登録を済ませなければ、迷宮に入ることはできない決まりになっております」
「あ、ああ……すみません、ちょっと騒ぎに気を取られてました」
さっきスズナを『巫女』として受理した受付嬢が、俺に声をかけてくる。
それにしても、ギルドの受付嬢という仕事はグラマーな体型でないとなれないのだろうかと思うほど、軒並み胸が大きい。俺の対応をしてくれる受付嬢は異世界らしく緑色っぽい髪をしており、眼鏡をかけていて、泣きぼくろも搭載し、色気というものをこれでもかと詰め込んだふうな妙齢の女性だった。
「あ……駄目ですよ、お客様。異世界の服装は露出が大きく見えるかもしれませんが、一点を注視するのは、関係性次第ではカルマが上昇する行為です。適度に視線を動かしてくださいね」
「っ……す、すみません」
「ふふっ……お客様、とても腰が低い方ですね。先程から謝ってばかりですが、私はかみついたりしませんから、肩の力を抜いて楽にしてください」
口元に手を当てて笑う上品な仕草につい見とれてしまう。俺はどんな髪型にも魅力があると思っているが、アップにした髪型には比較的弱いので、正直受付嬢さんのような女性はタイプというか、しっかり意識してしまう対象だった。
「申し遅れました、私はルイーザ=ファルメルと言いまして、今回の登録担当官であり、あなたが
「は、はい……って、いつまでも緊張してるのも何ですかね。ぜひこのままお願いします」
転生前は他社と連携して仕事をすることも多く、相手次第では早く打ち解けた方がやりとりがスムーズになった。ビジネスにおける関係は馴れ合いになってもいけないし、かといって形式張りすぎても支障を来たすことが――と考えたところで。
「痛っ……」
「お、お客様? ああっ、転生されたばかりで記憶の混乱があるのですね。急にたくさん話しかけてしまってすみません、
「ああいや、大丈夫です。ちょっと頭痛がしただけですから」
そう言いつつも、俺はあまりいい気分のしないことを思い出してしまっていた。
三十歳近くになるというのに、俺は年下の女課長の下について、わりと厳しくこき使われていた。他にも部下は二十人くらいいるのに、なぜか俺にばかり仕事を回してくるのだ。
一日中デスクに向かわないと消化できない仕事量なのに、彼女は社内だろうが外での打ち合わせだろうが構わず俺を同行させ、メモ取りやら意見出しの役目まで要求した。本人もエリートであり、若いながら仕事は恐ろしくできるが、俺にも当然のように同じレベルを求められては困る。
別部署の同期からは気に入られてるんじゃないかと冗談交じりで言われたが、とてもそうは思えないほど態度がとげとげしく、仕事が消化できずに残業に突入するときも、たまにコーヒーを淹れてくれるくらいでいつも定時で帰ってしまっていた。
――しかし異世界に来てしまえば、苦手な上司の下につく必要もなくなり、会社のしがらみから解放される。そう思うと、急に心と身体が軽くなるように感じていた。
「良かった、元気が出てきたみたいですね」
「はい、お陰さまで。それで、登録ってどうすればいいですか?」
「ではそちらの椅子にお掛けになってください。お客様の『探索者の札』には、未記入の職業欄があると思います。そちらに、自分で適性があると思う職業、あるいは就いてみたいと思う職業名を書いてみてください」
「なるほど。決まった職業から選ぶわけじゃないんですね」
「転生者の方々は、様々な経歴をお持ちですから。中には私たちが把握していない職業に就かれる方もいらっしゃいます。彼らは職業公開を希望されませんでしたので、今お伝えすることはできないのですが」
つまりスズナは『巫女』になったことを公開してもよいと考えたので、俺やエリーティアにも話が聞こえたのだろう。
登録の時点で、すでに周囲との競争が始まっている――俺はそう理解する。
なぜ迷宮を探索しなくてはならないか、それは探索に行く前にでも説明を受けるとして、この世界では探索者とその周辺の人々で全てが成り立っているのだから、探索者として役割を果たすことで相応の報酬が得られると考えられる。
ここで需要のある職業を選べるかどうかで、滑り出しの良し悪しが変わってくる。しかし俺はこれといって特殊な経歴を持ってるわけじゃないし、転生前は広告代理店のプランナーというやつで、企画書やプレゼン資料を作ったり、DTPが多少できるというくらいしかスキルがない。あとは入社時に多少プラスに働いたという英会話か。
ルイーザさんは俺を急かすことなく、他のカウンターで別の転生者に対応を始める。人生を決定するようなものだから、たっぷり時間を与えてくれるようだ。
だが俺も一刻も早く職業を選び、探索に挑戦してみたいという気持ちがある。俺以外の転生者は、こうしているうちにも次のステップへ進んでいるのだ。
「おい。
「っ……げっ、五十嵐課長!」
「『げっ』て何よ。せっかく知ってる顔を見つけたから、声をかけたのに」
振り返ると、そこにいたのはブラウンの髪をゆるく巻いた、いかにも勝ち気そうな女性だった。五十嵐鏡香、実力主義の我が社において入社三年で課長の地位に上り詰めたエリート中のエリートである。
俗に縦セーターと呼ばれる暖色のニットに、タイトスカート。防寒対策で厚手のタイツを穿いてはいるが、社内で見る姿とそこまで変わらない。そのプロポーションも相変わらずだが、見とれたりすれば殺されるか、生きるのをやめたくなるほど罵倒されることだろう。
――ともあれ、俺の鬼上司がいつもと同じ姿で現れたわけで。俺は情けなくも冷や汗をかき、まだ何も言われていないのにタジタジになってしまう。
「あんた、まだ職業決めてないの? できれば私の役に立つ職業に就いてよね」
「え……課長、俺とパーティ組んでくれるんですか?」
「そ、そんなわけないじゃない。あんたがそれなりに使えるようになったら、自分から私のとこに来なさいよ。そのときパーティを組むメリットがあったら組んであげる。ありがたく思いなさい」
(くっそ……相変わらずナチュラルに人を見下してくるな)
何のために声をかけてきたのかと思ったら、そんなことを言うためか。無能だと思っている俺でもそのうち役に立つかもしれないとか、期待値が低いことこの上ない。
「全く、何でこんなことになったのよ。私たちは全員死んじゃったわけ?」
「えーと……バスが事故って、生存者以外は全員転生したんじゃないかと……」
「じゃあうちの課が全滅ってことじゃないわけね。残ってる連中で上手くやってくれればいいんだけど……まあ、そんなこと気にしてる場合でもないけどね。とりあえずバスの運転手もこっちにいるなら、ひとこと言ってやりたいわ」
「大変なことになりましたね。課長も頑張ってください」
早く逃げたくて言うが、きつい睨みが返ってきた。女性に冷たくされて喜ぶほうではないので、正直辛いものがある。
「あんたは自分の心配をしなさいよ。この世界の迷宮って怪物が出るんでしょ? できればあんたに前衛でもやってもらって肉壁にしたかったけど、それは勘弁してあげる」
「に、肉壁……」
うちの会社ではゲームの広告も取り扱っていたので、五十嵐課長もそういうものに興味がなさそうに見えるが、会社で扱う商材の知識はその頭に入っている。人並みにゲームをする俺よりも、彼女の知識が上回っているケースも多々あった。
そんなわけで、この世界においても、彼女はそこまで抵抗なく順応してしまうだろう。
「じゃあ、またどこかで。寝覚めが悪くなるから、無理しないで生きてなさいよ」
「は、はい。何とかやってみます……あ、課長!」
「こっちに来たら課長じゃないんだけど、
「え、えーと……よかったら、課長の職業を教えてもらえませんか」
彼女の性格を考えると、手の内を明かすことはしないどころか、いきなり「何様のつもり?」と怒ってきても仕方ない――そう思ったのだが。
「私の役に立つ職業を選ぶために、参考にしたいってこと? いい心がけじゃない」
「え、えーと……まあ、そうですね」
「まあ?」
「は、はいそうです。課長に認めてもらうためにも、適切な職業を選びたいなと」
下手に出れば情報をもらえるのなら、幾らでもそうする。そんな俺の心中を読まれないだけ、この鬼上司も与し易いところはあるといえる。
「その努力を、会社でもしてくれてたらね。私も入社した頃は不眠不休だったわよ」
「え……そうなんですか? 五十嵐さん、いつも定時で……」
「……あ、ああ、それはいいわ。私の職業だけど、『ヴァルキリー』っていうのにしたわ。剣と槍が使えて、精霊魔法もある程度使えるみたい」
「ま、マジですか……何かすごい職業に就きましたね」
「まあ、私だから当然ね。じゃあ、私は入れてもらえるパーティを見繕ってくるわ。女性だけのパーティがいいんだけど、贅沢も言ってられないわね……」
「あ、教えてくれてありがとうございます。課長、またどこかでお会いしましょう」
何か引っかかるところのある会話だったな……と思いつつ、課長の無事を最低限祈りながら立ち去ろうとすると、小さくつぶやく声が聞こえた。
「……名前で呼ばれたのに怒りそびれた」
それかよ、と思うが俺は振り返らなかった。下の名前じゃないんだから別にいいだろう。
転生すれば少しは課長の当たりも柔らかくなるかと思ったが、そうでもなかった。しかし数少ない知り合いなのだから、できれば生き残ってもらいたいし、可能な範囲で友好的な関係を築きたいものだ――それはやはり難しいか。
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