第30話 勇者と魔王
「サ、サインください……。子供の頃からの推しでした!」
ノ宙が、張り詰めた空気だったこの場ぶち壊して会長へ声をかけた。
変わらず魔王は今にも殴りかかりそうな勢いだし、会長も負けじとなのか魔王を睨みつけているしで、とてもありがたいノ宙の割り込みだった。
「ははは、いいですよ。有名配信者のノ宙さんにサインをねだられるなんて光栄だな」
会長は穏やかな表情に戻った。どうやら本当によろこんでいるようだ。
「わ、わ、わたしのこと知ってるんですね! めっちゃ光栄です」
「もちろん。軽井沢ダンジョンの配信はとても面白かったですよ」
「あああ~~……そんな初期の配信を……。ありがたひ……。本当にありがとうございます!!」
ノ宙は完全にファンの顔になっていた。これが普通の反応なのだろう。当時を知っている人間にとっては、会長は間違いなくこの世界を救った勇者なのだ。
「ダンジョンオーチューバーは、現代のダンジョン産業を担う中心的方々ですからね。私達協会はいつも注目しています」
会長はそう言うと、ちらりと俺の顔を見た。
「もちろん、鈴木凸さん、あなたのことも注目していました。レイヤさんもこんにちは。お会いできて光栄です。昼間市のダンジョンと中尾山での戦いは素晴らしかったです。レイヤさんも、配信で見る以上に、とてもかわいらしい女性だ」
「恐れ入ります」
「わしの良さが分かるなんていい奴じゃの」
好きな人物ではないとは言え、お偉いさんに褒められるのは悪くはない。もちろんそんなことで呼びつけたのではないのは分かっているが。
最初の反応的に魔王についてだろう。
「それで、御用はなんでしょうか。わざわざ会長が出て来られるなんて」
「もちろん、そこにいる魔王のことだよ」
やはりか。しかし、昨日の今日とは動きが早い。
「はあ? ボクと戦いたいのか? 今度こそ殺してやるぞ」
魔王は本気で殴りかかりそうだ。ノ宙が隣で一生懸命身体を押さえている。暴れられるのは流石にまずい。さっさと用件を終わらせよう。
「ここの協会から連絡をもらった時は、またよくあるコスプレ男だと思っていたよ。魔王関連の話は必ず私が確認するようにしているからね。今回も出張も無駄足だと思っていたよ。そんな時に、鯨二郎君から連絡があってね」
「鯨二郎から?」
先ほどのダイレクトメッセージと何か関係があるのだろうか。
「面白い配信があるというのでね。アーカイブを見させてもらったよ。ははは、まさか女の子になっているとは思わなかった」
「よくあの配信だけで、こいつが魔王だと思いましたね。今回もなりすましかもしれませんよ?」
「魔王のことは私が一番知っている」
会長は魔王の顔をじっと見た。
「ふ、ふん! ボクはお前のことなんか全然知らないし、殺したいくらい恨んでいる」
魔王の顔が少し火照っている。そこは照れるところなんだろうか。
「事情はよく分かりました。それで、何がお望みですか?」
会長の表情はとても複雑だ。ただ、生き返った魔王を殺したいというだけではないように感じた。
「魔王を―――私達に―――渡していただきたい」
会長の語気が突然強まった。
なんて威圧感だ。先ほどまでの穏やかさが一瞬で消えた。ここはダンジョンではないからステータスなんて存在しないのに、圧倒的なオーラに気押されそうになる。やはりただの腹の出た中年おやじではない。
「ボクがお前のとこに行くと思うか?」
魔王がノ宙の腕を振りほどき叫んだ。殺された相手の下へなんて行きたくないだろう。ただ―――、
「じゃあよろしくお願いします」
「え、鈴木、裏切るの?」
俺にとっては大変ありがたい申し出だ。元々そのつもりでしたし。
「裏切るも何も仲間にした覚えはない」
ちゃんとした組織が面倒をみてくれるなんてありがたいことだ。こんな姿だけど一応魔王なのだ。俺では手に負えない。
「ちょっと待ってよ! 魔王城に一緒に行くって約束したよね!? ねっ? 頼むよ。ここに置いてくのだけは許してよ。本当はかなり怖いんだよ。また殺されるは嫌なんだよ!」
さっきまでの威勢はどこにいったのか。本気で泣きそうだ。
「なあに、悪いようにはしないさ」
会長、いや勇者がニッコリと笑っている。笑顔が怖い……。友好的ではあったが、やっぱりどこか胡散臭い男だ。
会長の強さに疑いはない。今では中間レベルであるA帯ではあるが、先ほどの威圧感のように、当時のA帯の人達は本当に強さを感じた。ダンジョンを潜る冒険者は全て【勇者】と呼ばれており、その肩書に恥じない強さだった。
勇者中の一人であった会長は、魔王を倒し、世界を救った。
しかし、ダンジョンは全て消えなかった。
それを危惧した勇者田中は、ダンジョン協会を設立し、残ったダンジョンの管理を始めた。勇者田中は会長となった。
そして―――勇者という肩書は会長だけの名誉職とし、ダンジョンを潜る勇者は、全て【冒険者】と呼ぶように変わった。
その後、新たなダンジョンが生まれ始めると、協会はダンジョンの【管理】から【利用】へと方針を転換する。
主導したのはもちろん会長だ。会長は、公的な役割が大きかったダンジョン関連事業を、ほとんど民間へ解放した。ダンジョンを中心とした産業は一気に広がることになる。オーチューバーによるダンジョン配信もその中の一つだ。
でも、俺はその方針があまり好きではなかった。勇者と呼ばれていた時代の崇高さや、ロマンがなくなってしまったように感じた。
配信収益という形で利益を享受しているのにとも思う。どの口で会長を批判できるのかいう気もする。
だから―――そんな現状だからこそ、少し反発心が生まれたのかもしれない。
「頼むよう」
相変わらず魔王は泣きそうな顔をしている。やっぱり女の子の姿はずるい。元の優男なら絶対に助けなかった。
「―――やっぱり、もう少し預からせてください。こいつと魔王城に潜る約束をしたのは本当なので」
決して魔王のためではない。俺は会長がそんなに好きではないし、それにこれは―――ただの気まぐれだ。
会長、一瞬すごい怖い顔したな。何を考えているんだろうか。
「わかりました。ただ―――魔王城の配信が終わったら魔王を譲ってもらうからな?」
口調が怖いって。
「それは―――。またその時考えさせえてください」
「再生数が稼げそうな人材ですからね。そうだ、私がこの子が本当の魔王だという証明をしましょうか? 会長の公認です。きっと凄い再生数になりますよ。もちろん分け前なんていりません。善意です」
よくそんな考えが浮かぶなと感心する。仕事をしていて理解したことがある。権力者の【無料】は一番怖い。こいつらは、善意を貸しているという考えがある。善意の利益は変動制だ。下手をすれば金では返せない。
「ありがたい申し出ですが遠慮します。最近配信をしくじって企画を練り直しているところなので。プチ炎上中です。しばらくは騒がれたくないです」
「なるほど……。人気配信者は言うことが違いますね。目先の数字に踊らされない。今後も面白い配信を期待していますよ」
「面白い配信ですか。俺のチャンネルの面白いところってどこですかね? ぜひ会長の感想がお聞きしたいです」
「もちろんレイヤ君との掛け合いだよ」
「……そうですか、ありがとうございます。参考にします」
人気配信者ねえ……。まあダンジョンの解説動画なんだけどね。
話はここで終了となった。建前としては、魔王城である新塾ダンジョンの探索まで預かるということだ。
「絶対逃げてやるんだ……」
魔王はこの約束に納得していないようだ。
「諦めるのじゃ」
「もしかしたら家とか貰えるかもよ。会長もクライちゃんのことかわいいって言っていたし。もう魔王なんて思ってないんだよ。かわいいはすごいね!」
ノ宙だけが能天気に考えていた。君はそのままでいて欲しい。
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