覚醒

 肉の壁に下半身が埋まり、上半身は触手で固定されて張り付け状態にされていた。


 駆け寄って状態を確認してみる。外傷は、なし。目は閉じていて俺が近づいても反応がないのを見るに意識はないみたいだ。


 そして額には、男と同じような気味の悪い目玉が開かれていた。薄明るいのは額の目玉が発光しているからのようで、なんとも形容しがたい気持ち悪さを感じる。


 さらにアリィを中心に、周りがドクン、ドクンとまるで心臓のように脈打っていて、その間隔は徐々に短く、振動は激しくなっているような気がした。急いで引き剥がした方が良さそうだ。


 透過魔法を使えば簡単にここから抜け出すことは出来るが、問題は着地だ。流石に気絶したままで空中に放り出されたら、そのまま地面に叩きつけられてお終いだ。


 ラムダがいればなんとかなっただろうが、俺も魔法を完全に使いこなせているわけじゃない。同行者が一人ならともかく、それ以上となれば途中で魔法が切れて全員生き埋めもあり得たのだ。


 俺だけでなんとかアリィを叩き起こすしかない。

 ひとまず鳴いて呼びかけてみる。


 三度目辺りで、アリィが反応を示し、薄く目を開く。しかし、それだけだ。瞳に光は点っておらず焦点も合っていない。俺のことは視界に入っているはずなのに、俺のことは視えていない様子だった。


 だが、呼びかけて反応があったのだから何かしらの衝撃を与えれば正気を取り戻すかもしれない。とりあえず肉壁をよじ登って顔の横まで近づき、頬を舐めてみる。


 猫のザラザラした舌がアリィの柔らかなもち肌を刺激し、ピクリと反応があった。


「……よぞら?」


 よかった! 完全に意識が閉じているわけじゃないみたいだ。

 男がいなくなって魔法の効果が薄まっていたのかもしれない。何はともあれ、ここから脱出するにはもう少し意識がはっきりさせないと。


「××――××――××――」


 不意に背後で声がして、振り返る間もなく背中に衝撃を食らって吹き飛ばされた。床を転がりながら声の下方向を確認すれば、 薄暗い空間に、あの男の目玉が浮かんでいた。


 しかし位置が高い。よく見てみれば男は天井から生えるように、逆さまになってぶら下がっている。


 追って来やがった。ラムダはどうなった? いや、それよりも先にアリィを――。

 立ち上がろうとして、激しい痛みに体が強張る。


 恐る恐る首を動かして自分の身体を確認してみれば、背中にぱっくりと切り傷が出来ていた。そこからドクドクと血が流れ出している。幸い致命傷とまではいかないだろうが、メチャクチャ痛い。


 くそっ、油断した。


「もう諦めろ。その娘はすでに我らが神と一体化している。現に、我らもこうして複製できた」


 男が言うと、部屋の至る所が膨れ上がり数十もの人型を作り出した。しかもそれらには全て、男と同じ大きな目玉が存在していた。


「元より我々は神より出し子、神の力と肉体の材料さえあれば絶えることはない。ここまで追ってきたのは悪手だったな。今、楽にしてやる」


 男たちが一斉に腕をこちらに向けた。透過魔法で逃げる、という手段はすでに選択肢にはない。逃げたところで無意味だし、そもそも背中の痛みで魔法に注ぐための集中力は霧散してしまっている。


 もはやここまでか。


 呪文の合唱が聞こえて、俺を殺すための攻撃が迫るのを感じて――パァンッ、と男の攻撃が目の前で霧散した。


 男たちの視線が俺から外れてアリィの方を向く。釣られて俺もアリィを見やれば、両手を前に突き出して男たちを見据えていた。


 さっきまでのぼんやりとした表情とは違い、敵意を剥き出しにしながら、自らを縛り付ける肉壁を魔法で破壊して男たちに挑むように歩み出る。


「馬鹿な。まだ自我を保っているられるはず……やはり儀式を中断させられたのが原因か。それとも」


 再び男たちの視線が俺に集中する。


「それが原因か?」


 俺の真上から目玉男が生えて来て襲いかかって来る。怪我で満足に動けないのに避けられるわけのなく、けれど男の手は俺に触れることなく、アリィが腕を動かすと同時に消し飛んだ。


「これ以上」


 低くおどろおどろしい声が空間内に満ちる。アリィの声なのに、ゾクリと心臓を揺さぶるような響きがあった。


「わたしの大切なモノを傷つけないで!」


 アリィが叫ぶと、まるで声が質量を持っているかの如く広がり、男たちを消し飛ばした。


 キィン、という耳鳴りのような残響を伴って、空間の中に俺とアリィだけが置き去りにされる。


 凄まじい攻撃に呆然としていると、アリィが呻きながら膝を着いた。俺は背中の痛みを堪えながら、ふらつく足取りでアリィの前へ歩み寄る。


「にゃー?(大丈夫か?)」


 頭痛に悶えるように両手で頭を抱えながら蹲っていたアリィがゆっくりと顔を上げた。苦痛に歪みながらも瞳にはしっかりとアリィの自我が宿っている。だが、額の瞳も未だ健在だった。


 アリィが自分の頭から手を離して俺の背中へ手を伸ばす。何をするのかと思えば、彼女の掌が暖かな光を帯び始めた。


 この状態で治癒魔法を施してくれるらしい。治癒に伴う激痛に備えて身構えるが、痛みは引いて行くだけでそれ以上の苦痛は訪れなかった。


「これで、もう、大丈夫……ヨゾラ、ここから出られるなら、早く出て行って」


 そんなわけにはいくもんか。怪我が治ったからちゃんと魔法も使える。逃げるなら一緒にだ。


 アリィの状態は心配だが、ここでじっとしていても事態は好転しそうにないし、一か八か、着地はアリィの力に賭けて脱出するしかない。


 俺はアリィから離れないようしがみついて透過魔法を発動させようと集中する。が、突然アリィが立ち上がってしまい慌てて魔法の発動を中止する。


 どうしたのかと見上げれば、アリィは険しい表情で口を開いた。


「わたしは、これをどうにかしなくちゃ」


 ズズン、と足元が大きく揺れた。さっきまでの鼓動とは違う、地震のような揺れだ。そして一瞬感じた浮遊感。落ち始めている。


「町の上にあるんだよね。こうなったのは、全部わたしのせいだから……だから、ヨゾラは早くここから逃げて」


 決意の言葉を告げる声は震えていた。きっとアリィにはこれをどうにかする術があるのだろう。しかしそれは、アリィ自身も無事では済まない手段だと分からないほど俺も鈍感じゃない。


 もちろん、彼女を一人残して逃げるほど恩知らずでもない。


 俺はアリィの肩に飛び乗って、安心させるために頭を頬に擦り付けた。


 大丈夫。ずっと一緒にいる。と伝えるために。


 ちゃんと伝わったのか、アリィはぎゅっと唇を引き締めた後、言った。


「ごめんね。ありがとう」


 そうしてアリィは両手を前に突き出して、力を込め始めた。

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