悪あがき

 黒い気体を突き抜けてアリィの額に押し付けられたミクロアの掌で魔力が弾けて、眩い閃光を放ちながら気体を伝って上空へと昇っていく。


 だが、ミクロアの持っている力が足りないのか魔法は上空まで届くことなく途中で止まってしまう。


「うぐぐ……!」


 苦し気な声を上げるミクロア。見れば、気体に触れている腕の至るところの皮が破けて血が流れ出ている。激痛が走っているのか、ミクロアの瞳には涙が滲んでいた。


 それでも負けじと、ミクロアは気体に触れていない二の腕を空いている手で掴み、支えながら魔力を送り続けるが、魔力は空へ届きそうもない。


 男はオルトが抑えてくれているが、これじゃあ転送魔法陣を破壊することができない。


 手伝うために、俺も黒い気体の中へ飛び込もう。

 そう決心した刹那、背後から近づいてくる気配を感じて振り返れば、レノアが駆け寄って来て何の躊躇もなく両手を突っ込みミクロアの掌に重ねた。


 さっきとは比べ物にならないレベルの魔力が立ち上り、上空まで到達すると大穴の中心部で花火のように弾けて広がった。


 要所要所で雷雲が瞬くような光が発生し――急速に穴が閉じていき、街を覆うほどの大きさだったのが、あっという間に屋敷の敷地と同じくらいにまで縮んでしまった。


 流れ出ていた気体は穴が小さくなるのに比例して細く萎んでいき、抵抗するようにうねりながらも、転送魔法が閉じるとアリィの体へ到達していなかった気体は残滓を残して空中へと消えていった。


 渦中で立っていたアリィは糸が切れたように体を傾け、それをレノアが受け止める。


「おかあさん……」


 レノアの腕に抱かれたアリィがぼんやりと呟いた。


 よかった。意識はアリィのままみたいだ。


 肉体の代わりとかなんとか言ってたから神とやらに乗っ取られたのかと……いや、もう少し助けるのが遅かったら無事じゃ済まなかったんだろう。


 その様子を隣でへたり込んでいたミクロアも、真っ青な顔で鼻血を流しながらも笑顔で親子を眺めていた。


「もう大丈夫だからね。後はお母さんたちに――」


 言い終わらない内にレノアは勢いよく顔を上げると同時に、俺たちは見えない何かに弾き飛ばされた。真横から思いっきり殴りつけられたような感覚、それは間違いなくあの男の攻撃だった。


 不意を突かれたこともあって、受け身も取れずに三人揃って禿げ上がった庭を数メートル転がる。


 体勢を立て直しながらアリィの方へ視線を向けると、目を血走らせた男がアリィを小脇で抱え立っていた。


 男を食い止めていたはずのオルトは――俺たちの反対側で壁にめり込んでいるのが見えた。シャム猫もやられたらしく、地面に倒れてしまっている。


「貴様らはどこまでも邪魔を……!」


 憎々し気にこちらを睨み付けるが、すぐに視線を外して上空を仰ぎ見た。釣られて俺も見上げれば、魔法陣は何か所も壊れていて千切れた電線みたいに肉の線がぶら下がっていた。

見た限り、独りでに修復されるようなことはないみたいだ。


 男が空いている方の腕を空に向けると、肉塊が蠢き始めた。まさか魔法陣を作り直すつもりか、と思えば肉塊は形を変えて、中庭へと触手を伸ばしてきた。


 もの凄い速さで接近してきた触手はあっという間にアリィと男を覆ってしまう。


「アリィ……!」


 レノアが悲痛な声を上げるが、先ほどの魔法陣破壊時に力を使い果たしてしまっていたらしく、起き上がるのがやっとで立つことはできないでいるようだった。鼻からも血が流れている。


 触手が上方に力を入れる様子を見て、俺は駆け出していた。アリィを包み込んだ触手の塊の接地面が離れて中空へ浮かび上がるのを確認するのと、俺が飛び掛かったのはほぼ同時だった。


 触手が勢いよく引っ張り上げられる。辛うじて爪が触手に引っかかり、グンッと体が触手と共に空中へ連れて行かれる。


 風圧で振り落とされそうになりながらも必死にしがみつく。何をするつもりかは分からないが、もうこれ以上アリィを変なことに利用されてたまるか。


 一度、アリィは目を覚ましたんだ。今なら何らかの衝撃を加えれば叩き起こせるかもしれない。それに不完全ではあるがアリィの中に入ったヤツのことも気に掛かる。


 とにかく、急いで取り戻さないと。


 高度はどんどん上がっていく。高層ビルの上階にいるレベルの高所に生身で晒されている事実に玉を縮ませながら、俺は内側に入れないか触手の隙間を探してみた。


 しかし、みっちみちに詰まっていて猫の身体でも入り込めそうな隙間はない。無理やり掻き分けようにも、しがみつくのがやっとで身動きも取れないし、どうしたものか。

 

 そう考えた刹那、目の前に目玉が現れた。男と同じ、あの瞳が俺を捉える。


 ヤベ、と思った時には触手の一部が動いて俺を弾き飛ばし、身体が宙を舞っていた。


 落下の恐怖よりも先に本能が働き、空中で身を翻して少しでも落下の速度を下げようと四肢を広げる。それでも落下の速度が上がっていくのが肌身で感じられた。


 猫はどれだけ高所から落ちても大丈夫だ。という情報と、猫が無事に着地できるのは7~8mくらい。という情報が脳内で入り乱れる。


 そもそも着地の仕方が分からない。猫になってから、高所から飛び降りたことはあるがせいぜい二階分くらいだ。こんな、町を見渡せる場所から経験なんて前世を入れてもない。


 死ぬ。ここまで来て、こんなあっけなく?


 いや、諦めるな。猫の身体なら可能性はある。今はとにかくバランスを維持して着地に集中しろ。どうやって衝撃を和らげる? 転がった方がいいのか、それとも走った方がいいのか。


 様々な考えを巡らせ生存方法を模索している最中、身体に強い衝撃が走った。


 考えている間に落下してしまったのか、それにしては衝撃が小さいような……。視界はまだ空の上で、身体の下には赤い鱗が並んでいる。


「あれ? なんで猫が空飛んでるの?」


 聞き覚えのあるような、ないような女性の声が頭上から聞こえて来た。恐る恐る振り返れば、並ぶように座る二人の女性がいた。


 前は……名前は忘れたが皇帝陛下を運んできたドラゴンに乗っていた人物だ。


 そして、その後ろに座っているのはラムダだった。

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