出ずる闇
「捕まえたぞ」
ギロリと目玉を俺に向けてくる男。だが、俺は焦ることなく、内心でほくそ笑む。
男の背後で小さな影が生垣から飛び出し、中庭の中心で眠るアリィに駆け寄った。
「アオーーーーン!!!」
シャム猫がアリィの耳元で盛大に吠えた。それに驚いたのか、男が振り返る。
注意が逸れた隙に後ろ足を振って遠心力を作り出し、首根っこを掴まれたまま強引に警戒もなく晒された耳へと噛みついた。
目玉と違って耳は普通の人間のように柔らかく、牙がしっかりと食い込む。
「ぐぉ!? 貴様、離せ!」
今までずっと平坦で感情の欠片もなさそうだった男が驚愕と苦悶の入り混じった声を上げる。力いっぱいに首根っこが引っ張られるが、俺は男の頭部に手足でしがみつき意地でも耳から離れない。
攻防を繰り広げている間もシャム猫はアリィを叩き起こそうと耳元で鳴きまくっていた。少し離れた位置でもうるさく感じる声量だ。
しかし、アリィは一向に目を覚まさない。何かしら魔法のようなモノをかけられているのか?
もしそうだとしたら俺たちだけじゃどうしようもないぞ。くそ、独断で先行したのは失敗だったかもしれない。
「いい加減に――」
不意に首から圧迫感が消え失せた。直後に殺気を感じて、俺は咄嗟に男の顔面を蹴って離れる。その直後、男の拳が俺の身体を掠め、顔面を殴りつけた。
痛みに悶える男を横目に着地し、すぐアリィの元へと向かおうとした。その時だ。
業を煮やしたシャム猫が、アリィの鼻先へと噛みついたのが見えた。
あっ! と俺が思うのとアリィの眼が開いたのはほぼ同時だった。
鼻っ面の痛みが気付けになったのか。とにかくよかった。後はここから逃げるだけだ。
問題は男の猛攻をどうやって切り抜けるかだが……。
レノアとオルトはまだ戦闘を続けている。やっぱり、俺がなんとかするしかない。後どれだけ引き付けられるかはわからないが、やれるだけやってやる。
俺は再び男に注意を戻して、異変に気付く。
アリィが起きて、男にとって状況は悪化しているはずなのに行動を起こそうとはしていない。それだけに飽き足らず、男の視線は空を向いていた。
まさか――嫌な予感を覚えながら俺も空を見上げると、上空の魔法陣が変化を止めていた。
「完成だ」
男の呟きが聞こえ、ゾッと背筋に悪寒が走る。気づけば俺は叫んでいた。
『おい! 今すぐアリィを連れてそこから離れろ!』
『わ、わかってるって! でも、アリィが動かないんだ!』
アリィは立ち上がっているが、にゃお! にゃお! と足元で鳴いているシャム猫にはまるで意を介していない。ただボーっと立ち尽くしているだけだ。
こうなったら俺もアリィの正気を取り戻すのに加わろうとして、男が呪文を唱えているのに気が付いた。
さっきまでとは違って長い詠唱だ。アリィよりも先に男を止める方が先決だ!
尚も空を仰ぎ見ながらどこから発しているのか分からない呪文を唱え続ける男へ、俺は飛び掛かる。
しかし、男はこちらを見向きもせずに左腕を動かすと難なく俺の首を掴んだ。
しまった! 焦りすぎて動きが単調になってしまった。
この土壇場で、俺はがっちりと首元を掴まれ、宙ぶらりんになって窒息しないよう男の腕に手足を回してしがみつくことしかできなくなってしまう。
なんとか必死に爪で男の腕を引っ搔き回すが、詠唱は止まらず拘束が弱まることもなかった。
アリィの様子を確認する。足元では尚もシャム猫が悲鳴のような声を上げているが、見向きもしていなかった。呆然と佇むアリィの額に、魔法陣とはまた違う目玉のような模様が浮かび上がっているのに気づいた。
それが何かを判別する前に、ふっ、と視界が暗くなる。中庭全体に影がかかったのだとわかって、俺は反射的に上空を見る。
空に穴が空いている。
肉の魔法陣の中心から広がる巨大な穴は瞬く間に青空を覆いつくし、町全体を覆いつくした。
荘厳とも言える光景。だが、それよりも俺の――猫の身体に備わった動物的意識は”穴の奥”にいる存在を捉えて、恐怖を覚えていた。
「厄介な貴様が、こちらに専念してくれて助かった」
男の声が耳朶を打ち、情けないくらいにびっくりして空から意識を外して男を見れば、巨大な目玉が見据えていた。表情なんてないはずなのに、男が喜悦しているのが手に取るようにわかる。
それは俺に絶望を与えるには充分で、気づけば俺は放り投げられて生垣に突っ込んでいた。
「そこでよく見ていろ。我らが神の降臨を」
勝ち誇った声音で言い捨てると、男はアリィの元へと歩いて行く。
なんとかしなくては、という思考とは裏腹に、もう何をしても手遅れだと諦観している自分もいることが認識できる。
今すぐ全てを投げ捨てて逃げろ。そう本能が叫んでいて気を抜けば脱兎の如く走り出してしまうそうになるのを、なんとか理性で抑え込んでいる状態だった。
せめて、せめてシャム猫だけでも……上空から発せられる圧迫感に当てられて足が震えて言うことを利かなかった。
そうしている間にも男はアリィの元に辿り着き、それに気づいたシャム猫が必死に毛を逆立て威嚇するが、完全に無視されていた。
抵抗を見せるシャム猫を他所に、アリィが両手を広げて空を仰ぎ見た。
「朽ち果てた肉体の代わりを用意しました。千年の時を経て、眠りより醒め、痴れ者にその存在を
男が叫ぶと、上空の大穴の中でナニかが蠢いた。見ただけで自分の中の常識をぶち壊しかねないような、名状しがたい凶悪な存在がそこにはいた。
直後、大穴の奥の闇そのものが形を持ったかのように膨れ上がると――。
勢いよく墜ちて来た。
ヤバい、と思った時にはすでに目前まで迫っていて、漆黒の先端がアリィに触れた刹那、爆発のような衝撃を巻き起こす。
逃げることも踏ん張ることもできなかった俺は衝撃波をモロに受けて成す術もなく吹き飛ばされた。
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