各々ができること

「いったいどうなっているの?」


 町に溢れた化け物を倒している最中、ドレイナは頭上で起こる異変に気付いて空を仰ぎ見る。星型から幾何学模様へと変化しつつある肉の模様は、けれどドレイナにはそれが何を意味するのか理解ができないでいた。


『ドレイナ様! 聞こえますか、ドレイナ様!』


 珍しく焦ったエクルーナの声が耳に届く。


「どうしたの」


『形成されているのは転移魔法陣です! 恐らく、異界の神を呼び寄せるつもりかと――すぐに阻止してください!』


 まさかそんな方法で、とドレイナは感嘆する。伝聞されていた異界の神とやらは空を覆うほど巨大な存在だった。それをどうやって復活ないし、呼び寄せるのかと思っていたが、確かに町ほどの大きさがある魔法陣を作り出せれば可能だろう。


「本当に、舐めた真似してくれるわね」


 その可能性を考えなかったわけではない。精査したうえで、不可能だと判断したのだ。魔法陣を発動させるためには魔子の籠った液体、もしくは物体が必要であり、それは例え際限なく成長すると言われる食肉トレントを使ったとしても、人間や動物では代用することはできない。


 しかし、エルフならどうだろうか。唯一魔法陣を使用しないで魔法を扱うことのできる存在。それはエルフの血液が魔子を含み、身体そのものが魔法陣の役目を担っているからだ。


 そんなエルフを何十年――いや、何百年もの月日をかけて少しずつ、バレない程度にエルフを攫い、与え続けていたのなら。これだけの所業を成し遂げることもできるだろう。


 だが、この町は人が住むようになって歴史が浅い。開発が始まったのは三十年前で、人が住めるようにまで発展したのは十五年ほど前だ。もちろん、その時に地下の調査もしているが、食肉トレントが埋まっているなんて報告はなかった。


 いったいつ、どうしてここに、なんて疑問は山ほど浮かんでくるが、それらを解明している時間はない。


「エクルーナ、即刻、魔法陣破壊の指示を全部隊に伝達! なんとしても異界の神の召喚を阻止するのよ!」


『わかりました! 直ちに周知いたします。ドレイナ様は――』


「私は我が物顔で立っている塔を叩き折るわ」


 そう言うや否や、ドレイナは一番近い塔へと向けて駆け出した。後手後手に回ってしまっているのは腹立たしいが、衝撃を与えることで仕掛けが発動する可能性もあったため手出しができなかった。


 召喚うんぬんはブラフで、まだ何かの仕掛けがある可能性もまだ完全に否定できたわけではないが、ドレイナの我慢がすでに限界を超えていた。


 罠だとしても、その罠ごと叩き潰せばいい。そう考えながらドレイナは凄まじい速度で塔へと接近していた。


 その行く手を拒もうと化け物たちが立ちはだかる。大きさも姿形も多種多様な敵が目前に迫るが、それでもドレイナは勢いを緩めることない。


「どけぇ!」


 叫びながら化け物たちをなぎ倒しながら進行を続けた。



『全部隊に通達! ドレイナ皇帝陛下の命により、直ちに町の上空で展開されている魔法陣の破壊を決行せよ! 繰り返す、直ちに町の上空で展開されている魔法陣の――』


 連絡用の魔法陣から命令が下されるのを、ラムダは下水道で独り蹲りながら聞いていた。上からも同様の文言が聞こえていたので、あの肉塊に総攻撃をかけるのだろう。


 自分も行くべきか、と立ち上がりかけて。行ったところでどうなるのだ、と座り直す。今さらボロボロの自分が加わったって足手まといになるだけだ。それならここでじっとしている方がいい。


 そうやってどのくらい経っただろうか。近くで戦闘音がし始める。そういえば逃げる途中で戦った肉塊が向こうにいたなとぼんやり考えた。恐らくは自分が戦ったであろう化け物は、今や地上で天高い塔に姿を変えて町を見下ろしている。


 そこから伸びる肉の筋は現在進行形で形を変えていた。その周りを一つの影が飛び回っている。


 ドラゴンだ。一頭しかいないところを見るに援軍が到着したわけではないだろう。だとすれば、町にいる龍騎士は一人しか思い浮かばない。


「お母さん……」


 昨日、空の上で行ったやり取りを思い出す。騎士を続けたいと言ったのは本心だったはずなのに、結局は恐怖に負けてしまった。気持ちと実力は伴わないのだと身をもって体験してしまった今となっては、もう一度そんな分不相応なことを言える自信をラムダは持ち合わせてはいなかった。


 そんなラムダの視界の中で、塔へ近づいたドラゴンが触手によって叩き落とされる場面を目撃する。姿勢を正すこともできず、町へ落下する母親とその相棒を見て、ラムダはようやく立ち上がる。


 任務を失敗した挙句、命令に背き、戦わずに蹲って。誰にも合わせる顔はないと思っていたのに、ラムダは無我夢中で下水道から這い上がると母親が落下したであろう地点へと駆け出した。


 破壊され人気のいなくなった町は不気味なほどに静まり返り、遠くから響く戦闘音がやけに大きく聞こえていた。いつどこから敵が出て来るかもわからない状況で、恐怖に足が竦みそうになりながらもラムダは母親の元へと急ぐ。


 確かこの辺りに……墜落地点と思しき場所で周囲を見渡しながら移動していれば、崩壊した建物からドラゴンが顔を出しているのを発見する。ドラゴンは瓦礫に埋まってしまっているようで苦しそうにもがいていた。その瓦礫を一生懸命どかしている人物を見て、ラムダは安堵しながらも駆け寄った。


「お母さん!」


 声に振り返った母親は驚いた表情を見せてから安堵と歓喜の混じった笑みを浮かべる。


「ラム! よかった、無事だったのね。ちょうどいいところに、シュルートの上に乗った瓦礫をどかすのを手伝って」


 そう言って母親は瓦礫の駆除作業に戻った。落下の時に負傷したのか、左腕がほとんど動いていないことにラムダは気づく。


「腕、怪我してるの? あとは私がやるからお母さんは休んでて」


「娘だけに任せるわけにはいかないでしょ。それに早く戻らなきゃいけないし」


 母親の言葉を聞いて、ラムダは動きを止めた。


「戦いに戻るの? 駄目だよ、今回は運よく生き残ったけど、次は死んじゃうかもしれないのに!」


 娘から止められるようなことを言われるとは思っても見なかったようで、母親は心底驚いた表情を見せた。昨日の今日で失望されるかもしれない、がっかりされてしまうかもしれない。けれどそんなことは些細な問題だった。


「もう諦めて逃げよう。こんなの私たちじゃどうしようもないよ。それに負傷したまま行ったって、足手まといになるだけで、何もできずに死ぬだけだよ」


 怒られると思った。それでも命がかかっているのだ。魔法を使って、引き摺ってでもドラゴンと一緒に逃げる。そう意気込んでいたのに、返って来たのは淡白な言葉だけだった。


「逃げることはできない」


「なんで……」


「騎士だからよ」


 きっぱりと言い切られてラムダは閉口する。自分の命よりも、娘の言葉よりも、騎士としての矜持の方が大切なのか。そんなことを言っている場合ではないはずだろうと、怒りすら覚えるラムダへ母は続けた。


「騎士の使命はこの身が尽き果てるまで国の為に戦うことよ」


「それは知ってる。でもそんなの忠義を示すための方便でしょ?」


「違うわ。これは騎士として胸に刻むべき訓戒。私たち騎士は国の最後の砦なの。危機に立ち向かい、脅威を退けるには、例え死ぬとわかっていても戦わなくてはならないの。じゃなきゃ、誰が国を、市民を護るの? 騎士である以上、戦いから逃げることは許されないわ」


「――っ!」


「逃げるのならあなた一人で逃げなさい。その選択を誰も責めたりはしないわ。もちろん、私もね。だけど騎士を続けたいのであれば、戦いなさい」


 叱るでもなく責めるでもなく、諭すような口調で言って、不意に表情を和らげた。それは紛れもなく優しい母の顔だった。


「本心を言えば、あなたには逃げてほしい。自分の娘に死地へなんて行ってほしくない。それでもあなたが騎士でありたいと思うなら、一緒に戦いましょう」


 瓦礫をどかす手を止めて母はラムダの眼を真っすぐ見つめながら言った。そこには非難も強要もない。純粋な問いかけだった。


 遠くから戦闘音が鳴り響いている。すぐにでも戦場へ戻りたいだろうに、母は真摯に向き合ってくれた。ここで逃げると答えても、母は絶対にラムダへ負の感情をぶつけることはないだろう。


 どこか安心したような微笑みを浮かべて「じゃあ、気を付けてね」と、まるで家から送り出す声音で別れを告げるだろう。


 それがわかっているのに、今日体験した数々の恐怖や失敗が心を砕くのに、なぜだか逃げるという選択をすることができないでいた。


 急かされることなく、母親がじっと見つめる前で数秒、考えて――。


「ごめん、お母さん」


 ラムダはようやく発言した。そうすれば母はやはりどこか安心したような笑みを浮かべて……ラムダはそれを横目にドラゴンを埋める瓦礫を取り除き始める。


「私は、まだ答えが出せない」


 何か言おうと口を開いた母を制するようにラムダは言った。


「騎士を辞めるか、続けるかは……この戦いが終わった後に考える」


 どっちつかずの答え。きっとこれが一番ダメな選択なのだろうことをラムダは理解していた。もしかしたら今度こそ、母に叱責されるかもしれない。失望されるかもしれない。


「きっと、ここで逃げたら一生後悔するから」


 この期に及んで自己本位な発言に嫌気が指す。でも、ここまで醜態を晒したのなら、あとは一緒だ。なら自分が納得する形で、終わらせてやる。


「そう、わかったわ」


 声音だけでは感情を読み取ることができない。けれど、ラムダは母の顔を見ることができなかった。


 瓦礫をどかすラムダの横で、母も瓦礫の撤去を始める。


「だったら、一緒に頑張りましょう」


 ただ、それだけ告げて、二人は黙々とドラゴンを掘り起こす。

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