変化

「にゃー(なにやってるんだ?)」


 膝に顔を埋めるラムダへ声をかけてみると、少しだけ顔を上げて俺のことを見る。しかし、反応はそれだけだった。動こうとする様子はない。


「にゃー、にゃー(救助が来たぞ。外に出よう)」


 伝わらないだろうが、一応話しかけながら足元まで近寄って行くと、ラムダは再び顔を伏せてしまった。


「放っておいてください」


 突き放すような言葉に戸惑いを覚える。救助が来ていることには彼女も気づいているはずだ。身体の怪我だって辛いだろうに、どうして放っておけだなんて……。


「私は、彼女とずっと一緒にいたのに守り切れないで、それどころか助けられてばかりで。それなのに私だけのこのこと、帰ることなんて……」


 詳しい事情はわからないが、仕事を失敗して落ち込んでいるようだ。


 攫われてからずっとアリィと共に下水道を彷徨い歩いて、やっと助かったと思ったら目の前で敵に連れて行かれて、責任を感じるのは理解できた。


 でも、仕方ないだろ。あれは。誰が一緒にいても結果は同じだったはずだ。若く、経験の浅い彼女ならなおさら困難な仕事だったはずだ。


 それなのにあと一歩の所まで連れて来られただけでも上出来だって。君はよくやったよ。後は他の連中に任せて、俺たちは休もう。


 俺だってボコボコにされて、目の前で大切な人を攫われて……これまでの行いが全部間違っていたんじゃないかって、泣き出したい気分だ。


 もしも人間の姿だったら、もっと違った結果になっていたんじゃないだろうか。いいや、この体だったとしても、もっと上手いことやればアリィを守り切ることができたんじゃないだろうか。なんてことを考えないわけじゃない。


 だが、ああすればよかった、こうすればよかった、なんてのは結果論だ。大事なのはやったことや悪い結果を後悔することなんかじゃなくて、反省して次に活かすことだ。


 塞ぎ込んで泣いていたって何も変わらないし始まらない。まずはしっかり休んで、英気を養おう。


 そんな慰めや励ましの言葉すら、今の俺には伝えることができない。ミクロアの時にも思ったが、こういう時は本当にもどかしいし苛立ちを覚える。


 とにもかくにもこんな場所で縮こまっているわけにもいかないだろう。しかし、ミクロアのように噛みついて発破をかけるわけにもいかないし、どうやって連れて行ったもんか。人を呼んできてもいいが、こんな姿、あまり他人には見られたくないだろうし……。


「おい! なんだあれは!」


 ラムダの対応に悩んでいると驚く声が聞こえて来た。何事かと瓦礫から顔を出して様子を窺ってみるが、騒ぎは地上で起きているらしく、下からでは何で騒いでいるのかわからない。


 ちらりとラムダの様子を見るが、顔を上げようともせず塞ぎ込んでいる。ここまで騒ぎは聞こえているはずだが……仕方ない。ここもまだ安全だと確定しているわけでもないし、様子を見に行きがてら上から人を呼んで彼女を保護してもらおう。


 そう決めて、俺はぶら下がった縄梯子を伝い、地上へ出た。数時間ぶりのはずなのに、もう何日も太陽を見ていなかったかのような解放感。だが、空を覆う気持ち悪い存在のせいで、爽快感はあまり得られなかった。


 空には星型の模様が肉の線によって描かれている。今、俺たちがいるのは円を構成している部分の真下あたりだ。近くには大きな塔が屹立しており、天辺付近には俺たちを襲っていたであろう大口のついた触手が蠢いている。


 なんちゅう悪趣味な、と思いつつ何があったのか確認しようとして、模様が形を変えているのに気が付いた。


 星を形成する肉筋は、蠢きながら根を伸ばすように体積を広げていく。それは規則的な物であり、新しい何かを描き出そうとしているのが見て取れた。周囲を確認してもみんなが一様に空を仰ぎ見ながら経過を見守っている。先の騒ぎはあれが原因のようだ。


 徐々に形を変えていく模様。それにどこか既視感を覚える。そんなはずないだろう、と頭の中で否定しながらも、どこかで見たことがあるような感覚は勝手に記憶の中を探っていく。


 そうして、既視感の正体が転移魔法陣と似ているから、という事実を突きつけた。


 若干、違うところはあるが創作過程から完成まで、ずっと傍で見て来たのだ。間違いない。


 同時に、仮面の男の目的が”異界の神”とやらの復活であることを思い出す。絵本では勇者と共に別の世界へと追放された存在。それを転移魔法陣を使って呼び戻すつもりなのだ。


 これを完成させるのはマズい、と直感する。だが、俺にはどうすることも出来なかった。これはもう、個人でどうにか出来るレベルを超えている。一介の猫にはなおさらだ。


 それでも、脳は回る。どうにかして止める方法はないかと。諦めるな、必ず方法はあるはずだと、心は叫んでいる。


 その時、魔法陣の中心から何かが落ちるのを目撃する。米粒レベルの大きさでしか捉えられないそれを、俺は人影だと認識した。その人影は町の中心部へと落ちて行く。


 瞬間、駆け出す。魔法を止めるなら、発動させる前に実行者を倒せばいい。今はそんな選択肢しか思い浮かばなかった。


 エクルーナ所長へ知らせようにも、伝える手段がない。遠聴魔法は音しか拾えないから。近くに紙やペンがない以上、誰かに協力を仰ぐ術はない。こんなことになるなら首輪にペンくらい仕込んでおけばよかったと今さらながらに後悔する。


 走りながら、自分が行ってどうにかなるのか。という疑問が浮上する。下水道では手も足も出なかったのに。


『おい、兄弟! 何か見つけたのか?』


 後ろからシャム猫が追い付いてきた。


『たぶんだけど、アリィを連れて行った仮面の人間が町に降りて行った。そこへ行けば、アリィに会えるかもしれない』


『本当か!? じゃあ急ごうぜ!』


『けど、そこには仮面の男もいるんだ。俺たちだけで勝てるかわからない……』


『アイツもいんのか! 好都合じゃねぇか。一発、噛みついてやらねぇと気が済まないと思ってたところなんだ!』


 状況を理解していないのか、シャム猫は意気揚々と言い放つ。


 こいつは本当に――呆れると同時に、その無鉄砲な前向きさには救われる。


『そうだな! ケツに噛みついて吠え面かかせてやろう!』


 意気込みを新たに俺たちは町を駆け抜けた。


 しばらく行くと、見覚えのある場所にやってくる。この辺りはパン屋の近くだ。その角を曲がれば、破壊された家屋と大穴の空いた地面。そして人影が見えた。


「レノアさん! 気持ちはわかりますが、避難しましょう。ここは危険です!」


「私のことは構わず、オルトさんは逃げてください。私は最後まで、この店でアリィを待ちます」


 レノアとオルトだ。まだ避難していなかったのか。どうやら店から離れようとしないレノアをオルトが説得している最中のようだ。隣には大剣が地面に突き刺さっている。オルトの武器だろうか。


 母親としては子供が帰って来る可能性が少しでもある場所から移動したくはないのだろう。気持ちはわかると思う反面、今はそれどころじゃないだろう。とも思う。


 今は彼女たちに構っている暇はない。そのまま走り抜けようと、速度を落とすことなく二人へと近づいて行く。


 ふと、レノアと目が合った。彼女は瞠目し、俺を凝視する。


 レノアたちの前を通り抜け、少し進んだ所で俺は立ち止まった。


『おっと、どうしたんだ?』


 怪訝な様子でシャム猫が問いかけてくるが、俺は返事もしないでレノアの方をじっと見つめ返した。


「にゃん!(ついて来い!)」


 伝わると思わない。それでも俺は、レノアへと声をかけた。それに応じて、レノアは走り出す。それを確認して、俺も駆け出した。


 直感、とでもいうのだろうか。恐らく彼女は俺がアリィの居場所を知っているとわかったのだろう。ちゃんと伝わってよかった。


「ちょっ、レノアさん!? どこへ行くんですか!」


 そしてその後ろを慌てて大剣を引き抜いたオルトが追いかけるのだった。

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