絶体絶命

 最悪だ。満身創痍の状態でこいつが現れるなんて。まともに動けるのなんて、もう猫である俺たちだけしかいないぞ。


 退路も断たれ、戦うしかない状況下で、ただでさえ得体の知れない相手を猫だけで倒すことなんで出来るのか?


「あんたは……!」


 人間側でいち早く反応したのはモータルだった。よろめきながらも立ち上がり、仮面の人物を睨み付ける。


 次いでラムダも警戒した面持ちで前に出て、ミクロアが真っ青な顔を上げると瞠目した。


「な、なんで、こいつが……」


 仮面の男は光球の光がギリギリ届く範囲で立ち止まると、起伏のない声で話し始めた。


「全く、大人しくしてくれないと困るじゃないか。そっちから来たってことは、かなり危ない目に遭ったんじゃないのか?」


 まるで俺たちなんて見えていないように、男はアリィへと語り掛けている。


「あなたは何者ですか? どうしてこの子を狙うんです」


 ラムダが厳しい口調で問いかけると、男は首を傾げる。


「これから死ぬ人間がそれを知ってどうするんだ?」


 瞬間、ラムダは駆け出して拳を振るった。それを男は後ろに飛んで軽々と回避すると、言葉を発する。


「××――××――××」


 あの呪文だ。それを聞いてラムダは大袈裟なほど後ろに飛んで距離を取る。その直後、ドズンッと重々しい音がして、ラムダのいた場所の地面が割れた。


 まるで何かが殴りつけたかのような破壊跡に、猫たちが後ずさる。


 また、あの見えない攻撃だ。魔法であれば、風を操ったとしてもある程度は視認できるのに、あいつの攻撃はまるで見えないのだ。


『みんな、もっと下がれ! 絶対に近づくな!』


 相手の攻撃の正体を掴まなければまともに近づくことさえ出来ない。無策で突っ込めば、あの地面と同じようにたちまちミンチにされるのがオチだ。猫たちは俺の忠告に従っている、というよりかは男の異様な雰囲気に呑まれて恐怖している感じだ。


 どうする、と考えている間に男が足を踏み出した。ゆっくりとこちらに向かって歩きながら淡白に告げた。


「あまり抵抗するな。途中にいた邪魔な人間を片付けて疲れているんだ」


 それはまさか、俺たちが期待していた援軍か? どうやら俺たちの元へ辿り着く前にやられてしまっていたらしい。通りでいつまで経っても来ないわけだ。


 男が近づくのに合わせて俺たちは後退する。しかし、ラムダだけはその場に留まっていた。


 まさか戦うつもりかと彼女の様子を横目で窺ってみれば、その顔にはさっきまでの威勢はなく、微かに震えていた。完全に怯え切っている。


 このままじゃヤバい、と声をかけようとした刹那、男が言った。


「邪魔だ」


 虫を払うように右手を払うとラムダの身体が勢いよく後ろへ吹き飛ぶ。


「きゃあっ!」

「おねえさん!」


 後ろにいたミクロアが悲鳴を上げ、アリィが叫ぶ。光源の範囲外でガン、ガシャンと鈍く痛々しい音を響かせて、その後は何も聞こえなくなってしまった。


 男はさらに歩みを進める。男から離れるためにかなり後退していたのか、横でモータルとミクロアが立ち上がり、小冊子を取り出して臨戦態勢に入ったのが横目で分かった。


 くそっ、こうなったらやるしかない! 一か八か、突っ込んで喉元に噛みつけば隙くらいは作れるだろう。後は後ろの二人がどうにか切り抜けてくれるのを祈るしかない。


 覚悟を決めると同時に、突然上から抑えつけられるような重力がのしかかり地面に抑えつけられる。同時にミクロアとモータルの足が地面から離れた。


 顔だけ動かして二人の様子を見てみれば、まるで首元を誰かに締め付けられるように、手形に凹んでいた。


「お前たちは先に潰しておいた方がよさそうだ」


 二人の首を絞める手に力が籠められるのが見て取れる。俺の上にのしかかる何かも重さをも増し、俺の身体が圧迫されていく。


「やめて!」


 アリィの声が響いた。圧迫感の増加が止まった。そうして男は顎に手をやって逡巡する仕草を見せる。


「ふむ、暴れられも面倒だ。大人しく付いてくるのであれば、こいつらの命は助けてやる」


 男の申し出に、アリィはグッと拳を握り締める。彼女のが敵の手に渡れば俺たちが今までやって来たことの全てが水の泡と化す。それどころか、もっと酷いことになるかもしれない。


 それでも、アリィは俺たちの命を優先するため、頷いた。


「わかった。だけど、その前におねえさんの治療を……」


「駄目だ。これ以上、時間をかけられない。すぐに来ないのであればコイツらを殺す」


 唇を嚙み締め、ちらりと後ろを――ラムダの方を振り向くアリィ。


「早くしろ。さもなくば――」


 男が力を込めたのか、身体への負荷が増えて自然とうめき声が漏れ出てしまう。


「わかったから! おねがい、やめて……!」


 アリィの言葉を聞いて力は弱まった。しかし、まだ動けるほどではない。それを確認して、アリィは男へ向かって歩き出す。


 俺たちの横を通り抜け、震える体を必死に抑えつけながら幼い彼女は自分の身を捧げようとする。


『おい、どうする!? このままじゃアリィが連れて行かれちまうぞ!』


 シャム猫が叫ぶが、俺にはどうすることも出来なかった。全員が一斉に飛び掛かったとして、何匹かの爪や牙は届くだろう。だが、それだけだ。男に傷を与えることは出来ても状況は好転しない。無駄に命を落とすだけだ。


『落ち着け、何もせず、じっとしてろ……!』


 押し潰されそうな重圧の下で、俺は言う。


 頼りの人間勢が手も足も出せずにやられた今、俺たちが取れる選択はこのままじっと脅威が去ることを待つことだ。


『生きてさえいれば、助けられるチャンスは来る。だから今回は、諦めよう……』


 勝てない戦いを挑んで無駄に死ぬくらいなら、生き延びることに注力するべきだ。それが、最良の選択だ。


 そんな言い訳で自分を納得させている間に、アリィの身体が宙へ浮く。まるで大きな手で鷲掴みにされているような恰好で。


 フッ、と俺の上に乗っていた重圧が消える。同時に二人の拘束も解かれたのか、両膝を着いてゴホゴホとせき込む。


「じゃあ、さよならだ」


 男が背を向けて去っていく。その間際、男の呟くような声が耳に届いた。


「××――××――××」


 呪文だと分かった刹那、目の前に人の頭ほどの黒い球体が現れる。バチバチと音を鳴らして、数瞬の間空中を漂うと一気に収縮し――。


「ヤバい!」


 というモータルの声と駆け出す姿を見た瞬間、収縮した球体は力を解き放ち、強烈な爆発を巻き起こした。


 その事実を悟ると同時に、俺の意識はぷっつりと途絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る