闇の底で

 囚われている人間は十数人、その全てが意識を失った状態だ。女性二人と猫十数匹では到底、運び切れる数じゃない。アリィのことも心配だし、ここはひとまず置いといて他を探すか。いや、しかし探知魔法はもう使えないし、助けられるだけ助けて戻るべきだろうか。


「とりあえず、所長に報告しとこう」


 呟いてモータルが振り向く。俺と目が合って、驚いたリアクションをしてから俺の前にしゃがみ込んだ。


「君は本当に首を突っ込むのが好きだねぇ。首輪、ちょっと触らせてねぇ」


 彼女は俺の頭を撫でながら、もう片方の手で首輪にかかったタグに触れて遠聴とおちょうの魔法を発動させる。と、すぐにエクルーナの声がした。


『もしもし、誘拐された子供は見つかった?』


「子供はまだなんですけどぉ、エルフの人たちがたくさん捕まってる部屋を見つけました。ジャスタさんもいるので、たぶん失踪事件の当事者だと思うんですけどぉ」


 どうやらモータルもジャスタには気が付いていたらしい。知り合いがいたんならもうちょっとリアクションを取ってほしかったな。


『生きているの?』


「はい。意識を失ってはいますが。どうしましょう、とりあえずジャスタさんだけでも助けます?」


『他の人間とは、まだ合流できていないのよね?』


「はい。あたしとミクちゃ……ミクロアの二人だけ、あ、猫ちゃんの集団もいます」


『……それだと救助者を運ぶには危ないわね。今、生きているのならすぐに殺されてしまうこともないでしょうし、ひとまず目印を付けて子供の捜索に戻ってちょうだい。子供の保護を優先しましょう』


「了解しましたぁ」


 本心ではジャスタを助けたいのだろうが、優先事項を明確に指示できるのは素晴らしいことだと思う。


 まあ、俺たちだけじゃ救出した所で敵に襲われて返って危険に晒すのがオチだろうし。それはエクルーナも理解しているだろう。


 通話を終了してモータルは立ち上がる。


「じゃぁ、いっちょやりましょうかぁ」


 どこに描こっかなぁ、と部屋の物色を始めるモータル。対して俺は手持無沙汰

になってしまってどうしようか迷う。正直、一分一秒でも早くここから出たいのだが。


 しかし、こういう場所で単独行動はだいたい死ぬか、洗脳とかされるのがお約束だし、我慢して作業が終わるのを待つか……。


 やれやれと、腰を落ち着けて何気なく壁を見た。この時、どうして上を見たのか自分でも分からない。ジャスタの様子でも見ようとしたのか、それとも本能的なものか。


 なにはともあれ、視界に映った光景を目の当たりにして、俺は心底後悔した。

 壁に埋まっていた人々の眼が、開いていた。さっきまで静かに眠っていた全員が一様に、じっと俺たちの動作を見つめていたのだ。


 意識が戻った。とは思わなかった。ただ底知れない存在が自分を認識した。それを意識的に理解した瞬間に全身が嫌悪感に包まれ総毛立つ。モータルへ知らせようかと思ったとき、人々は同時に口を開く。


「「「――××――××――――××」」」


 寸分の狂いなく、十数人の人々が全く同じ言葉を唱え始める。しかし口から発せられる言語は俺には到底理解の出来ない代物で、それが余計に精神を食い潰していく。


「な、なに……!?」


 ようやくモータルも異変に気付き、流石にぎょっと度肝を抜かれた様子だった。突然の異変に対して身動き一つ取れない俺の視界の片隅で、黒い物体が現れる。なんとか目だけを動かして新たに発生した現象を確認してみれば、まっさらな壁の魔法陣が描かれていた位置に、黒い穴が空いていた。


 それは紛れもなく転移魔法を発動させたときに現れる空間の穴であり、その向こう側から虹色の目玉が覗いていた。


 ズズッ、と細長い腕が穴の中から這い出て来る。一本、二本、三本、四本と四方へ伸び、内側に折れると壁に掌を付けて自分の身体を外へと引っ張り出してくる。


「これは、さすがに、ヤバいよねぇ……」


 通路に蔓延る肉塊を見た時にも同になかった彼女の顔が引き攣り、冷汗を流しながら俺の方を見た。俺もモータルの方を見て、頷く。


 俺たちは同時に脱兎の如く駆け出した。


 透過魔法が発動されている壁に体当たりする勢いで駆け込み、ミクロアたちの待

っている通路へと飛び出す。


「ひぁっ!?モータルさん、どうし――」


「手を離して! 早く!」


 引っ張ってミクロアを壁から引き剥がす。直後、ドォンッ! と巨大な物体が衝突する音が響き渡った。


 どれだけの厚さがあるのかは分からない。だが、さっき転移魔法を通過してやって来た化け物は何度も壁を攻撃しているのか、衝撃音は断続的に鳴り響いていた。


「逃げるよ! 走って!」


 叫びながらモータルが駆け出し、少し遅れてミクロアと俺たちが続く。しばらくして、背後から石壁が突き破られる音が轟いた。


 振り返っても暗闇しか見えないが、大きな生物が猛スピードで追いかけて来ているのが音で分かる。


 そう思ったのも束の間、光源の範囲内まで化け物が追い付いた。漆黒から現れたのは四つ手、一つ目の蜘蛛のような化け物だった。体長は三メートル程だろうか、腕(脚?)が長いからもっと大きく感じる。


 モータルは小冊子から一枚の紙を破り取ると、振り返って地面に手を付けた。俺たちと化け物の間に半透明の魔法の防壁が展開される。


 ビタァンッ! と化け物は突如として現れた壁に激突し、振動で周囲が揺れた。一瞬、防壁にヒビが入るがすぐに修復される。


「こいつはここで倒そう!」


「え、えぇっ!? 本気で言ってるんですか!?」


「走っても逃げられないんだからしょうがないでしょ! 手伝って!」


「うぅ~」と今にも泣き出しそうな声を上げながら、ミクロアも逃げ切れないと悟ったのか覚悟を決めたようだった。


 化け物は防壁を破壊しようと、がむしゃらに四つの腕で殴りつけてくる。防壁はヒビが入っては修復を繰り返しているが、徐々に修復が追い付かなくなって来てヒビが多くなっていく。


 ミクロアはそんな、いつ破られるかもしれない防壁へ駆け寄ると、こちらも小冊子を開いて防壁に触れた。


 ミクロアが魔法を発動させると、平面だった防壁が数多な棘を形作り、化け物の腕や体を貫いた。


 予期せぬ反撃に化け物が怯んで後退する。その隙にモータルは防壁を消すと、新たな魔法を発動させる。一陣の風が、痛みにもがく化け物の腕を二本、切り裂いた。


 残った方の腕が横薙ぎに振るわれ、ミクロアに迫る。咄嗟にモータルがミクロアの服を引っ張って後ろに後退させるが、逃げ遅れたモータルが攻撃に巻き込まれて、壁に叩き付けられる。


「モ、モータルさん……!」


「あたしは大丈夫だから、攻撃を続けて……!」


 化け物の掌と壁に挟まる形で拘束されながらもモータルは言った。ミクロアが意識を化け物へ戻し、魔法の準備を始める。


『おい! こっちからもなんか来てるぞ!』


 外野と化していた猫が叫ぶ。振り返れば反対側の通路から、虹色の目玉が迫ってくるのが確認できる。


『ど、どうすればいいんだよ!』


『全員であっちの足止めだ! 絶対に人間たちの邪魔をさせるな!』


 俺は指示を飛ばしながら新手に向かって駆け出した。もし、二人のうちどちらかを失えば戦況は不利になって一気に押し切られる。というか、こんな狭い場所で挟み撃ちにされたらそれこそ終わりだ。


 向かい討つ形で迫る眼玉。そうして現れたのは背中から触手を生やした四つん這いの人型の化け物だった。


 俺たちは人型の化け物に向かって一斉に飛び掛かる。化け物は応戦するためか立ち止まり、俺が目玉を引っ掻けば両手で顔を抑えて蹲る。


 畳みかけるように猫たちが化け物の足や首へと噛みついてく。しかし、やはり猫の攻撃力などたかが知れているようで、まるで効いている様子はなかった。


『目玉だ! 目玉を狙え! 背中の長いヤツに注意しろ!』


 鞭のように振るわれる触手を掻い潜りながら、俺たちは必死に戦った。相手の体長は三メートル前後、触手の攻撃は岩をも穿つ威力を持っている。猫の身であれば何かしらの攻撃が当たるだけで致命傷だ。


 いつまでも足止めをしていられない。ちらりとミクロアたちの様子を窺えば、左右の壁から伸びた石柱に押しつぶされる化け物の姿が視界に入った。


「モータルさんはとどめをお願いします! わたしはあっちを」


「了解、任せて」


 というやり取りを経て、ミクロアがこちらへ駆けて来た。タイミングを合わせて、俺は再び人型の眼玉を引っ掻いて怯ませる。


『みんな! 一旦、離れろ!』


 俺の指示に猫たちは迷いなく応えた。そこへすかさず、ミクロアは魔法を発動させて攻撃を繰り出す。


 ポゥッ、と新しい光球が現れて収縮したかと思えば、一筋の光線となって化け物を貫いた。

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