虎子か猫か
「……さすがにこれは、引き返した方が、いいんじゃない?」
今にも震えそうな声でミクロアが告げる。
ここまで来て引き返すのか、と思うが流石に相手の規模が大きすぎる。もし俺たちの周りに蔓延っている血管のような物が生物由来だった場合、少なくとも数キロ単位のデカい化け物がいることになる。そんな相手に研究職員二人と、猫数十匹でどうなると言うのだ。
「でも、この先になにがあるか、ちょっと気にならない?」
モータルの世迷い事にミクロアが、えっ、と声にならない驚きを表情で示し、ぶんぶんと力強く首を横に振る。
「き、気にはなるけど、ぜ、絶対に危険だって……! 引き返して、みんなと合流しよう? 調べるのはそれからでもいいじゃない」
「結構歩いて何もなかったし、大丈夫だってぇ。せっかくこんな奥まで来て収穫なく引き返すのはもったいなくない? それに、所長も言ってたけど時間はないんでしょ?」
「うぅ、まあ、そう言ってたけど」
「ちょっとでも異変があったら全力で逃げよう。大丈夫だって、猫さんたちもいるんだし! 良く言うでしょ。望む結果を得たいなら危険は冒すべきだって。研究でもずっとそうしてきたじゃん」
あまり頼りにされても困るんだが……しかし、今から引き返して、さらにそこから援軍を待って、もう一度同じ経路を辿る。というのはあまりにも非効率的だ。
時間に余裕がない現状だとなおさら、何かしらの正かは欲しい所ではある。出来ることならアリィたちの生存確認くらいはしておきたい。
だが、モータルの意識は攫われた人間の奪還より、目の前の未知に対する興味の方が強いように思える。
彼女の、虎穴に入らずんば虎子を得ず、という姿勢は立派だと思うが、好奇心は猫を殺す事態になりそうな気がしてならないんだが……。
「ほら、行こう。あんまりもたもたしてると魔力が尽きちゃうよぉ」
半ば強引にモータルは再び歩き出す。流石に一人で戻ることも出来ないのか、ミクロアは慌てて彼女の後に続いた。人間たちが行くならと、俺たち猫集団も恐々進み始めた。
『うぅ、気持ち悪いな。まるでなんかの腹の中にいるみたいだぜ』
『変な言うの、やめろよ……怖くなるじゃんか』
猫たちがボソボソと恐怖を共有している。そういう会話は死亡フラグになりかねないからあんまり言わない方がいいぞ。そう注意しようと思ったが死亡フラグが伝わらないだろうと気づいて止めた。
代わりに喋ると敵に見つかるぞ、と言葉を変えて伝えておく。
そうしていると分かれ道へとたどり着いた。立ち止まり、光球で左右の道を照らしてみる。
Y字型になった通路。血管の数は倍増し、天井は完全に肉塊で覆われていた。遠目に見ても分かるくらい脈を打ち、左から右へ流れるように伸びている。
俺たちの通って来た道にあったのは、行き場を間違えた枝の部分だったらしい。太さも段違いだ。
探知魔法の煙は左へと向かっていた。恐らく、この血管の根元がある方向だろう。
いよいよ、かなり深部へと近づいてきた感じがする。通路は左右、どちらに進んでも禍々しい空気が濃いようだった。
『ほ、本当に、先へ行くのか?』
今まで付いて来てくれていた猫から弱気な声が上がる。俺も異様な空気に当てられて腰が引けるほどだった。しかし、ミクロアたちはそんな空気を感じないのか、それとも好奇心が上回っているのか、どちらへ行くべきかを話し合っていた。
『そうするしかないだろうな。あの光る玉がないと、戻れないし』
振り返れば光の届かない箇所は漆黒に染まっている。まるでそこから先が存在していないかのようだ。来るまでにも道はかなり分かれていたし、いかに猫だとしても暗闇の中、来た道を戻るのは至難の業だろう。
『いまさらながら、ついてきたことを後悔するぜ……』
『これもアリィのためだ。頑張ろうよ』
慰め合う猫たちとは裏腹に、ミクロアたちは進路を左へ決めたようだ。一度決めたら彼女たちは強い。少し恐怖はありながらも、躊躇なく左の通路へと入っていく。
さっき似たような文言を聞いたからだろう、まるで巨大な生物の口の中へと自ら入っていくような錯覚に陥り、俺たちは動けないでいた。
それでも光源が離れて行ったことで闇が迫り、呑まれないようにと俺たちは二人の後を追いかける。
幸いにも謎の肉塊は床まで侵出していないようで、歩く分には問題なさそうだった。しかし天井とその付近は完全に埋まっているので精神的にはかなりキツイが。というか、こんなのが自分の住む町の足元にずっといたとか、考えるだけでもゾッとする。
「あれぇ?」
そんな中で、モータルが声を上げた。今度はなんだと様子を窺ってみれば、探知魔法の煙が途切れてしまっていた。けれど周りにはアリィや仮面の男はおろか、人の気配すら感じられない。
「ここで終わり?」
「未完成品だからねぇ……最後まで辿り着けなかったのかも」
突入前に未完成品だとは聞いていたが、やはり不確定要素を含んだ物に頼るのはマズかったか。結局、アリィの痕跡すら見つけることも出来なかったが、駄目だったのはしょうがいない。ひとまず戻って他の連中と合流しよう。
「あれ、モータルさん、ちょっと待って」
引き返そうか、という空気の中でミクロアが呼び止める。光球を操作して壁に近づけ、通路の石壁を注視していた。
「この辺りだけ、なんだか煙が濃くない?」
「えぇ……? そう言われてみれば……」
ミクロアに言われてよく見てみれば、探知魔法の煙は壁に弾かれ霧散しているような動作をしていることが分かった。見た感じでは何の変哲もない石壁だが、この先に通じる道でもあるのだろうか。
二人はしばらく壁を探って、ミクロアが「あ」と声を上げる。
「魔法陣があります」
「こっちにも。これって……透過魔法?」
小さな魔法陣が四つ、四角形になるよう配置されているようだった。透過魔法、といえば商船に描かれていた物体を通り抜けられるようにする魔法もそうだったと思い出す。
「結構、古いタイプだねぇ。魔法を送り続けてないと発動しないヤツだよぉ。これ」
「こ、この先に、何かあるのかな」
「まぁ、あるだろうねぇ。こんな場所でさらに隠してるんだから」
複雑な通路に全く明かりのない暗闇、加えて小さな魔法陣となれば発見するのは、ほぼ不可能だろう。壁の向こうに敵にとって大切な何かがあるのは間違いない。もしかすると、アリィが幽閉されているかも。
「じゃぁ、あたしが調べてくるから、ミクちゃんは魔法を発動しておいて。いつでも逃げられるように」
「わ、わかった」
ミクロアは恐る恐る魔法陣へ触れると魔法を発動させる。
「じゃぁ、行ってくるよぉ」
「き、気を付けてね!」
『みんなは待っていてくれ。なにかあったらすぐに呼ぶから』
『お? おお、わかったぜ』
何が起こっているのかいまいち理解していない猫たちに告げて、モータルが壁の中へと入って行くのに付いていく。
数舜、真っ暗闇の中で全身を圧迫されるような感触を覚えつつも、それはすぐに解消されて視界が開ける。そうして現れた光景に、思わず息を呑んだ。
正方形の広い空間。その左右の壁一面を肉塊が覆っていて、蠢きながら仄かに光を放っている。そして、肉壁には顔だけ出した状態で人間が埋もれていた。この世ならざる光景に、吐き気が込み上げる。
今すぐに踵を返して逃げようかと思ったが、モータルはまるで動揺しておらず「うわぁ」と言いながら辺りをじっくりと観察している。コイツ、もしや人間じゃないのではなかろうか?
しかし、冷静な人間が近くにいると自然と心は落ち着くもので、ビビりながら俺も肉壁の観察をしてみる。薄暗くてよく分からないが、微かに呼吸音が聞こえるので死んではいないのだろう。
ぱっと見た感じ、アリィはいないようだ。というか子供はひとりも囚われていない。そこは幸いか。
そして気づく。ここにいる人間は全て耳の長い人種だと。もしやと思い男の顔を重点的に見て回ってみれば、ジャスタを発見した。
中段くらいの位置だ。頑張れば登れそうだが、そうすると嫌でも肉壁に触れなければならなくなる。それはちょっと遠慮したいので、ひとまず一度モータルへ知らせてみることにした。
あらかた左右の観察を終えたモータルは正面の壁へと興味を移しているようだった。全く謎の肉塊の浸食を受けていない不自然なほどに白い石壁。そこに直径三メートルはありそうな魔法陣が描かれていた。
「これ、転移魔法……? ちょっと改良されてるみたいだけど」
言いながらモータルは壁の魔法陣を書き移し始める。一分もかからず模写は終わったようで、壁に捕らわれている人々へと意識を戻した。
「というか、どうしよ……これ」
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