先の見えない暗闇
最後に見た光景は周りを白く細い物体が囲んだこと。そしてそれが私を包み込んだのだと理解する。
痛みはないが体を動かすことができない。視界は完全に塞がれているが、激しい振動を感じることから、どこかに移動しているのだと察する。
狙いはエルフの子供だろう。私は近くにいたからたまたま捕まっただけ。目的地に着いたらどうなるだろうか、やはり殺されてしまうだろうか。
せっかく気持ちを立て直した矢先になんてことだろう。それとも、自分勝手な行動に対して罰が当たってしまったのだろうか。誰かを守る覚悟もないのに、ただ自分が”騎士に憧れている”という不純な動機で踏みとどまってしまった罰が。
地面から現れた敵に対処できなかったのは、その覚悟が足りなかったから。結局この事態は私の甘さが招いた結果なのだろう。それに巻き込んでしまって本当に申し訳ない気持ちが溢れてい来る。
せめて子供だけでも逃がしたい。けれど体はがっちりと固定されてしまっていて強化魔法を発動させたところで身動きすら取れなかった。関節部分すら動かせないといくら身体強化をしたところでお手上げだった。
脱出するには解放された瞬間、私を殺すにしろ拘束するにしろ、一度現在の縛りは解かれるだろう。その一瞬で反撃に転じるしかない。その時がきっと、私に残された最後のチャンスだ。
正直に言ってしまえば今にも恐怖で気を失ってしまいそうだった。それでも、私よりか弱く怯えているであろう子供を前にこれ以上の醜態を晒すなんてことは、最後の騎士としてのプライドが許さなかった。
覚悟を決めている間に揺れはが小さくなっていることに気が付く。目的地に近づいたのだろうか、さっきまでの走っている、という感覚はなくゆったりとした動作になっているようだった。
突然、何かが弾けるような衝撃が加わって浮遊感が襲う。視界は依然として真っ暗なままだが、吹き飛ばされたのだと理解して、その瞬間に着地の衝撃が身体を襲う。
真っ暗闇の中、地面の感覚を頼りに立ち上がると、不意に視界が明るくなった。半円状の通路の中で小さな光球が浮かび、周囲を照らし出す。狭く長い通路にはパン籠を大切そうに抱えるアリィと、その足元に白っぽい色の猫、そして太った人間のような化け物が横たわっているのを目撃する。化け物の背中に大きな穴が空いた。
「おねえちゃん! 大丈夫?」
子供が駆け寄って来る。彼女に追従するように光体もこちらに近づいて来た。いきなり暗闇から光に晒されて眩しさに目を細めながらも、なんとか状況を理解しようと頭を働かせて、どうやらこの子の魔法のおかげで助かったのだと理解する。
「あれは、あなたが……?」
「う、うん。おかあさんの真似だけど」
流石はエルフといったところだろうか。けれど、まさか護衛対象の子供に助けられてしまうとは……。
のそり、と化け物が起き上がる。背中の傷は徐々に塞がりつつあった。
「とにかく逃げましょう! 走って!」
彼女の手を取って私は走り出す。その後を猫も付いてきた。少しして化け物が動き出して追いかけて来るのを気配で感じる。
ここがどこで、どうやって逃げればいいのかもわからない。隠れられる場所もない。このまま逃げ続けるのは無理だとすぐに悟った。
迎え撃つしかない。頭の中で母親の顔と昨日の景色を思い出し、自分を無理やり鼓舞して私は子供の手を離して振り返った。
物凄い勢いで四つん這いの巨体が猛スピードで追ってくる。背中では触手が蠢き、不気味な目玉が目前に迫る。恐怖を感じる暇もなく、私は戦う覚悟を決めた。
魔法を発動させ、まずは進行を止めようと足腰に力を込めた。直後に巨大な体が私に容赦なくぶつかった。骨身に染みる衝撃、足の裏が地面と擦れて甲高く耳障りな音が反響して大きくなって帰って来て頭の中に響き渡る。
さらに足に力を込めれば今度はガリガリと地面を削る音に代わり、数秒の後退の後ようやく敵の進行が止まった。視界の隅で目玉が私を見たのを捉える。どうやら今まで眼中にすらなかったみたいだ。
それが今、私を認識した。その事実で身体が強張ってしまう前に、右腕を引いて無防備にさらけ出されている化け物の腹に拳を叩き込んだ。
ぐにょりと固くも柔らかくもない不愉快な感触を経て、化け物は後ろにひっくり返る。手足をもぞもぞと動かしてもがく姿は気持ち悪くて鳥肌が立った。
追撃しなければならないのに、今さら恐怖がやって来て筋肉を震わせる。戦うのではなく逃げろと、本能が叫んでいる。それでも私の後ろには守るべき人がいて、ここで逃げるわけにはいかないと臆病な本能を抑え込んだ。
「おねえさん、こっち!」
不意に呼ばれて振り返れば、アリィが通路の横道から顔を出して手を振っていた。私はほとんど反射的に走り出して、アリィの元へと駆けていく。すぐ後ろで化け物が起き上がったのを気配で感じた。
けれど化け物が本格的に動き出すよりも早く、私は横道に飛び込む。さっきまでいた通路とは違い、直径が一メートルにも満たない細い道だった。アリィは身を屈めて走ることができるが、私は這うようにして奥へと進んで行く。
「フシャーッ!」と、私の目の前で猫が威嚇した。視線は私の後ろを向いているのがわかって、思わず振り返る。
うねりながら、化け物の触手が追いかけて来ていた。慌ててもっと奥まで逃げていくと、触手は途中で追ってくるのを止めた。どうやら五メートルくらいしか伸ばすことができないみたいだ。それでもかなりの長さだけど、とにかくここまでは来られないようで安心する。
「とにかく、このまま進んでみましょう。どこかに出られるかもしれません」
アリィに言って、私たちは細い通路の更に奥へと進んで行く。いくら届かないとはいえ、見える範囲にあんな化け物がいたのでは落ち着かない。
数分の道のりを経て、細い道は終わり再び広い通路に出た。さっきと同じ、石壁で構成された半円状の長い空間。そこでようやく、ここが下水道の中なのだと察した。
前に一度、犯罪者が潜んでいるというので捕まえるために入ったことがあるけど、光源がないほど深い場所は始めて来た。ここはまだ他国との戦争が激しい時に作られた場所で、敵の進攻時に町中へ出られるように設計している上に、敵に利用されないためかなり複雑な構造していると聞いたことがある。
上層でさえ地図がなければ迷ってしまうほどに入り組んでいる場所だ。ただでさえ連れてこられた時には道を見ていないのに、適当に動いて私たちを探しているであろうさっきの化け物と鉢合わせするよりは、ここでじっと救助を待った方が賢明だろう。
私たちが下水道に連れ去られたのはすでに把握しているはずだけど、無事を知らせる意味も込めて本隊へ連絡を入れておこう。
「こちらラムダです。応答を」
いつもならすぐに返事が来るのに、今回は何の反応も返ってこない。何度か呼びかけてみたが、結果は同じだった。
もしかすると、パン屋を襲撃に来た化け物との交戦が続いているのかもしれない。それにしても、連絡が取れないなんてことは今までなかったのに……。もしかして何かあったのだろうか。
「ウゥ~……!」
不安を募らせる私の足元で猫が唸った。視線を下げれば私を見上げながら唸っている。なぜかアリィの近くに来て巻き添えを食ってしまった猫だ。どうしたのだろう、と頭上を仰ぎ見て、全身を悪寒が駆け抜ける。
天井付近に拳大の芋虫のような生き物が数十匹、張り付いていた。アリィの光源で照らし出された範囲だけでもこれだけの数がいるのなら、この空間にはいったいどれだけの――と考えかけて思考を止めた。意味のないことだから。
「どうしたの?」
釣られて上を向きかけたアリィの眼を慌てて覆う。
「上は見ないでください。とにかく先へ――」
言い終わらないうちにボトリ、と嫌な音がすぐ近くで響いた。天井の芋虫が、天井から落ちて来たのだ。そいつは身体を縮こまらせると、跳躍してくる。
「危ないッ」
私は咄嗟にアリィを引き寄せた。が、芋虫の狙いはアリィではなく魔法で造り出した光球だったようで、空中に漂う光球に張り付くと体の先端……恐らく口と思える部分を光球に吸い付かせる。
「な、なに……これ」
アリィが顔を真っ青にしながら呟いた。これは、任務に就く前、報告であった魔子を喰う虫だろう。まさかこんなに多くいるなんて。
「触らないでください。ここを離れましょう。静かに、魔法は使わないで」
そっと、天井の虫たちを刺激しないよう気を付けながら、私たちはその場を離れた。しばらくして光球は力を失い光が途絶えると、辺りは漆黒に包まれる。
私はアリィの手を引いて、暗闇の中を手探りで進み続けた。
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