追跡

「アリィー!」


 数舜経って、レノアの叫びがこだまする。爆発するような魔法の波動を周囲に放ち、近場にあった建物のガラスが割れた。至近距離にいた仮面の男は吹き飛びながらも、数メートル後退しただけに留まった。


 そんな男を無視してレノアは地面に空いた穴へと駆け出す。


 追いかけるつもりか!? いくらなんでも無茶だ。レノアを止めようと屋上から飛び降りたが、俺が着地すると同時に男の腕が伸びてレノアの背中に突き刺さる。


「おっと、追われると面倒だ。大人しくしておいてもらおう。ついでに、血もいただいておくか」


 ズズッ、と青白い男の腕がレノアに突き刺さる部分から血色を帯びていく。それが良からぬことだと察して、俺は咄嗟に男の腕に飛び掛かって思いっきり噛みついた。


「またオマエか。全く、いつもいつも邪魔ばかりして。鬱陶しい」


 しかし効いていないどころかもう片方の腕を俺の方へと向ける。ヤバい、と思った時にはもう腕は目前まで迫っていて――。


 刹那、目の前に人影が割込み伸びて来ていた腕を弾いた。加えてレノアに刺さっている腕も一刀する。


 さっきやられた男の騎士だ。無事、ではないようだがなんとか動けるようにはなったらしい。


 負傷しているにも関わらず、男の騎士は果敢に仮面の男へ斬り込んでいく。弾かれ、切断された腕を元に戻しながら仮面の男は地面を蹴ると建物の屋上まで退避した。しばらく俺たちのことを見下ろすと、背を向けて去っていく。


 追いかけようと思ったが、それよりもレノアのことが気にかかった。俺は地面に膝を着きながらも必死に立ち上がろうとするレノアの元へと駆け寄る。続いてピンチを助けてくれた男の騎士も辺りを警戒しながらやってくる。


「大丈夫ですか、レノアさん。とにかく傷の手当てを」


「私のことはいいから! アリィを、助けないと!」


「落ち着いてください! その怪我で追いかけても殺されてしまうだけです。とにかく、こちらへ」


 半ば引き摺るようにして騎士は待機所の方へとレノアを運んでいく。傍に付いていた方がいいだろうか、と迷ったが、それよりも俺は連れ去られた三名を救出することを優先することにした。


 左右ではまだ戦いが続いている。人間に頼ることはできない。俺は再び屋上に上がって、空に向かってめいいっぱい吠えた。辺りに散らばっている仲間に向けて、助けてくれと思いっきり叫んだ。


 事前に親衛隊として集まっていた十数匹はもちろん、俺の声を聞きつけて様子を見に来たであろう野良も集まって来た。


『みんな、聞いてくれ! 敵の襲撃を受けて、仲間が連れて行かれた。助けるのを協力してくれ』


 親衛隊を中心に、半ばお祭り騒ぎに便乗するようなテンションで無関係であろう野良たちも受け入れてくれる。


『よっしゃ! じゃあ、今すぐ追いかけようぜ!』


『待ってくれ、下水道は広く入り組んでいるはずだ。それに暗いし臭いしで満足に追跡も出来ないと思う、闇雲に追いかけても仲間を攫った奴らに辿り着けない』


『じゃーどーすんだよ!』


『せめて、ある程度の地の利が把握できればいいんだが……』


『町下のことなら、アタイ、詳しいわよ』


 そう言って名乗り出したのはサビ猫のメスだった。町下とは下水道のことだろう。初対面の猫だが、まさに渡りに船! 俺はサビ猫に詰め寄る。


『本当か!? 俺たちに強力してくれるのか』


『さっきの白いヤツでしょ? あいつら、最近アタイたちの縄張りでウロチョロしてんのよ。しかも、襲いかかってくるし。仲間だって何匹もやられたわ。追い出してくれんなら、力を貸すよ』


『もちろん、やっつけてやるさ。だから、案内を頼むよ』


『任せな、付いといで』


 サビ猫は立ち上がり、化け物の空けた穴から下水道に入って行った。俺もその後に続いていく。その場にいた全員、というわけではないが、相当数の猫たちが追いかけて来てくれていた。


 下水道内は臭いがきつく薄暗い。それでもサビ猫は迷いなく突き進んでいく。いったい何を目印に進んでいるのかは分からないが、気を抜いたらあっという間に見失ってしまいそうだったので黙って付いていく。


 どれくらい進んだだろうか、次第に速度が落ちて行き、立ち止まる。サビ猫の目前にはこれまでよりも大きな通路があり、水が勢いよく流れていた。しかし俺たちが通るには問題なさそうだ。


『どうした?』


『この辺りは水の臭いがキツイから、ここから先は奴らを臭いで追いかけるのは無理ね』


『そんな、ここまで来たのに……なんとかならないのか?』


 俺にはもうここがどこかすら分からない。頼れるのはサビ猫だけだ。彼女はしばらく逡巡して、口を開ける。


『それなら他の猫にも協力してもらいましょう。町下には結構な数の猫が住んでるからね。そいつらも白い奴らには迷惑してるだろうし、手を貸してくれると思うわよ』


『そうか、それなら――』


 俺は振り返り、付いて来ていた猫たちに指示を出した。


 下水道に住んでいる猫を見つけて、白い化け物についての情報を聞く。もし、それっぽい情報を聞いたら大きく鳴いて知らせること。絶対に単独で行動しないで、危険があったら逃げて仲間を集めること。などを告げた。


 親衛隊の猫たちを中心に、仲間たちが散らばっていく。それを見て、サビ猫は感心したように目を見張った。


『アンタ、かなりの数の猫を従えてんのね。もしかして、次のボスでも狙ってんの?』


『まさか、俺はただのんびりと暮らしたいだけだよ』


 ただ命の恩人の危機を放置して、一人だけのうのうと過ごすのが嫌なだけ。ホント、厄介な問題に足を突っ込んじまったと何度後悔したことか。


 全ては俺が馬車に轢かれたことから始まった。あの時、アリィが俺を助けてくれなければあそこで死んでいたのだから。


 だから俺は、彼女を見捨てることは出来ない。さっさとこんな問題片付けて、飼い猫ライフを満喫するんだ。


 そんなことを考えている間に、仲間の声が響き渡る。どうやら手がかりを発見したらしい。


 おしゃべりはそこまでにして、俺たちは駆け出した。仲間と恩人を救うために。



 仮面の男はたくさんの猫が穴の中へと入って行くのをぼんやりと眺めていた。


「やはり追いかけるか。しかし、地下はすでに我らの領域。猫どもは放っておいても問題はないか。それより――」


 騎士たちと戦い続ける同胞を見る。互角な戦いに見えるが、徐々に押されてきているようだった。あれでは最終的には負けてしまうだろう。


 これで本陣が出て来ていないのだから驚かされる。本気で子供を取り返しに来られたら面倒だ。ここは盛大に、搔き乱す。


「さあ、同胞たちよ。隠れるのは終わりだ。存分に、暴れろ」


 男は仮面を隠して空に向かって声を放った。しばらくして、町のあちこちから騒ぎが起こり始める。


 それを確認して、男は地下へ――手に入れた最後の鍵の元へと向かった。

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