猛襲

 襲撃された翌日、アリィは学校を休み、店も閉めることにしたようでいつもの賑わいはなく、周りには騎士隊が立ち並ぶという物々しい雰囲気に包まれていた。


 その中にはラムダもいて、昨日とは違い顔つきは落ち着いている気がした。


 出来る限りリスクを減らすために大通りからパン屋へ続く道自体を封鎖しているので変な人物が来たら速攻で分かるだろう。問題はこの状態がいつまで続くかだ。狙われているという不安を抱えたまま家の中で引き籠るのも限度がある。


 借金の返済が終わったわけではないからいつまでも店を閉めておくわけにはいかないだろう。


 恐らく、全力で敵の捜索はしてくれているとは思うが、これまで全く成果を上げられていないのを見るに早期解決は期待できない。親衛隊の猫たちに町を探して回ってもらっているが、どうなることやら。


 俺とシャム猫は進展があった時のために屋根裏で待機している。こうして待っているだけ、というのはなんとももどかしいがここで焦っても仕方がない。

 下手に動き回って肝心な時に助けられない、なんて事態に陥らないためにも、今はグッと耐える時だ。


 しかし、直接関係のない俺でも緊張が続いている。当事者の二人の心労は計り知れないだろう。そんなことを考えていると、香ばしい匂いが鼻先をくすぐった。これは、パンの香りだ。店を開けないから今朝は焼いていなかったようだが、どうして今になって。


『ちょっと下の様子を見て来るよ。ここは任せた』


『おう、わかった。任されたぜ』


 屋根裏から出て、二階の窓を覗き込む。この建物は店舗併用住宅なので、二階がレノアとアリィの部屋があるのだが、どちらにも人影はなかった。裏口へ周り、厨房を覗き込んでみれば、レノアと、そしてアリィがパンを焼いている光景が目に入ってくる。


 二人はこんな時にも関わらず楽しそうに調理を行っていた。けれど、やはりどこか無理をしているような、無理やり気分を上げているような、そんな印象を受ける。


 まあ、部屋でじっとしているだけよりはマシだろう。そうしている間に焼き上がったパンを持って、二人は売り場の方へと移動する。俺も表の方へ回ってショーウィンドウから見てみれば、いつもの籠にパンを詰めている親子の姿があった。


 何をするつもりなのかと見守っていれば、レノアとアリィは外へ出て来て見張りの騎士隊にパンを差し出した。


「ごくろうさまです。これ、たべてください!」


 どうやら差し入れのようだ。大変なのは自分たちだと言うのに、見張りの隊員を気に掛けるなんてどこまで出来た親子なんだ。


 初めは遠慮していた騎士も、流石に綺麗で可愛い親子に迫られれば弱いようで、あっという間に陥落してしまっていた。俺も俺も、と建物内で待機していた騎士たちも集まって来た。十人を超えた集団にたいして、アリィは順番にパンを渡していく。


 ただ、ラムダだけはその光景を一歩引いた場所で見守っていた。それに気づいたアリィが自分からラムダへ声をかけに行く。


「おねえちゃんも、どうぞ!」


 そうしてアリィがパンを差し出された。その時だった。


 にゃおーん――! にゃおーん――! と猫の遠吠えが響き渡る。この鳴き方は、親衛隊に伝えておいた注意人物――つまり敵を発見した時の合図だ。しかも鳴き声は、パン屋の前の道路、その左右から聞こえてくる。


 異変を察してラムダはパンを受け取ろうとした手を止めて辺りを見渡した。俺も道路の先を見ようとして――不意に視線を感じて頭上を見上げた。


 パン屋の向かいにある建物、その屋根の上に白い仮面を被った人物が立っている。それを認識した瞬間、怒声が響いた。


「敵襲! 戦闘態勢に入れ!」


 騎士隊の一人が叫ぶ。見れば道路の先から、大きな白い物体がこちらへ向かって来ているのが見えた。


 体長は三メートル以上あるだろうか、サンショウオみたいな平たくのっぺりとした体からは六本の脚が生えていて忙しなく動かしながら猛進している。体の先端部分に付いている虹色の巨大な目玉が真っすぐこちらを見つめていた。


 反対側からは白い二足歩行の人型の化け物が駆けてくる。その体躯は大きく強靭で、顔にはサンショウオと同じように虹色の目玉が一つ、付いている。


「通路を固めていた仲間はどうした!?」


「そんなことより、奴らを止めろ! 二人を守るんだ!」


 一斉に左右へ駆け出す騎士たち。その場に残ったのはラムダともう若い男の騎士が一人だ。


「アリィさん! 建物の中へ」


 ラムダがアリィの手を引き店の方へと走る。進路を阻むように、仮面の男が降り立った。立ち止まり、剣を構えるラムダと男騎士。


 仮面の人物はアリィの方を一瞥すると、レノアの方へと真っ白な仮面を向けた。

「こうして対面するのは初めてだったかな、レノア。ノーレンスが失敗しなければ、もう少し早めに会えたのだが」


「ノーレンス……どうしてその名前を」


「どうしてもなにも、彼に指示を出していたのはワタシだからね。まあ、あそこまでぼんくらだとは思わなかったが」


「どうして私たちを狙うの? あなたの目的は、なに?」


「――それを知ってどうするつもりだ。なんの意味もないのに」


 奴の会話は気になるが、今はアリィを安全な場所に移動させるのが先決だ。それにはもっと人手がいる。俺は仮面の男を警戒しながら、パン屋の屋上へと駆け上がった。


『おい! さっきの声、やべぇんじゃねぇのか!?』


 屋上には様子を見に出て来たシャム猫がいた。狼狽える彼へ、俺は指示を飛ばす。


『ああ、攻めて来やがった。俺はみんなを集めるから、お前はアリィの傍にいてやってくれ! 仮面の人間に注意しろよ!』


『お、おお! わかったぜ!』


 そう言ってシャム猫は屋上から飛び降りる。直後、下で大きな衝突音が鳴り響く。ちらりと見てみれば、男の騎士が向かいの建物にめり込んでいるのが見えた。どうやら奴の攻撃にやられたらしい。


 レノアが魔法で攻撃を仕掛けているが、仮面の男は見えない何かでそれを弾いている。なんとかアリィは戦闘範囲外にはいるようだが今にも巻き込まれそうだ。左右の化け物たちも、足止めは出来ているが討伐には至れていたない。


 どうにか現状を打破するべく、俺はみんなを呼び集めようと息を吸い込んだ。しかし、それが声となって発せられることはなかった。


 眼下で突如、地面が割れてアリィたちの周辺を囲うように白い触手のような物体が飛び出した。そいつはアリィとラムダ、そしてシャム猫を包み込むと、球体に足が生えたような姿になり、地面の下に続いていた通路――下水道の奥へと消えていく。


 それは一瞬の出来事で、その場にいた誰も彼女たちが連れ去られる展開に反応することが出来なかった。

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