とある新米騎士の苦悩

 今日からエルフの少女を護衛する任務に就くことになった。前にエルフの失踪事件に関与している可能性がある、ということで店の警備を任されたのと同じ場所だ。


 初任務だった。ただ、店に近づく怪しい人物を取り締まる簡単な任務のはずだった。なのに、あんなことになるだなんて……。


 要注意人物として警戒対象になっていたノーレンス元主計官。彼は指名手配の身にありながら店を訪れた。それとなく店から離れて身柄を確保しよう、そう考えていたのは覚えている。


 けれど、ノーレンスが意味のわからない言葉を発した瞬間、私は謎の力で攻撃され――目が覚めたのは翌朝、医療施設のベッドの上だった。


 傷は、目が覚めた時には跡かたもなく完治していて、翌日には仕事に復帰できる状態だったのに、私の体はガタガタと震えて言うことを聞いてくれなかった。頭の中でノーレンスが使用した謎の攻撃を受けた瞬間が繰り返され、そのたびに全身から冷や汗が溢れ出した。ありもしない腹部の傷がズクズクと痛んだ。


 そして、もしあの攻撃が防具のない部分に当たっていたら――首から上に当たっていたら、私は死んでいたという事実が、心臓を圧迫させた。


 その現象が顕著に出るのは戦闘時だ。人と対面し、敵意を向けられると、あの光景がフラッシュバックして頭が真っ白になる。


 いつ、どこから不可視な致命の一撃が飛んでくるかわからない恐怖が重い鉛のように絡みつき、全身を強張らせた。


 戦うのが怖い。騎士にあるまじき感情を抱いてしまう自分が情けなくて、誰にも相談できずにノーレンスから受けた傷が痛むと嘘を吐いて休職を申請した。幸いにも嘘はバレずに療養休暇を貰うことが出来た。


 その間になんとか恐怖を克服しようと色々と試してはみた。訓練所に顔を出したり、ノーレンスの使っていた攻撃の正体を突き止めるために魔法研究所で調べてみたり……でも、あまり効果はなかった。


 誰でも相談できず、どうしようと悩む中で突然、皇帝陛下が研究施設へとやって来た。しかも、送迎を任されたのは私の母親だった。


 驚きながらも、これはチャンスなのだと思った。私がもう一度、立ち上がる機会を神様が与えてくれたのだと。私の胸の奥で居座って縛り付けてくる恐怖をぶちまけて、慰めてほしい。


 でも、言えなかった。騎士団の中でも限られた人間しかなれない龍騎士、それも皇帝陛下の送迎なんていう重要な任務の真っ最中に……自分の憧れの存在に対して醜態を晒すなんて、できるわけがなかった。


 それでもなんとか自分を奮起させることには成功した。恐怖を気合いで押し殺して、なんとか仕事に復帰して戦闘を行えるくらいまでには立ち直ることができた。


 そうして任されたのがアリィという事件の中核を担うと推測されている少女の護衛だった。


 前回と違い今回は狙われる可能性がる、というわけでなく狙われているのは確定しているようで、入隊してから一年も経っていない新米には荷が重いのではないか、と任命してくれたオルト隊長にそれとなく断りを入れたものの――。


「ラムダなら大丈夫さ」


 と、信頼の言葉と共に送り出された。私が任命されたのは腕を買われて、というより護衛対象である少女と同姓で比較的歳が近いという理由が大きいのだろう。


 得体の知れない敵に狙われる、というのは相当な精神的苦痛を伴うはずだ。


 それが年端もいかない少女が耐えられるかというと微妙なところであり、少しでも苦痛を和らげようという配慮だろう。オルト隊長はパン屋の親子と親密らしいし、気を利かせたのかもしれない。


 あれから時間も経っているし、最近は模擬戦闘中もあの光景が蘇ることは少なくなっていた。それにいつまでも逃げているわけにはいかない。母のような龍騎士になるためにも、この程度の苦悩は乗り越えなければならないと任務に赴いた。


 私の仕事はアリィが登下校中の護衛だ。なので朝は店まで迎えに行かなくてはならない。しっかりと鎧を着込んで駐屯所を出る。時間はかなりの余裕があった。一時間は早く店に到着するくらいには。


 なのに、気づけば足が止まっていた。最初はどうしてかわからず、意識すれば再び歩き出せたのに、店が近づくにつれて動悸が激しくなり、足はまるで凍り付いたように動かなくなっていた。


 約束の時間が迫っているのに、どうしても先へ進めない。攻撃を受けて意識を失った瞬間が、今まで抑えつけていた分まで一気に、鮮明に再生されて私の心をがんじがらめに縛り上げる。


「にゃー」


 という声で我に返ると、いつの間にか見覚えのある黒猫が足元にいた。続いて護衛対象の少女も駆け寄ってくる。


 遅れたことを謝罪し、店に背を向けると恐怖は次第に和らいでいった。それでも、またいつ目に見えない攻撃が飛んでくるかわからないという緊迫感はずっと付きまとっていた。


 そんな私へ、少女はパンを差し出した。猫型の可愛らしいパンだ。以前にもこんなことがあったな、と少女の気遣いに申し訳なくなり一度は断った。


「それにお父さんが言ってたの。たくさんの人をパンで幸せにしたいって。だからね、このパンをたべればラムダさんも元気になるよ!」


 彼女の口から告げられたパンに込められた想いを聞いて、受け取った。そこでそういえば最近、あまり食事をとれていないことに思い当たる。少女の言う通り、元気が出ないのはお腹が空いていたからかもしれない。


 けれど、その厚意も最後まで受け取ることができなかった。敵の襲撃――想定していたはずなのに、想像していたよりもずっと早いタイミングで訪れた危機に、私は咄嗟に動くことができなかった。


 なんとか老婆の魔の手から庇うことはできたものの、囲まれ逃げるに逃げられない状況に陥ってしまう。本来であれば私が敵を倒さなければならないのに、恐怖に縛られ身動きが取れなかった。


 そんな窮地を救ってくれたのはさっきの黒猫だった。少女が猫の後を追うように駆け出したので、私も付いていった。そこからはあまり覚えていない。背中に敵の気配を感じて、少女を抱き上げ、無我夢中で猫の後を追った。


 そうして難を逃れ、応援と合流し、私は涙が出そうになるくらいに安心した。もう大丈夫だと、情けなくなるほどに。少女や彼女の母親に礼を言われても、そんな情けない自分を出さないようにすることでいっぱいいっぱいだった。


 親子も隊長も、私のおかげだと褒めてくれたけど、それは違う。襲撃を受けたとき、彼女のために動いたのはあの黒猫だ。私はただ、自分の身を守るために動いただけ。それだけだった。


 少女の厚意も無下にして、任務すらも満足にこなせない。こんな人間が、騎士であるべきではないんだ。


 辞めようと決意する。自分は国や市民を護る騎士には向いていなかったのだ。今日の仕事が終わったら、隊長に全てを打ち明けよう。


 警戒を強めたおかげか、それから敵の襲撃はなく夕方の交代時間を迎える。本来であればパン屋の前に作られた臨時の待機場所に自分の装備を置いておくのだが、適当な理由を付けて駐屯所へと帰った。


 店から――あの場所から離れられてホッと安堵の息を漏らす。正直、今日はずっと緊張しっぱなしだった。不当な評価を得ていたのもあったかもしれない。


 解放感は、全然なかった。これからもう一悶着あることが確定しているのだから当たり前なのだけど。とても気は重いが、今日逃げたところで後々辛くなるだけなので進まない足取りを無理やり動かしていく。


 ようやく駐屯所が見えて来た辺りで、正面入り口付近にドラゴンが座っているのを目撃する。それが母の相棒だと気づくのにそう時間はかからなかった。

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