一念発起

 真ん中に大きな木の生えた空間はまるで人々から忘れ去られてしまったような静寂に包まれている。シャム猫たちに教える前に、まさかこんな形で来ることになるとは……。


 広場へ出ると、俺は足を止めて自分たちが出て来た道を確認し、しばらく待って追手が来ていないことを確かめてようやくホッと安堵の息を零した。


「ラムダさん、大丈夫? どうしたの? どこか怪我したの?」


 安堵したのも束の間、アリィの慌てた声を聞いて振り返る。膝を着き、木に両手をついて辛そうな荒い呼吸を繰り返していた。それをアリィが背中をさすりながら、心配そうに見つめている。


「だ、大丈夫です。少しすれば、落ち着きますので……」


 そう言うとラムダは深呼吸を何度かして、落ち着きを取り戻した。


「お騒がせして、すみません。奴らは、なんとか撒けたようですね」


「うん! 逃げるとき運んでくれてありがとう、ラムダさん!」


「お礼を言われるほどのことでは……あれ、アリィさん。パンの籠は」


「えっと、持ち上げられたときに落としちゃった。えへへ」


「そんな、申し訳ありません。配慮に欠ける行動でした。大切な商品を……」


「大丈夫だよ。それよりラムダさん、カッコよかった! それにすごいはやく走れるんだね!」


「は、はい。肉体強化の魔法がありますので」


 二人はお互いを気遣い合う。ラムダもすっかりと平静を取り戻したようで、きょろきょろと辺りを見回した。


「ところで、ここはどこでしょう。無我夢中で猫さんに付いて来てしまいましたが」


 どこ、と言われても詳細な場所は俺にもよく分からない。町の真ん中辺りくらいの認識しかないからな。伝える手段もないし。


「またヨゾラが助けてくれたんだね。ありがとー」


 アリィは俺を抱き上げると頬擦りしてくる。


「また、ということは以前にも助けられたことが?」


「うん! お母さんが悪い人に連れて行かれそうになったときと、変な化け物が襲ってきたとき! ヨゾラと他のお友達が助けてくれたの!」


「とても、勇敢な猫さんなのですね。それに比べて、私は……」


 シュン、とラムダの表情が陰る。襲われた時の、ラムダの反応を見る限りだと何か事情がありそうだが……。


「大丈夫? やっぱりどこか怪我してるんじゃ……」


「あ、いえ、大丈夫です。それより騎士団へ連絡しておきましょう。現在地はわかりませんが、襲われた場所に来てもらえば敵も待ち伏せして襲ってくることはなくなるはずなので」


 そう言ってラムダは俺たちに背を向けて手のひらサイズの紙を取り出すと、襲われたことやアリィは無事であることを伝え、応援の到着まで時間を潰して俺たちは広場を後にした。


 敵が潜んでいないか、警戒しながら路地を進む。その時、周りにヘドロのような嫌な臭いがこびりついていることに気が付いた。魔子を喰う虫と同じ臭いだ。やっぱり襲ってきたのは異界の神関係の奴らで間違いないようだ。


 なんとか襲撃に遭うこともなく、通りに出て応援の騎士隊と合流する。


 ラムダが詳細を報告している傍らで、一人の騎士がパン籠を携えてアリィに近づいてきた。


「これ、君のだよね」


「はい! 拾ってくれてたんですね。ありがとうございます」


「でも中身は全部地面に落ちてしまっていたよ。どうする? こっちで処分しておこうか」


「ううん、大丈夫です。猫たちにあげるから」


 そんなやり取りをしている間にラムダの報告は終わったのか、隊長らしき人物がアリィに歩み寄ってくる。壮年の男だ。体格は大きく、顔も厳つい。睨まれただけで耳が後ろへ倒れそうになる。


「話は聞いた。大変だったね。今日のところは学校を休んで家に帰りなさい。我々が同行しよう」


 学校を休む、と聞いてアリィは少し残念そうな顔をする。子供にしては珍しく、学校が大好きな子なのだ。まあ友達に会えないのは寂しいだろうが、しばらくは我慢してもらわないと。


 パン屋に帰りつくと、レノアが店先に出て待っていた。アリィを見ると駆け寄って来て飛びつくように抱き締める。


「アリィ! 無事でよかった。怖かったでしょう」


「大丈夫だよ。騎士さまが守ってくれたから!」


「そうなのね。みなさま、娘を守っていただき本当にありがとうございます」


「市民を護ることは我々の義務ですので。それに、礼なら彼女に。一人で娘さんを護ったのは彼女ですから」


 隊長によって前に出されたラムダは、やはりどこか気まずそうに視線を下へ落としている。そんな彼女の様子に気づいているのかいないのか、レノアは仕切りに頭を下げていた。


 彼女たちの問答を尻目に、俺は屋根裏へと向かう。中にはシャム猫を含む数匹の猫たちがゴロゴロと過ごしていた。


『おう、兄弟。今日は早いな。なにかあったのか?』


『あぁ、アリィが襲われたんだ』


 ザワッと、ゴロゴロしていた猫たちが起き上がって俺を見た。シャム猫が緊迫した面持ちで問いかけてくる。


『そ、それって、前から言ってたヤツらか?』


『あぁ、間違いないよ。なんか腕伸びてたし』


『それは……ヤバいな』


『で、これから本格的にアリィを狙ってくると思う』


 なにせ朝っぱらから町中で、正体を曝け出すようなことをしてきたのだ。それはつまり、もう正体を隠す必要がなくなった、ということだろう。転移魔法を手に入れて準備が整ったのか。


『だから、これからはみんなでアリィを守ってほしい。俺ひとりじゃ、きっと守り切れないから。とても危険だし、無理強いは出来ないんだけど』


『なに言ってんだ、兄弟。ここにいるのはみんな、アリィのことが大好きな奴らだぜ。守るのは当たり前だ』


『そうだよ。もちろん協力するよ!』


『むしろようやく助けてもらった恩を返せるってもんだぜ!』


『他の連中にも協力してもらえるように伝えとく』


 にゃいにゃい、と周りの猫たちが声を上げる。


『それで、なにからアリィを守ればいいんだ?』


『なんか体が白くて眼玉がデカい奴らは問答無用で近づけないようにしてくれ。それと、人間の中でなんかヘドロみたいな臭いのするのがいたら要注意だ』


『へどろ、ってどんな臭いだ?』


『えーっと……下水道、地面の下にある空間あるだろ。あそこみたいな臭いだよ』


『なるほど、とにかく臭い人間はアリィに近づけさせるなってことだな。わかったぜ、兄弟!』


 ちょっと極端な気もするが、まあその認識で問題はないか。


『よーし、じゃあ俺たちで必ずアリィを守り切るぞ!』


『『『おー!』』』


 今日ここに、改めて猫によるアリィ親衛隊が結成された。

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