罪過の報い
振り返ったクルントは、俺の姿を見てあの青い瞳を瞠目させる。猫が本気で気配を消せば、それこそ魔法でも使わない限り人間じゃ察知できないだろう。
あんぐりと口を開けるクルントに向かって、首輪の魔法を通してエクルーナが告げる。
『あなたも自白してくれたことだし、種明かしをしておいてあげましょう。転移魔法が失敗作にすり替えられていたこと、それは直前で気づいていました。効果も知っていたから、魔法発動後に細工をね』
エクルーナには失敗作含めて開発中は逐次、報告をしていた。その中であの通った生物が潰れてしまう魔法陣の形式についても知っていて、近づいた時に気づいたらしい。
だから利用しようと判断したようだ。体の構造が滅茶苦茶になっても生きているのは、変身魔法を応用したらしい。ただ、かなり無茶をしたのは事実で動けないほどの重症を負ってはしまった。今も通話口の向こうでは治癒魔法による処置が行われているはずだ。
馬車に轢かれてアリィから受けた治癒魔法の痛みを思い出す。あれだけの激痛を、声音一つ変えずに堪えるなんて、この人はやっぱりただ者じゃない。
もちろん、ミクロアも魔法陣がすり替えられていることには実演中に気づいていたが、昨夜エクルーナからの呼び出しを受けた際に言われたのだ。
試験中、異変を感じたとしても決してやめないこと。特にクルント関係の事象は否定も追及もせずに乗るように、と。もし、事が相手の思い通りに運んでいけば、きっと相手の口が軽くなるだろうから。
ミクロアが注意を引いている間に、朝の内にクルントと仕事をして、鍵を開けておいた窓から俺が侵入する。そしてエクルーナの読みは見事に的中し、作戦も成功。こうして奴の口から直に情報を引き出せたわけである。
正体を自らさらけ出した挙句に自白紛いのことをしてしまっては、もう言い逃れは出来まい。クルントは怒気を孕んだ表情で、俺を睨み付けている。
「こ、小癪な真似を……!」
『裏でコソコソやっていた輩にとやかく言われる筋合いはないわね。さあ、どうする? すでにあなたの部屋の周りは包囲しているわ。いろいろと聞きたいこともあるし、大人しく捕まってくれるとありがたいのだけれど』
「う、うるさい! 黙れ!」
クルントは激昂し、俺へ向けて振り払うように腕を横なぎに振るった。咄嗟に机から飛び降りて攻撃を避けると、クルントは机を飛び越えて椅子を蹴飛ばすと、裏から布を取り出して広げる。
あれはミクロアの転移魔法陣。あれで逃げるつもりか!
突撃は俺が鳴くかミクロアの号令が合図になっている。ミクロアは声を発しようとしていなかったので、俺は合図を送ろうと口を開けた。
刹那、クルントめがけて何かが飛来し、顔面に直撃する。ゴッ、と痛そうな音を鳴らしながら衝突した物体が床に落ちた。見てみればそれはハードカバーの本で、それがいきなり顔面に衝突したクルントは鼻から血を流しながらよろめいて魔法陣から遠ざかる。
何が、と思ってミクロアの方を窺えば、彼女は一冊の本を広げた状態で手にし、とんでもない怒りの表情を浮かべながらクルントを睨み付けていた。
「許さない……! お前だけは、絶対に!」
そう叫ぶと共にミクロアの髪や服が下から風を受けているかのように踊り始め、部屋中の物たちが一斉に浮かび上がる。
「な、ま、待て……」
身の危険を悟ったクルントが顔を引き攣らせて後ずさる。逃げ場のない狭い室内で、分厚く堅そうな本の群れが容赦なくクルントの顔面を殴りつける。
「ぐっ! がっ! げっ!」と本が当たるたびにクルントは悲痛な声を上げる。思わず目逸らしたくなるくらい痛そうだ。
「ミクロア。いったん、落ち着いて話を」
堪らず制止しようとするクルントを重そうな蝋燭立てが鼻先へクリーンヒットし、辛うじて立っていた彼はひっくり返る。あーっと、あれはキツイな。
「た、たのむ、おれが、悪かった……だから、いったん攻撃をやめ……」
懇願するクルントへ、豪奢な机が降りかかる。おぅ、と思わず声が零れてしまうほど凄惨な攻撃に、今度こそ顔を背けてしまった。あれは下手すると死んだんじゃないか?
「この、小娘が……! 調子に乗りよって……!」
瓦礫と化した机の下からよろめきながらも立ち上がる。普通に生きてたわ。しかも結構ぴんぴんしてるし。無駄に頑丈な奴だな。
「どうせ逃げられぬのなら、貴様だけでも道連れに――」
何か仕掛けてくる。そう察した瞬間、空間に穴が空いた。
転移魔法が発動したのだ。だが、クルントは魔法陣からは離れていて発動は出来ない位置にいる。ということは、向こう側から発動したのだ。
それを理解すると同時に穴から音もなく人影が現れる。白い仮面を着けた人物――ノーレンスとの密会の場にいた得体の知れない男だ。
「なにをやっているんだ。オマエは」
男はクルントへ顔を向けた。
「その仮面……! お前が、モータルさんを……!」
ミクロアの怒りの矛先が乱入者の男へ移る。辺りに漂う物たちが、男へ向かって襲い掛かった。
「××――××」
謎の呪文を唱えると、まるで巨大な腕が横に振るわれたかのような衝撃が室内を通り過ぎ、操っていた物たちごとミクロアが吹き飛ばされ、扉を突き破って外へ放り出されてしまった。
辛うじて俺は身を低くして難を逃れたものの、男がこちらを見たので慌てて破壊された扉へ駆け出し、外へ出た。ミクロアは部屋の目の前で仰向けに倒れていたが、俺が近づくと起き上がる。目立った外傷はなさそうだ。
安心したのも束の間、クルントは完全に体勢を立て直してしまっていた。
「す、すまない。助けに来てくれたんだな」
「助ける? 何を言っているんだ。魔法陣を回収しに来ただけだ」
「な、なに? どういうことだ。それは」
形勢逆転、かと思いきや様子がおかしい。クルントに焦りが見える。
「やはり、オマエは役立たずだ。以前は大きく計画の進行を遅らせ、今回はペラペラと我らの事を喋る。オマエはもういらない」
「な、ま、待ってくれ! 私は――」
「うるさい、黙れ」
男は仮面を取り、クルントの顔を覗き込む。すると、突如クルントの様子が豹変した。ガタガタと全身を震わせて、もがき苦しみ始める。
「い、ぎ、いや、だ……たすけ、あっ、がが、ガッ!」
苦し気な声を発しながらクルントは自身の身体を抱き締める。まるで何かを抑えつけようとする動作。だが、そんな彼の行動を無視してボコリと背中が膨れ上がり、皮膚を突き破って触手が数本、飛び出しクルントを包み込む。
「せめて、最後くらい役に立て」
そう言って白い仮面の男は窓から逃げて行った。追いかけようにも、俺は目前の異変に対し、動くことが出来ないでいた。
くぐもった絶叫、骨の砕ける音。触手は色を白く変色させていく様まで、パン屋の前でノーレンスが化け物へと変貌を遂げた時と同じだった。
けれどノーレンスとは違い、スレンダーな化け物ではなく、身体が三メートルほどまで膨れ上がり、筋骨隆々の姿へと変貌した。
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