失敗の裏側で

 転移魔法の認証試験の最中、実演中に事故が起こった。ミクロアが開発した転移魔法が失敗し、体が捻じれてしまったのだ。


 一瞬のうちに騒然となった場で、クルントは口角が上がるのを必死で堪えながら眺めていた。


 エクルーナ所長はすぐさま駆けつけた騎士団にへたり込んでいたミクロアと共に連れて行かれた。半日経った今でも安否は不明のままである。


 まさかここまでうまく行くとは――野外実験場から自室に戻り、ようやく彼は頬を緩ませる。


 エクルーナの使い魔である猫に正体を見られた時はどうなるかと思ったが、なんとかうまく立ち回り奴らを出し抜くことが出来た。


 昨夜、ミクロアの部屋に忍び込み、完成した魔法陣と未完成の魔法陣を入れ替えておいたのだ。後はこの完成品を同胞に渡せば、私の任務は完了だ。唯一の邪魔者だったエクルーナも、あれでは例え一命を取り留めたとしても復帰は絶望的だろう。


 ほとぼりが冷めた頃にここを去ろうと考えていたが、このまま所長の座についてしまうのも一興かもしれない。そう考えながら笑みを深めるクルントは、ノックの音を耳にしてすっと表情を消した。


「誰だ?」


 問いかけに応えはない。不審に思ったが、同胞が訪ねて来たのだろうと思考は結論付けた。


 全く、耳が早い。苦笑しながら扉を開け――予想外の人物が立っているのを目の当たりにして眉を寄せる。


「……何の用かね? ミクロア」


 事件の中心にいるはずの少女。騎士団に連れて行かれたはずの人間が、なぜここに?


 だが、エクルーナの後ろ盾もない小娘など恐れる必要もない。即座に追い返そうと口を開きかけたが。


「お、お話があります――さっきの、試験のことで」


「弁明してくれ、とでも頼みに来たのか? 馬鹿なことを。大衆の面前で失敗を晒しておいて、もう何をしようと無駄だ。お前は詰んでるんだよ。ミクロア」


「ふ、副所長……わたしの転移魔法陣、すり替えましたよね……?」


 あまりにもストレートな物言いに思わずピクリと眉が動く。痕跡を残さぬ魔法はかけていた。自分に辿り着く証拠など残っていないはず。それとも何か対策されていたか?


「知らんな、言いがかりはよしてくれ。それとも、騎士団を呼ぶか?」


 一瞬、言葉に詰まったもののきっぱりと言い切る。どうせ出まかせを言っているだけだ。カマをかけているに違いない。不利な状況にあるのは相手の方なのだと言い聞かせて、脅しのつもりでミクロアへと告げた。


 目の前の少女はおどおどとしながらも、上目遣いに視線は外さない。それがどうにも気味が悪かった。


「別に、呼んでもらってもいいですけど……困るのは副所長の方じゃ、ないですか……?」


 確かに、今部屋を調べられたら完成品の転移魔法陣が発見されてしまう。数舜の思考、その隙にミクロアは言葉を続けた。


「それに、わたしが捕まれば、わたしは知っていることを全部、騎士団に話しますよ。これのことを含めて……」


「――っ!」


 そうして懐からちらりと見せたのは、白い仮面だった。モータルから抵抗を受けた時に回収できなかった同胞の所持品。


 しかし、これまでクルントは自分に関する証拠は残していないはずだと記憶を探る。行動の際には猫一匹の存在すら近づくことを許していない。使い魔や遠隔魔法の類で見られていることもなかったはずだ。


 別に突っぱねてしまっても構わないが、何の情報を掴んでいるか把握できない以上、ここで帰すのは得策ではない。少なくとも仮面の持ち主と関りがあることは知られているのだ。


 ここで殺しておくか? ここでこいつがいなくなったとしても、逃亡したとして処理できる。ただの小娘一人、どうとでもなるのだ。


「――わかった。入りなさい」


 周りに誰も――猫すらいないこと、そしてミクロア自身に細工がないことを確認してクルントはミクロアを部屋へと招き入れる。窓から吹き抜けた風が、机の上に積んである紙の束を揺らした。それを抑えながら、扉が閉まる音を聞くと同時にクルントはミクロアに問う。


「それで、どうしてほしい」


「えっ……」


「転移魔法陣をすり替えたとして、私にどうしてほしいのかと聞いているんだ。もしや名乗り出ろ、などと馬鹿なことは言わないだろうな?」


「……やっぱり副所長だったんですね。じゃあ、あの論文を、わたしの部屋に置いたのも」


「あぁ、私だが? 役に立っただろう」


 ミクロアの物言いに引っかかりを覚えたものの、どうせ殺すのだと無駄な違和感は頭から追い払う。今はどう痕跡を残さずに探偵気取りの小娘を処理するか、それに意識を割いていた。


「知りたいんです。お父さんのこと。副所長なら、なにか、知ってるんじゃないですか?」


 振り向くことなくクルントは話を続ける。


「なるほど、そういうことか……あの男は、聡明で臆病だった。それだけのことだ。貴様と同じでな」


「どういう、ことですか?」


 ふと、クルントは閃く。真相を話して動揺した所を仕留める。そうすればモータルのような抵抗も受けることなく、迅速に処理ができるではないかと。


「――君は、異界の神を知っているかね?」


「異界の、神? 勇者じゃなくて……?」


「そう、神だ。この世界とは別の世界から来たとされる――万物を支配し、超越する存在。私はそんな存在と深い関りを持っている」


 言いながらクルントは振り返る。そうして彼の顔を見たミクロアは驚きに目を見開いた。クルントの眼は青く輝き、明らかに人ならざる者へと変貌したことを悟ったのだろう。


 この時点で仕掛けようと考えていたが、ミクロアはすぐに驚愕をしまい込んで警戒態勢に入ってしまったため踏み留まった。それならいっそ、激昂でもさせて向こうから攻撃させた方が色々と都合が良さそうだと、ミクロアを挑発するよう方針を変える。


「ふん、やはりあの猫から情報は漏れているか。まあいい、話を続けよう。我々の目的は、遥か昔に別の次元へと封印された神の復活だ」


「別の、次元……まさか」


「そう、君の父マーロックの開発した魔法だ。別の次元に穴を空ける魔法――あれは我々が転移魔法という餌を使って開発させた異界の神を呼び戻すための魔法なのだよ」


「……そ、それじゃあ、お父さんは、利用されて」


「あぁ、完成間際だったかな。我々の同胞がチームに紛れていることを知られてしまってね。思惑がバレてしまった。そのまま強引に計画を進めようとした結果、奴は研究を葬り去ろうと自分や仲間もろとも燃やしてしまったのだ。あれほどの凶行に及ぶとは、流石に考えが及ばなかった。なんとか一つだけは確保できたが、あれだけではどうにも不十分でね。困っていたのだよ」


「……お父さんの残したメッセージは、自分が利用されたことに気づいて……」


「”我々はとんでもない間違いを犯した”だったかな? 奴は口癖のように魔法は人類繁栄のための物だと言っていたし、人類の滅亡を招く魔法の開発をしていたことがわかればそういう心境にもなるだろう。バカバカしい信念だ。そのために自分もろとも死ぬ愚行を行うなんて、もってのほかだろうに。そうは思わないか? マーロックの娘」


「…………」


 挑発してみたが、ミクロアは俯いて黙り込んでしまった。何しようとはしてこない、所詮は父親の死後、ずっと引き籠っていた腑抜けか。とクルントは半ば白けたような感情を覚える。


「これで充分か?」


『えぇ、もう充分よ』


 不意に背後から声がした。ぎょっと驚いて振り返ると、一匹の猫が机の上にちょこんと座っていた。


 黒い身体に手足の先だけが白い、首輪をつけたエクルーナの使い魔の猫だ。今まで気配はなかったはずなのにいつの間に。いや、それよりこの声は――。


「エクルーナ、所長……どうして無事で」

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