認証試験
試験会場は野外実験場だった。客席、というほど立派な物ではないが、十数人が被ることなく座れる程度の席は用意されている。
発表者側はほとんど以前と同様、広々としたグランドにポツンと置かれた演台と、その背後に大きな白幕の広がる特設ステージが設けられていた。
その裏では、いつになくぴっしりと身だしなみを整えたミクロアと猫用に作られた服を身に纏った俺が準備を終えて待機する。服は昨夜、エクルーナが持って来てくれた物だ。これで俺も一緒に発表に出られる。
開始十分前、ミクロアは顔面蒼白になって、まるでこの世の終わりみたいな表情を浮かべていた。
極度の緊張に加えて、衆目に晒されると罵詈雑言を浴びせかけられたトラウマが蘇るのだろう。正直、そこだけはこの短期間ではどうしようもなかったのだ。
だから対策として、俺がいる。聴講者の注目はミクロアではなく猫である俺に注がれているのだと考えることで、なんとかトラウマを想起させないようにした。あとはミクロアの意識も俺に集中させることで、聴講者を意識しないよう誘導する。
練習では上手くいったが、本番ではどうなるか分からない。後はミクロアの気力次第だ。
さっき、チラッと聴講者の様子を伺ったが、すでに席のほとんどが埋まっていた。今日の聴講者はリーダー格以上なのだろう、みんなどこかしらに厳格な雰囲気を纏わせている。
そそいて聴講者のほとんどが関心を持ってこの場にいるようだった。妬みや嫌がらせをしよう、と思っている人間は見た限りではいない。
つまり、ここにいるのは敵じゃないということだ。
正確に言うなら、まだ敵じゃない人たちだ。明確に敵だろうと思われる人間はクルントだけだろう。残りは中立。プレゼンの出来次第で大多数は敵にも味方にも変わる。
そして、何より僥倖なのは所長と、皇帝が味方に付いていることだ。昨晩知らされたことだが、今回の発表にはドレイナ皇帝も出席するらしい。
エクルーナの話によると化け物やクルントの件は知らせてあるらしく、発表による誘き出し作戦に協力してくれるそうだ。しかも皇帝はエクルーナとも仲が良いらしく、ミクロアの事情も知っているので多少の失態は許してくださるだろう。
なんと心強い。と同時に緊張感も増す。
いくらエクルーナと仲が良いとは言ってもミクロアとは面識すらないわけで、発表の出来があまりにも悪ければ味方が敵になるリスクもある。気分によっては処刑されるのんじゃないだろうか。
まあ、その時はその時だろう。今は失敗した時のことを考えても仕方ない。とにかく自分の研究結果の有用性を知らしめることだけを意識する。それだけだ。
自信がなくても虚栄を張れ。胸を張って喋ればそれだけで魅力的に見える。例え嘘でも感銘を受けたりするものだ。出来の悪い資料でも喋りが上手い奴は虚栄だけで引き込める。
逆に自信がないことを見抜かれたら何を言っても無駄になる。ぼそぼそと、おどろどと喋ってしまえば世界一の資料を使ったって誰の胸にも響かない。
というわけで、活を入れるためにミクロアの足へ爪を立てた。
「いたっ! ご、ごめん……でも、やっぱりムリかも――いたたっ!」
弱音を吐くミクロアの足へさらに爪を食い込ませた。ここまで来て何を言ってるんだ。大丈夫、あれだけ練習したじゃないか。
練習中に伝えたことだが、ここにいる連中の誰よりも――所長や皇帝よりも転移魔法についてはミクロアの方が知識は上なんだ。専門分野で戦えるのだから、何も怖いものなんてないだろう。
そうしている内に、開始時間の九時を告げる鐘が鳴った。
やれるだけのことはやった。あとは気持ちの問題だ。俺は率先して歩き出す。尻尾を上げて、自信満々に。なんの恐れも感じさせない態度で。自信を伝播させられるように。
さあ、行こう。と振り返ってミクロアへ呼びかける。俺を見つめて、一度深呼吸をするとキッと前を睨み付けて歩き出した。
裏側から表へと出る。瞬間、大勢の人から発せられるプレッシャーが襲い掛かる。注目されているのが嫌でも分かる空気の中、俺は一度も振り返らずに演台の上へと飛び乗って聴講者の方へと向き直り、隅の方へちょこんと座った。
最前列にエクルーナとクルント、そして知らない男が座り、明らかに特別に作られた豪奢な椅子にはドレイナが座っていた。
あの知らない男が領主だろうか。レノアに無理難題な借金返済をノーレンス越しに迫った人物だ。要注意人物として警戒しておこう。
なんだあの猫は? という反応が所々で見受けられる。これで奇異な視線は俺が引き受けているとミクロアが錯覚してくれたらいいのだが。
なんとかミクロアもここまでは辿り着くことが出来たようで、演台に資料を置いて魔法を発動させる。ここで仕掛けられているのは投影魔法で、上に置いた物を特定の場所――今回は背後の白幕へ映し出すようになっている。
もちろん、俺はそこの範囲外に座っている。流石にケツ裏をお偉いさんに晒すわけにはいかないので、魔法の効果範囲は把握済みだ。
「そ、それでは、転移魔法の実用化へ向けた研究結果の発表について、ミクロア・マルタンが発表させていただきます」
ほんのりと詰まったものの、全然許容範囲内だ。滑り出しは上々といったところだろう。
「ひとつ、よろしいかな?」
そんな中で、クルントが手を挙げて発言する。いきなりきやがったか。
「は、はい。なんでしょうか」
「その猫はなんだね? 認証試験の場に関係のない存在を持ち込むのはいかがなものかと思うのだが?」
やはり指摘されたか。だが、それは想定内だ。
「この子……彼は共同研究者として同席してもらっています。何も問題はないと、思いますけど……」
「猫が共同研究者? はっ、何を馬鹿なことを」
「資料の最後のページにも、共同研究者として名前と、指印があります。確認してもらえれば……」
促されて、クルントと他数名の聴講者たちが事前に配っていた資料の写しをめくり始める。あれの最後のページには研究開発に携わった人間の名前と指印が押してある。俺の名前の横に、肉球のスタンプがでかでかとあるはずだ。それを見れば一目瞭然だろう。
「なるほど、まあいいだろう。発表を止めてしまってすまないな。続けてくれ」
不満気に鼻を鳴らしながらもクルントは納得したようだった。
「で、では、始めます」
そうしてミクロアによる転移魔法の発表が始まった。
認証試験で見られる項目はおおまかに研究の内容、新規性、実用性、安全性の四つだ。
研究内容は技術の周知と共有が主な理由として挙げられるが、本当に発表者が研究に関わっているのかの確認もここで見られる。いくら事前に勉強していたとしても、盗用などをしていればどこかしらに穴が現れるものだ。もちろん、今回は何の問題もない。
話し方も今のところは練習通り、流暢に説明が出来ている。
懸念点があるとすればマーロックの論文を参考にした点だが――。
「すみません、ちょっといいですか」
席の中ほどに座っていた男性職員が手を挙げる。
「ど、どうぞ……」とミクロアの許可を得て、男性職員が発言する。
「参考論文にあるマーロック氏の論文ですが、それはいったいどこで手に入れたのですか? 確か、資料は全て失われたはずでは?」
「こ、これは……自宅から、出てきました」
「自宅は騎士団の調査が入ったのでしょう? その時に出てこなかったのにどうして今さら。本物である証拠はあるのですか。それともまさか隠匿してたのですか?」
「それについてはワタシから説明を」
スッ、とエクルーナが立ち上がる。
「論文が本物かについてはワタシが確認して本物であると判断しました。出自についても同様です」
「……所長は以前から彼女を贔屓にしていましたよね。隠匿に協力していたから、彼女に不相応な対価を支払っていた可能性は?」
「断じてありません」
「それは証明でき――」
「私が証明しましょう」
そう声を上げたのはドレイナだった。彼女は前を向いたまま、けれどもよく通る声で続ける。
「マーロックの論文が本物であることも、発表者である彼女が論文を手に入れた経緯に疚しさがないことも私が証明しましょう。それとも、論文を彼女の家から見つけたという発言に意を唱えられる人間が、この場にいるのかしら?」
ちらりとう後ろを振り返り、聴講者へ問いかける。俺はクルントの様子を窺っていたが、眉一つも反応を示さなかった。
まさか自分がミクロアの部屋に置いたと名乗り出るわけにもいかないだろう。という読みの上での力技だが。
しばらく待ったがモノ申す人間は出てこず、ドレイナは発言者へと顔を向ける。
「まだ何か文句があるかしら?」
「い、いえ……大丈夫です」
大人しく引き下がったのを確認して、発表は再会される。
次に新規性の明示だが、これまでにない移動、運搬手段としてアピール。実用性については既存の運搬魔法との比較で優位性を示すことで素晴らしさを説明していった。
以外にも順調だった。台本を飛ばすこともなく、あれから変な質問も飛んでくることもなく、このままいけば問題なく発表を終えられるだろう。
「で、では、最後に完成した転移魔法の実演を行います。ヨゾラ」
名前を呼ばれて、俺は十メートル先まで魔法陣の片割れを持って行く。転移魔法陣の描かれた布を広げてミクロアの元へ戻ると、実演へと移る宣言を行う。
「こちらの魔法を発動させると、十メートル向こう側にある場所まで、瞬時に移動が可能になります。それでは実際にわたしが――あれ、これ」
「ちょっと待った」
そこでクルントが待ったをかける。衆目が一斉に移動する。
「開発者の君が実験台として実演するのは、安全性を示すのにはちと信用に欠ける。その魔法陣のみで問題ないと説明していたが、組み込みが間に合わず自身に何かしらの魔法をかけて安全を確保している可能性もあり得る」
「え、わ、わたしはそんなこと……」
「口ではなんとでも言えるさ。以前にもいたのだよ。認証試験に組み込みが間に合わず細工をして合格した輩が。その後、問題が起こって処理にとても手間がかかった。今回もその可能性が捨て切れん。失われた論文を見つけても公表もしないで自分の研究に取り入れるような人間であれば猶更な」
「そ、それは……皇帝陛下が、許可を」
「聞くところによると、皇帝陛下はエクルーナ所長と付き合いが長いそうではないですか。こう言うのはあれですが……上手く言いくるめられたとも限らない。認証試験では、少しの疑惑も排除しなくてはならない。と、私は考える。どうかな、所長」
「……そうね。あなたの言う通りよ。けれど、それなら誰が実演をするのかしら」
「開発に絡んでいない人間であれば誰でも。あんな得体の知れん魔法の実験台になりたいという人間が名乗り出てくれれば楽なのだが……」
ちらり、と窺うようにクルントは聴講者の席へと顔を向けた。その中に、自らが転移魔法の実験台になると名乗り上げる者はいない。
「なら、ワタシが行きましょう。それとも、ミクロアを贔屓していたワタシでは不適任かしら?」
そんな中で立ち上がったのはエクルーナだった。挑発するような笑みでクルントに問いかける。
「あなたは今朝の準備段階から共におられましたからな。問題ないでしょう。細工がないことは副所長である私が、証明します」
そうしてエクルーナが魔法陣の上に立つ。ミクロアは、不安そうに彼女を見上げていた。
「しょ、所長……やっぱり、中止した方が」
「大丈夫よ。何も心配いらないわ。始めてちょうだい」
ミクロアは尚も躊躇していたが、意を決した様子で魔法を発動させた。
魔法陣の上に、黒い穴が開く。そこへエクルーナが呑みこまれていった。
刹那――バチッと魔子の弾ける音がする。バチッ、バチッバチッと音は激しくなっていき、反対側の魔法陣に展開された穴が歪み始める。
この現象には見覚えがあった。実験中、ネズミがぐちゃぐちゃになって出て来た時と、同じ――。
その記憶が脳裏に過った直後、ドチャッ、と嫌な音が響き渡る。
音のした方へ視線を向けると、転移先の魔法陣の上に――変わり果てたエクルーナの姿があった。
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