活路
試験日が通告された翌日、準備は遅々として進んでいなかった。まずは聴講者に向けての資料を作らなければならないのだが、その作業が一向に進まない。
プレッシャーや試験への恐怖心で頭が回っていないのと、プレゼン資料の類を作った経験が皆無で、どこからどうやって手をつければいいのか分からないという状況だった。
一応、資料作成のコツは紙に書いて教えたのだが文章で伝えるには限界がある。作成自体を手伝おうにも、専門知識が多すぎて俺が内容を理解できず、どうまとめていいのか分からなかった。
現状で唯一助けを求められそうなエクルーナだが、応援は見込めない。彼女は多忙でこちらを手伝う余裕はないだろうし、そもそも所長の立場の人間が一介の職員のプレゼン資料作成を手伝う、というのは後々面倒な事態に発展しかねない。
正直、こんなことに時間を費やしている余裕はない。早く発表の練習をしなければ資料を完成させたとしてもプレゼンは失敗するだろう。
これは持論だが、プレゼンテーションとは一種のパフォーマンスだ。
要は人の心を掴まなければならない。もちろん、内容の正確さと実用性は前提だが、内容がどれだけ素晴らしい物だったとしても淡々と中身を説明するだけなのは退屈だ。
そんなもの、説明書や論文と変わらない。せっかく”喋る”という機会を与えられているのだから、それを有効に活用するべきだ。
人の興味というのは関心があるかどうか、その次に面白いかどうかで決まる。YouTubeなんかでも難しい数式をおっさんが喋って説明するより、生首のキャラクターが掛け合いを行いながら数式を説明した方が見られる回数が伸びるのも、それが理由だろう。
今回は仕事を売り込む場ではないからそこまで重要ではないかもしれないが、可否の評価基準は人物の印象によっても左右される。面白いというのはそれだけで人間は有意義に感じるものだ。少しでもそういう印象を与えることが出来れば、例え内容がグズグズでも大目に見てくれたりするものだ。
逆につまらない発表をすれば聴講者の集中が途切れて肝心な部分を聞き逃されるかもしれないし、苛立ちから不可の烙印を押されかねない。
そして現状だとミクロアは間違いなくつまらない方の、しかもグダグダな発表になってしまうだろう。
研究開発の場で面白い、つまらないで可否にどこまで影響するかは分からないが、喋りは特訓しておくに越したことはない。
こうなったらいっそ、資料作成は諦めて発表練習に注力するべきか……? いや、しかしただでさえ人前で喋ることに慣れていないミクロアだと、リスクが多き過ぎる。どうしたものか……。
どんよりと沈んだ部屋にノックの音が響き渡った。びくりとミクロアは身体を震わせて、警戒心の籠った眼を向けた。
「だ、だれ、ですか……?」
この部屋を訪ねてくる人間なんて今の状況だとエクルーナくらいしかいないが、試験日の通告でさえ魔法越しの対話だったのに昨日の今日で顔を見せるとは考えにくい。彼女以外だと、思い当たる人物はいなかった。俺も警戒しながら扉の方を見やり、来訪者の動向を窺う。
「リーダンだ。硬化魔法の合わせで何度か会っただろ? モータル越しのやり取りだったから覚えられてないかもしれないが……」
「あ、チームリーダーの……えっと、何の用、ですか?」
わずかに警戒は解けたものの、それでも彼とは親しいと言えるほどの仲ではない。少なくとも部屋までやってくるほどの関係ではなかったはずだ。
「エクルーナ所長から事情を聞いたんだ。認証試験、一週間後なんだってな。大変だろうから何か手伝えないかと思ったんだ」
まさかの助っ人だった。しかし、どうして関係の薄いリーダンがわざわざ……モータルだってもういないのに。
「ほとんど部外者のオレが口出しするのはおかしいってのはわかってるんだが、中途半端な時期に抜けちまった部下の責任を取ろうと思ってな」
どうやらモータルの代わりに来てくれたらしい。律儀だな、と感心しているとリーダンは続けて言った。
「っていうのは建前で、部下が……モータルが関わった仕事だ。もし、失敗でもして変なチームに開発権利が渡るのも癪だし、あいつが戻って来た時に何を言われるかわかったもんじゃなねぇからな。かなり力を入れてたのも知ってる。だから、協力させてくれ。あいつのためにも、成功させたいんだ」
真摯な物言いに、ミクロアは戸惑っていた。申し出はありがたいが、あまり親しくない人間と一緒に仕事をするというのに抵抗があるようだった。クルントの件もあって下手に面識のない人間と関わるのが怖い、というのもあるのだろう。
確かにこのタイミングで、少しだけ関わっただけの人物を招き入れるのは危険かもしれない。しかし、リーダンは途中結果を乱雑にまとめただけの資料を軽く見て内容を理解するほど優秀だ。それにチームリーダーを務めるほどの地位があるなら経験も豊富なはず。
それに、モータルとのやり取りを見ている限りでは悪い人間とは思えない。少なくとも、協力をするにあたっての理由は本心から来るものだろう。
迷いに迷って、ミクロアは助けを求めるように俺を見る。リーダンを受け入れようという意味を込めて俺は頷いた。
しばらく逡巡して、ミクロアは意を決した様子で顔を上げる。そうして扉へと歩み寄り、一度深呼吸を挟んでから開いた。
「よ、よろしくお願い、します。リーダン、さん」
リーダンを加えた結果、驚くほど順調に準備は進んで行った。
初めこそびくびくとしていたミクロアも、追い詰められた状況とリーダンの人柄の良さに気づき、途中からは物怖じすることなく資料の作成へ取り組むようになっていった。
二日で資料を完成させ、残りは全て発表練習にあてる。
見るも無残な喋りと説明。それをリーダンと俺が逐次、修正とアドバイスを入れて改善していく。五日目にはリーダンのチームメンバーにも練習台になってもらいながら、日々は過ぎていき。
なんとか認証試験の前日の夕方には、ミクロアの発表は見せられるレベルまで仕上げることが出来た。
「ふぅ、これだけ喋れりゃなんとかなるだろ」
「は、はい。リーダンさん、ありがとうございました」
「礼は無事に試験が終わってからにしてくれ。これ以上はもうオレも助けてはやれないからな。まあ、気張らずにやればいいさ。頑張れよ、ミクロア」
それだけ告げて、リーダンは部屋から出て行った。少々、素っ気ない感じだが、今日はゆっくり休めという彼なりの気遣いなのだろう。
実際、ここ数日はほとんど休まる時間が取れなかった。もう出来ることもないし、明日に備えて英気を養おう。
そうは言ってもミクロアは落ち着かないらしく、仕切に資料と台本を見直していた。これでは休まるものも休まらない。どうにかして気晴らしでも出来れば良いのだが。
なんてことを考えていると、ノックの音がした。リーダンが忘れ物でもしたのかと思いきや、扉の向こうからはエクルーナの声がする。
「お疲れ様、ちょっといいかしら」
「エクルーナ所長!」
慌ててミクロアは扉を開ける。そこには微笑みを携えたエクルーナが立っていた。
「ど、どうしました?」
「景気づけに食事でも、と思って。ずっと部屋に籠りっぱなしだったし気晴らしも必要でしょう」
「で、でも……本番は明日ですし……もっと練習しておかないと」
「あまり根を詰め過ぎると終わりまで持たないわよ。息抜きも大切だからね。それに、少し話したいこともあるの」
「話……?」
「えぇ、ヨゾラも一緒に」
俺も? 重要な話なのだろうか。ミクロアも何かを察したのか、エクルーナの申し出を呑む。
「わ、わかりました」
そうして俺たちはエクルーナ所長に連れられて、部屋を後にした。
結局、そのまま部屋へ戻ることなく、認証試験の日を迎えることになった。
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