遁走劇
真っ白な体躯をよろめかせ、クルントはこちらを向く。目も鼻も口も、耳さえもなくなった顔。それがあの男の着けている仮面とそっくりなことに今さら気が付いた。
のっぺらぼうの顔が縦に裂け、左右に開くとそこからは濁った虹色の、大きな目玉が現れる。
「な、なに……あれ? 副所長が、なんで……?」
呆然自失となって豹変したクルントを眺めるミクロア。そんな彼女へ俺は叫ぶ。
「にゃん!(逃げろ!)」
ミクロアはハッと我に返り、立ち上がって駆け出した。俺も後に続く。直後に後ろからクルントが壁を破壊して追いかけて来る音が耳に届いた。
『どうしたの!? さっきから騒々しいけれど、大丈夫!?』
首輪からエクルーナの声がする。
「ク、ク、クルント副所長が、突然、化け物に!」
『なに? どういうこと? 騎士団はどうしたの?』
音声だけでは状況が掴めないのだろう、混乱した様子でエクルーナが問いかける。そういえば騎士団の姿が見当たらない。合図を送る暇はなかったが、これだけの騒ぎがあれば嫌でも駆けつけてくるはず。
そう思いながら逃げていると、騎士団が待機しているであろう場所まで辿り着く。廊下の曲がり角の向こうに、騎士団が数名、待機しているはずだ。
助けを求めようと角を曲がって、唖然とする。三名の騎士隊が床に倒れ伏していた。生きているのか死んでいるのかは分からないが、俺たちが駆けて来たにも関わらず反応は示さない。
これもあの白仮面の仕業か? チクショウ、とにかく今は逃げるしかない。
立ち止まりかけた足を無理やり動かして、俺とミクロアは騎士隊の横を駆け抜ける。しばらく進んで、ちらりと振り向けばクルントも騎士隊を無視して俺たちを追って来ていた。
「ひ、ひぇ、ひぇ~~~!」
今にも泣き出しそうな情けない声を上げながらミクロアは走り続ける。すでに息が上がっているようで、かなり辛そうだ。捕まるのも時間の問題だろう。
どこか、逃げるのに最適な場所は……。と考えている間に人払いしていた範囲外へと来てしまったようで、職員たちがちらほらと現れ始める。
「うわっ」「なんだ」と驚きの声が上がるが、クルントはまるで意に介さず俺たちのみを狙って猛進している。
適当に走り回っている間に野外実験場へと出てしまった。ヤバい、ここじゃ逃げも隠れも出来ない。見えるのは実験中の職員たちと、グラウンドの隅にミクロアが朝の発表で使った簡易会場の土台が分解された状態で置かれているだけだ。
ドシャッ、とミクロアが転倒する。振り返ればすでにクルントは目前まで迫っていて、強靭な掌がミクロアを握り潰そうと伸ばされる。
――間に合わない。そう悟った刹那、クルントの真横で何かが弾けた。衝撃で巨体が数メートル先まで吹き飛びミクロアは難を逃れる。そして後に残ったのは三メートルほどの木箱だった。
「大丈夫か!?」
何が起こったのか分からず呆然とする俺たちへ、リーダンが駆け寄ってくる。どうやら圧縮魔法で小さくしていた箱を戻す力を利用して撃退したらしい。とにかく助かった。
「なんなんだ、あれは? どうしてお前が襲われんだ」
「え、っと、それは、その……」
数メートル先で、吹き飛ばされたクルントが起き上がる。ぎょろりと気持ち悪い目玉が俺たちを捉えていた。だが、乱入者を警戒しているのかいきなり突撃してくる、なんてことはなさそうだ。
「説明聞いてる暇はなさそうだな。とにかく、逃げるか。騎士団には誰かしら通報してるから助けはすぐ来るだろ」
クルントの動向を気にしながら、ミクロアを引き起こし、リーダンは告げる。連絡を受けて出動したとして、果たして応援が駆け付けるまで俺たちが逃げ切れるかは……正直、微妙だった。
すでにミクロアの体力は限界だ。どこまで逃げ続けられるか……。
「リーダン、さん。あいつ……あいつです。モータルさんを襲った、犯人の、仲間」
「……なに?」
「わたしも、いろいろとされました。逃げるよりも、あいつを倒すのに、協力して下さい!」
先ほどの逃走劇で息も絶え絶えになりながら、それでもミクロアはリーダンに懇願する。
今にも吐きそうな顔して何言ってんだ。と思う俺とは裏腹にリーダンは憤然とクルントを睨み付けた。
「そういうことなら、やってやろうじゃねぇか。大事な部下をやられて黙ってられるほど、オレも温厚じゃない」
マジかよ。あれと真っ向から戦うつもりか? 正気じゃない……だが、やるなら俺も助太刀しよう。どこまで戦えるかは分からないが、囮くらいは出来るはずだ。
「なら、あいつを引き付けておいてください! わたしは、ちょっと、準備してきます!」
「は? 引き付け……って、おい!」
そう言ってミクロアは走り去ってしまった。彼女の後姿を、リーダンは呆然と眺める。
「くそ、全部押し付けやがった。あいつ、なかなかいい性格してるじゃねぇか……」
流石に逃げたわけではないだろうが、準備とはいったいどういうことだろう。気にはなったが、俺はここでリーダンと足止めに徹することに決める。
「まあ、多少の荒事には慣れてるが……やるしか――」
渋々、と言った態でリーダンはクルントに向き直って、絶句する。
少し見ない間に、クルントの身体が二倍くらい膨れ上がっていた。背中から生えた触手たちがまるで身体からはみ出た血管のようにクルントの全身を突き抜け、張り巡らされていた。
「なんか、デカくなってねぇか?」
どうやら襲ってこなかったのは様子見をしていたわけじゃなく、身体の増強をしていたからみたいだ。あの触手がどういう効果を発揮しているのかは分からないが、筋肉がさっきよりも盛り上がっている。
「死んだかもな。こりゃ」
リーダンが諦観の籠った呟きを発すると同時にクルントが地面を蹴った。まるで大型のトラックが突っ込んでくるような重圧が眼前から迫ってくる。
「いきなりかよ、くそっ!」
悪態を吐きながらリーダンは右手を地面に着けた。瞬間、半円形の防壁がリーダンの周りに展開された。俺は咄嗟に横へ飛び退いて膜の内側には入れなかったが、どうやらあれで防ぐつもりらしい。
直後、クルントの巨体が魔法の防壁に衝突した。それこそ交通事故のような衝突音が辺りに轟く。けれど膜は無事――かと思ったがひびが入り、いとも簡単に割れてしまった。
「うわっ!」と、リーダンが転がりながらクルントの突進を辛うじて回避する。リーダンの魔法ではほんの一瞬、進行を妨げる程度にしか機能しないようだった。
そしてクルントはそのままミクロアの方へと突進を続けていた。狙いは初めからミクロア一人だったのか!
慌てて追いかけるが、俺が追い付く前にミクロアが捕まる。それを悟った直後、クルントが何かに足を取られて盛大に転倒した。よく見れば足にロープが絡まっている。
「リーダー!」
そうして駆けて来たのはリーダンのチームメイトたちだった。三人の内、唯一の女性が問いかける。
「なんかヤバそうだったから手を出しちゃいましたけど、これってなんかの実験だったりします?」
「いや、実験じゃない。オレもわからんが、テロかなんかだろう。あいつをなんとか抑えたいんだ。協力してくれ」
「テロ!? ヤバいじゃないですか! もちろん協力しますよ。ちょうど試したい魔法もありましたし」
「ったく、呑気なこと言いやがって。まあいい、こうなったらとことん、やってやれ!」
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