とある研究員の
「今日中に作業が終わってよかったですね。ジャスタさん」
船を降りると、グッと伸びをしながら部下のイルグが仕事を終えた達成感を体で表現する。
昼間、所長の使い魔であるヨゾラに手伝ってもらったおかげで、元凶の特定ができた。そうなればあとは簡単だ。
探知魔法を使い、船の中を調べて回る。それで最終的には五つの巣穴を発見した。簡易的な作業であるが、如何せん時間がかかる。見落としがあれば最悪だ。
途中でヨゾラとはあそこで別れずに引き続き協力してもらえばもっと時間の短縮が出来ただろうと気づいて後悔したが後の祭りだった。
その分、部下に手間を取らせてしまったし、労いの一つでもしてやろう。
先にあの虫を研究施設へ持って帰ったもう一人には今度だな。
商人の船から降り、人気のない港を歩きながら町へと向かう。あと少しで深夜に突入する時間帯はこの辺りだと完全に人の気配が消え失せる。
耳につくのは潮騒と、俺たちの足音だけ。そんな静かとも騒がしいとも取れる状況で、俺はイルグに言った。
「飯はこれからだろう。どうだ、この時間でも空いている旨い店をしっているんだ。一緒に行くか」
「いいですね。行きましょう。僕、もうお腹ペコペコですよ」
あはは、とイルグは笑う。彼は若いが気さくで優秀だ。年齢が離れてとっつきにくい俺にもこうして親しく接してくれている。
将来はきっと良い魔法使いになるだろう。今から楽しみで仕方がない。
「あぁ、でも先にコイツを置いてこないと。流石にこれ持って店には入れないでしょ」
そう言って右手に持った袋を掲げる。その中には予備で捕獲した虫が入っている。確かに、これは持って入れないな。見つかれば二度と店に入れなくなるだろう。
「そうだな。じゃあ一度、研究施設に寄って――」
ふと、気配を感じて前方を見る。港の暗がりに、ポツンと誰かが立っているのが見えた。
しかもその人物がこちらを向いていることに気づき、足を止める。
「どうしました?」
と、イルグも足を止めて俺の視線の先を見た。
月明かりだけの港でぼんやりと佇む影は、顔の部分だけが白く目立っている。
面を被っているのだろうが、表面の装飾はどんなものか判別がつかなかった。いや、そもそも何の装飾も施されていないのか。
「釣り人、じゃなさそうですね」
イルグが警戒心の籠った声で言った。暗くてわかり辛いだけかもしれないが、釣り具はおろか、何かしらの道具を持っている様子はない。
こんな真夜中に、こんな場所へフラッと散歩しに来たわけでもないだろう。それに明らかに目の前の人物は俺たちに意識を向けていた。
「我々に何か用でも?」
警戒しつつも、それとなく声をかけてみる。すると謎の人物は右腕を上げて、イルグへ指を伸ばした。
「それを返してもらえるか」
男の声が示すのはイルグの持つ袋――例の魔子を喰う虫だ。なぜ、こいつは中身を知っているのだ。返せとはどういうことか。
様々な疑問が頭に浮かんだが、確定しているのは目の前の人物は一般市民ではないということだ。
俺はイルグへ小声で告げる。
「イルグ、俺が引き付ける。そのうちに逃げろ」
「ですが――」
「先に帰したダスタンが心配だ。安否確認を頼む」
イルグはハッとした表情を見せてからようやく頷いた。それを確認して、俺は男の方へ一歩、近づく。
「あなたは、コレが何か知っているのか?」
「オマエたちには関係のないことだ。いいから大人しく渡せ」
「断る」
きっぱりと言い切ると、男はわざとらしくため息を吐き出した。
「これだから人間というのは面倒くさい。どうしてわざわざ事を荒げるようなことをするのか」
男が、こちらを向いた。面越しであるにも関わらず、わかったのだ。異様な気配。殺気にも似た感覚が放たれて俺は警戒を増す。
「××――××――××――」
男が不意に聞き慣れない言葉を吐き出し始める。なんだ、と訝しんでいると目の前に強烈な気配がした。
咄嗟に後ろへ飛び退いた刹那、見えない何かが空を切る。鼻先を掠めて、地面には細長い傷が穿たれた。
魔法か? しかし、魔子の気配は感じなかった。それに相手はエルフでないにも関わず、魔法陣を使用していない。
「××――××」
再び謎の言語を唱え始めて、俺は反撃に転じる。両手を前に出して魔子を集めると、魔法を発動した。
再び目の前に不可視の気配が現れる。同時に俺は、数メートル離れていた男の目の前に移動した。
「――ッ!」
距離を詰められた男は後ろへ飛び退くが、俺の手が男の肩を捕らえる。
ガチッ、と男の身体が固まった。後ろへ飛んだ姿勢を保ったまま、空中で。
空間魔法、と大層な名前をしているが要は空間に漂う魔子を操作しているだけだ。
魔子を縄のように形成し、自身に巻き付かせてから対象の方へと飛ばし、縄状の魔子を圧縮することで高速移動を行う。対象の表面の魔子を固めることで拘束する。
一歩間違えば使用者や対象に大きな損傷を及ぼすが、使いこなすことが出来れば様々なことが可能になる。
「悪いがこのまま連行させてもらう。君には聞きたいことがあるからな」
「流石ジャスタさん! あっという間ですね!」
「お前……逃げろと言っただろうが」
「いやいや、逃げる間もなくやっつけちゃったじゃないですか」
まあ、正直自分でもあっけないと思うほど簡単に片が付いた。
出会った時点に感じたあの異様な気配はなんだったのか。それも後で尋問すればわかるだろうか。
「――――××」
小声で呟く男の声を聞いた刹那、男に触れていた腕が二の腕から断ち切られる。即座にイルグを引っ張りながら距離を取った。
痛みより先に驚きが来る。拘束魔法を施されたら口すら動かせないはずだった。
例え動けたとしても、周囲の魔子を固定されている状態で魔法など、使えるわけがない。
勝ちを確信し、油断した。完全に自分の失態だ。
「まったく、厄介な魔法だ。事前に聞いていなければ危なかった」
男が何事もなかったかのように近づいてくる。腕の止血は魔法で済ませたが、このままでは二人ともやられてしまうだろう。
「ジャ、ジャスタさん……」
「イルグ。逃げろ、何が起ころうと立ち止まるな」
「で、ですが」
「大丈夫だ。俺一人ならどうとでもなる。行け!」
ダメ押しに叫ぶと、イルグは駆け出した。
「逃がすとでも?」
男が動き出す前に、俺は残った腕を伸ばして魔法を発動させた。
男の周囲の魔子を固定し、半円形状の防壁を作り出して隔離する。本来であれば身を守るための魔法だが、今回は少し手を加えてある。
どういう原理かはわからないが、奴の魔法を発動させる条件は声だ。であれば、声を遮断してやればいいのではないかと考えた。
半ば賭けだったが、どうやら上手く行ったらしい。イルグは何事もなく、この場から離脱した。
もうしばらく時間を稼いで俺も逃げよう。防壁を解くと同時に高速移動の魔法を使えば追っては来られないはずだ。
捕まえて話を聞きたかったが、あまりにも得体が知れなさ過ぎる。傷口だっていつまでも抑えてはいられない。無理は禁物だ。
そう考えていると、男は防壁を触り始める。多少の魔法ではビクともしない硬度だ。早々、破られることは……。
ボトリと男の身体から何かが落ちた。拳大の物体だ。
それは、あの魔子を喰う虫だった。驚く間もなく、虫は増え続ける。そうして防壁へと群がるといともたやすく食い破ってしまった。
まさか、あの虫を隠し持っていたとは。さっきの拘束魔法も、虫を使って解除したのだろう。
使い魔だろう、取り返しに来た時点で使役しているのは想定できたはずなのに。
ここまでだ。充分時間は稼いだ。そろそろ撤退を――。
そう考えたところで魔法の気配がした。咄嗟に躱そうとしたが間に合わず脇腹を直撃する。貫くような痛みを感じて堪らず片膝を着いた。
伏兵か……!
苦痛に耐えながら魔法が飛んできた方角へ目を向け、言葉を失う。
暗がりから現れたのは、クルント副所長だった。何か大きな物を引き摺りながら歩み寄ってくる。
「ク、クルント副所長……!」
「ふむ、驚きでもなく敵意剝き出しの眼か……やはり情報が漏れていたようだな」
言いながらクルントは引き摺っていた物をこちらへ放り投げる。
イルグだ。息はあるようだが捕まってしまったのか。クルント相手では仕方のないことだろう。
「少し手間をかけ過ぎではないか? 私も目をつけられている。あまり動かさせないでくれ」
「周囲には何の気配もない。心配しなくても大丈夫だ」
俺はすかさずイルグを抱えて高速移動の魔法を発動させようとして、異変に気が付く。
魔法が、使えない。
「無駄な抵抗はよせ。貴様はすでに詰んでいる」
何を馬鹿な。と反論しようとして、腹部で何かが動いたのを感じた。視線を下げれば、あの虫が張り付いていた。どうやら魔法で飛ばしていたらしい。
「我々を、どうするつもりだ……?」
「貴様らにはまだ利用価値がある。今は殺さないさ」
「クルント副所長、何を企んでいる」
「……もう、貴様には関係のないことだよ。ジャスタ」
俺は虫を取り払い、最後の力を振り絞って高速移動魔法を発動させた。
僅かな時間では自分一人を短距離運ぶことしか出来ないが、海に飛び込むくらいは出来る。
ドボンッ、と真っ暗な水の中に体が沈み込む。腕の傷に激痛が走って意識が飛びそうになるが、なんとか耐え抜き懐からヨゾラの手紙を取り出した。
防護魔法を付与し、放り投げる。そこで体は水中から引き揚げられた。
「往生際の悪い。あまり手間をかけさせるな!」
「おい、そいつが死ぬのはもったいない。止血してやれ」
「その前に他のエルフ同様、虫を呑ませておけ。また魔法を使われたら面倒だ」
魔法による浮遊が解かれ、乱暴に陸へ放り投げられた後、口の中へ何かを突っ込まれる。
うぞうぞと動く物体が口から喉を通り過ぎ、腹に落ちる。不快感と嫌悪感が込み上げ、吐き出そうとするがどうにもできなかった。
続いて頭を殴られる。薄れゆく意識の中で、どうか手紙を見つけて異変に気付いてくれるよう願うことしかできなかった。
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