猫の手を貸す

 船の内部はそれなりに広く、いくつかの層と区間に別れているようだった。


 船の後部辺りであろう一室に入ると広々とした空間が確保されているが、室内には何もない。


 ただ部屋の壁際に二人、研究施設の職員と思しき男たちが立っていた。


 彼らの視線の先、部屋の壁には大きな魔法陣が描かれている。


「どうだ? 魔法陣は起動したか」


 ジャスタが声をかけると二人は同時に振り返り、片方が申し訳なさそうに首を横に振った。


「いえ、まったく……どうやら魔法陣の魔子が完全に失われているようで」


 魔法陣を描く時に魔子の籠った液体を使う。その分量によって使用できる回数や期間が決まるのだ。と以前に本で読んだ内容を思い出す。


「そうか。原因は?」


「それが見当も……この魔法陣が描かれたのは一週間前で、翌日に作業員が発動させようとした時にはすでにこの状態だったようです。それまでは一度も使用していないと」


「未使用なら少なくともひと月は持つはずだろう。この魔法陣を生成した人間は」


「話を聞いてみましたが特に不審な言動はありませんでした。再現魔法による検証も行いましたが、こちらも問題なしです。作業員が触るまで使用した人間もいませんでした」


「描き直したとしても、原因がわからないことには再発しかねんな……もし、透過魔法が積み下ろしの作業中に魔法が切れでもしたら大惨事になる」


 透過魔法……どんな魔法だろう。壁を消すのだろうか、それとも通り抜けられるようにするのか。なんにしても凄いことに変わりない。


「ひとまず、お前たちは船自体に問題がないかもう一度探って来てくれ。魔法陣は俺が調べておく」


「わかりました。よろしくお願いします」


 そうして男たちは部屋から去って行った。


 人がいなくなったのを確認して、ジャスタは俺へ話しかける。


「さて、事情はさっきの話の通りだ。未使用の魔法陣が動作不良で動かない。その原因を突き止めるのに難航している状態でな。ヨゾラ、お前から見て何かおかしいと感じることはあるか?」


 いきなり難易度の高い問いかけだな。まあ、藁にも縋る想いなんだろう。それに部外者が視て発覚する問題もあるのは確かだ。


 俺はまじまじと壁に描かれた魔法陣を観察してみる。これまで見たどの魔法陣よりも複雑だ。俺からしたらただの変な模様にしか見えない。


「一応、説明しておくとこれは透過の魔法でな。魔法の発動中は対象物――今回はこの壁だな、を通り抜けられるようにする魔法だ。ここから大きな荷物を出し入れするわけだ」


 説明されても、なるほど、としか思えない。それでも何か変わったモノがないかと魔法陣の周りを探っていると――不意に変な臭いがした。


 潮の香りでも、魚の匂いでもない。ヘドロみたいな、嫌な臭いだ。


 船の中、それも何を積んでいるかも分からない場所でどんな匂いがしようと不思議ではないのだが、この異臭は部屋全体、というよりは特定の場所から発せられている。


 しかも、これは生き物の臭いだ。正体までは分からないが、生物特有の――体臭とでもいうのだろうか、そういう類の臭いが混ざっている。


 臭いは魔法陣から部屋の隅へ続いているようだった。よく見てみれば、天井付近の隅にネズミが通れそうなくらいの大きさの穴が空いている。


「ん、どうした? なにか見つけたのか」


 魔法陣から離れて行く俺にジャスタは何かの発見を察して追いかけて来た。部屋を出て、さらに臭いを辿る。どうやら残り香の主は天井付近を移動していたようだ。


 正体はやはりネズミだろうか。けれどネズミ特有の獣臭さは微塵もない。もっとこう、泥とか腐った水とか、何にせよ不快な臭いだ。


 辿り着いたのは船の最後部の物置だろうか。あまり手入れのされていない部屋だった。


 その部屋の人目の付きにくい木箱の積まれた裏側。そこに船の骨組みに使われているであろう太い木材に、大きめの穴が空いているのを発見する。


 臭いの元はあそこだ。意識を向けるまでもなく、穴から異臭が漂っている。


「う、なんだ。この臭いは……」


 どうやらジャスタにも感知できるほど強烈らしい。俺は木箱を足場に穴と同じ高さまで昇って中を覗き込もうとした。


「そこに何かあるのか? 俺が見るから下がっていろ。何か飛び出して来たら危ないだろう」


 それはそうだと俺は大人しく引き下がる。ジャスタは右掌に小さな光体を作り出すと、穴の方へと歩み寄った。


 もぞもぞ、と穴の中で何かが動く。それに気づいて声を上げようとした刹那、穴の中から何かがジャスタへ向かって飛び出した。


「うおっ!?」


 驚きの声を上げながら後ろに飛び退くが、飛び出してきた何かはジャスタの作り出していた光体に衝突すると、それごと床へと落ちた。


 奪い取った光に照らされたのは、巨大な芋虫だった。いや、何かといえばウジ虫に近いかもしれない。丸々と太った白い身体はネズミほどの大きさがあり、光体を捕食しているようだった。


「な、なんだ。こいつは……」


 恐る恐る、ジャスタは虫を見下ろす。その背後では次々に同じような虫が這い出して来る。


「にゃん!」と俺が声を上げるとジャスタは振り向き、慌てて距離を取っていた。


 新たに出て来た七匹の虫たちはジャスタの出した光体へ群がっていく。が、すぐに光体は力尽きるかのように輝きを失ってしまった。


 獲物を失った虫たちは元来た道を戻っていく。ジャスタや俺には見向きもしない。虫たちはあっという間に巣穴へ姿を隠してしまった。


 ジャスタは再び、光体を作り出して巣穴へ近づける。すると先ほどと同じように虫たちは光体へ飛びかかって、群がり始めた。


「こいつら、魔法を食っているのか? いやしかし、そんなことが……」


 ブツブツと目の前の光景の分析を口にしている間に、食事を終えた虫たちが巣穴に戻っていくのを見届けてから、俺たちは部屋から出た。


 部屋の前でジャスタは紙と筆ペン、そして液体の入った瓶を取り出すと、紙にサラサラと簡単な魔法陣を描き出す。


 そうして再び部屋へ入り、巣穴へ近づくと魔法陣を置き、少し離れて様子を窺った。


 先ほどのような勢いはないものの、虫たちは巣穴から這い出して来て魔法陣へと群がる。 


「やはり、こいつらは魔法……というより魔子を捕食するようだな」


 ふむ、と唸りながら冷静な分析を述べるジャスタ。話は興味深いが、ビジュアルが、その……。


「しかし、気色が悪いな。これは……」


 俺たちは揃って顔を顰めるのだった。

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