皇帝の力

「私を狙うのは構わないけど、市民を巻き込みかねないやり方は感心しないわね。オルト、店主とパンをお願い」


 言いながらドレイナはようやく男たちへ体を向けると一歩、近づいた。男たちは振り向くことも出来ず、額から大量の汗を流しながら硬直し続けていた。


 ガラス越しでも痺れるほどに感じる殺気を直に浴びていれば、動くことなんて到底できないだろう。


 これが、国の頂点に立つ皇帝の覇気――とんでもない。


 圧倒的な力を前に呆然とする俺の横で、店の前を通り過ぎようとした男が立ち止まり、右手をパン屋の方へと伸ばした。


 その掌に魔法陣が描かれているのと、魔子が集まるのを目撃する。


 コイツ、店に魔法を放つつもりか!?


 俺は咄嗟に男へ飛び掛かり、辛うじて魔法の行使を阻止する。


「くそ! なんだこいつ……」


 振り払おうとする男に必死にしがみつく俺。そんな攻防の最中、背後から凄まじい殺気を感じて男とやり合っている最中にも関わらず振り向いてしまった。


 そこにはドレイナの姿があり、無表情でこちらに睨みつけていた。その後ろには首の捻じれた男が倒れているのが見える。


「ヒッ」と俺が噛みついていた男は短い悲鳴を上げると、俺を振り払って逃げ出した。


 が、次の瞬間には男の目の前にドレイナがいて、腹に拳を叩き込むと一撃で昏倒させてしまった。


 男が地面へ倒れた直後、左右の建物の屋上から一人ずつ飛び掛かる。振り下ろされた剣を素手で受け止めた。刃には何か魔法がかけられているのか、片方は仄かに輝き、もう片方は帯電しているがドレイナは意にも介していないどころかまるで効果がないようだった。


 攻撃を受け止められた男たちが着地する寸前、ドレイナは掴んだ剣を男ごと振り回す。一人は咄嗟に武器から手を離すが、もう一人は剣を離し損ねて地面に叩きつけられる。


 背中を強かに打ち付けた男はもがく間もなく、その顔面をドレイナに踏みつぶされた。


 難を逃れた男は即座に距離を取ろうとしたのか、着地した瞬間に後ろへ飛び退くが、その喉元にはすでに自らが手放した剣が突き刺さっていた。


 ガフッ、と血を吐きながらも、刺さった刃を抜き取ろうと手を伸ばすが剣に触れる前に力尽きたのかそのまま倒れ伏した。


「私を捉えたければ、最低でもこの百倍は連れて来なさい」


 そう吐き捨てながら振り返る。返り血どころか、服の乱れすらなかった。圧倒的で、流れるような戦いに思わず見惚れてしまっていた。


 そんな俺を見下ろしながら、ドレイナはにこやかに言った。


「助かったわ。あなたがいなければお店に危害が及ぶところだった。ありがとう」


 皇帝陛下からの実直な謝辞に、俺は嬉しいというよりは畏れ多いという心境だった。相手は上司や社長のような、自分の裁量でどうにか出来る相手じゃない。多少のミスで、なんなら相手の気分次第で俺の命すらどうとでも出来る存在だ。


 これまでの言動を見る限り、横暴な権力者と言うわけではなさそうだが、それでも一挙手一投足に気を遣う。


「ドレイナ様! ご無事ですか」


  店から出て来たオルトがこちらに駆け寄ってくる。おかげでドレイナの注目が俺から逸れたので、少しだけ後退して距離を取っておく。


「問題ないわ。この不届き者の拘束と、他は掃除しておいて。流石にもう向かってくるような愚か者はいないでしょう」


 ちらり、とドレイナは視線を上へ向ける。釣られて俺も見てみれば、建物の上には人影が。けれど、すぐにどこかへ逃げて行く。


「はっ、承知いたしました」


 言って、オルトは即座に行動を開始する。ドレイナはと言えば自分が撃退した襲撃者たちに興味はないようで、一瞥もせず歩き出すと俺の横を通り過ぎて再びパン屋へと入ってく。


 ようやくプレッシャーから解放されて一安心しながら、店内の様子を見るため振り返る。


「騒がせてしまってごめんなさい。出来る限りパンへ被害は出さないようにしたのだけど、出ている物はもう売り物にはならないわよね。全て、買い取らせてもらうわ。お店を開けられないことへの説明と、損害分の補填はこちらで処理するから安心して」


「い、いえ、そこまでしてもらうわけには……」


「こちらの問題に巻き込んだのだから当然のことよ。遠慮なく、施しを受けなさい」


 一方的な物言いに、レノアはそれ以上の問答を諦めたようだった。


 その後、すぐに集結した騎士団により襲撃者たちは回収され、店内の全てのパンと金銭の交換が行われた。それから処理に当たっていた騎士に、先ほど確約した対応の指示を出すとオルトと共に店を出て去っていく。


「はぁ、全く。おちおちパンも買いに来られないなんて、嫌になっちゃうわ」


「仕方ありません。警備の薄い状態ですから……しかし、今回の襲撃は件の化け物と関係があるのでしょうか」


 離れて行く二人を、俺は黙って見送るつもりだったが興味深い話が聞こえて、慌てて後を追いかける。


「違うでしょうね。もし関係があるのなら、一匹や二匹、加勢しに来るはずでしょう」


 オルトの疑念をきっぱりと否定する。どうやらノーレンスが変異した化け物と今回の襲撃は別案件だったようだ。


「ただ、私がこの町へ来ているのはまだ周知されていないはず。襲撃があるにしても行動が早すぎる。きっと、内通者がいるわね」


「それは……もう心当たりがあるのですか?」


「憶測だけど、研究施設内部に敵対者が潜んでいる可能性が高いでしょうね。もしくは騎士団」


「……騎士団については、否定しておきたいところですが……」


「私もアナタたちは信頼しているわ。だから、どちらかと言えば施設内の人間を疑ってる」


 言いながらドレイナはオルトの抱えている袋からレノアの店で買ったパンを取り出し、かぶりつく。


「ドレイナ様、お行儀が悪いですよ」


「仕方ないでしょう。動いてお腹が空いたんだから――うん、美味しいわ」


 そのやり取りを最後に、俺は追跡を止めてパン屋に引き返す。


 帰り道で、ドレイナとレノアのやり取りについて考える。


 化け物について調べているようだ。わざわざ皇帝自らが動いている理由が気になるが、これは俺にとってかなり有益な情報だ。


 クルントの件を摘発するなら、彼女ほどの適任はいない。今回の襲撃者についてもスパイが研究施設内にいることを疑っているのなら、摘発文を渡すことさえ出来れば多少の怪しさがあってもクルントの調査はしてくれるだろう。


 仮に、それでクルントが上手く隠れ切ったとしても当分は表立って動くことは出来なくなるはずだ。その間にもっと確定的な証拠を確保するか、奴らの目的を突き止めれば先手を打って俺の方で対処が出来るかもしれない。


 ミクロアを放置することになるが、それよりもまずは化け物をどうにかすることの方が先決だろう。


 とにかく今は、あの摘発文をジャスタとドレイナへ渡す。それからのことは対処方法を見て考えよう。

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