苦悶の手助け

 翌日、俺がミクロアの部屋でジャスタから教わった魔法学の復習をしているとバサバサと紙の落ちる音がした。何事かと本から顔を上げて見ればミクロアが机の上で頭を抱えている姿が目に入る。


 俺がここに来てから何度か見ている、発作的なモノだ。どうやら転送魔法の作成には上手く行っていないらしく、ミクロアは時々こうして荒れることがあった。


 無理もない。日がな一日、部屋に引き籠ってずっと作業を続けているのだ。風呂は魔法でなんとかしているし、本や日用品は部屋の前に魔法で運び込まれるので、彼女は本当に外に出ない。精神的に辛くなるのも当たり前だ。


 しかし、食事に誘っても本を見に行こうと誘っても、ミクロアは頑なに外へは出ようとしなかった。父親の事件の後、かなり辛い目に遭って対人恐怖症になってしまったのは知っているが、これでは健康にも悪いし、新しいアイデアなんて浮かぶはずもない。


 手伝おうにも、魔法については初級に手を出し始めたばかりの俺では彼女が今、何に悩んでいるのかさえ分からない。


 そもそも、父親の研究はチームで進めていたはずだ。一人で取り組むような代物じゃないだろう。


 研究資料は全部燃えてしまったと言っていたし、例え自宅に処分しきれなかった資料が残っていたとしても微々たる物で、しかも重要な情報なんて皆無だろう。それを紐解いたところで父親の研究が完成するどころか追い付くはずもない。


 仕事で思い悩んでいる人間をただ見ているだけ、というのはなんとも歯がゆい。せめてどんなことで詰まっているのかが分かれば情報収集くらい手伝えるんだが。


 そんなことを考えながら床に散らばった紙を拾い集めつつ、内容に目を通してみる。やはり半分も理解できそうにない。魔法陣についてもさっぱりだ。だが、今日は諦めずに少しだけ解読を試みる。


 ミクロアが今、行っている研究は空間を移動する魔法、転移……転送? とにかくワープに近い事象を起こすモノだ。ワープの原理はなんだったか、前世の記憶を探ってみる。


 光より早く移動する、とかだったか? いや、空間に穴を空ける、とかだったか? 何かもっと分かりやすい解説をどこかで見た気がする。


 ワープ、と言えばSF……SFといえば、青い猫型ロボット。あのどこでも行けるドア! あれはワープ装置だ。確か、通り抜けた人間の遺伝子情報を目的地へ転送して再構築してる、とかそんな感じの理屈だった気がする。


 それともう一個、紙の上に二つの点を書いて、この二つの地点を一番早く移動するには、どうすればいいか。という問いに紙を折り曲げて二つの点をくっつける。という手法を紹介していた記憶がある。


 漫画の知識だが、魔法ならそれが可能なんじゃないか? 遺伝子情報の方はちょっと恐ろしすぎて試す気にもならないが、二点をくっつける方はどうにか実現できないだろうか。


 空間を繋げるとか、省略するとか……魔法でならどうとでも出来る気がする。


 俺も部屋の中で頭を動かすだけじゃいい案なんて思い浮かばないし、外へ出て適当に他の研究室でも覗いてみるか。前はどこが何をしているのかまるで理解できなかったが、多少は魔法の知識も得た今なら見え方も違ってくるかもしれない。


 というか、イライラしている人間と同じ空間にいたくない。俺は逃げるようにして施設内の散歩へ出かけた。


 この施設で研究しているのは、港町だからだろうか運搬系の魔法が多い。船を速く移動させるにはどうするか、積み荷の重量を下げるにはどうするか、空や海中から物を運ぶことはできないか、などなど。


 その他には既存の魔法を強化・改良できないか。みたいな研究を行っているようだ。その中に見覚えのある顔を発見した。


 先日、俺の弁当を爆発させた女性職員だ。名前は確か、モータルだったか。


 確かモータルは物を縮める魔法の開発をしていると言っていたはずだ。荷物を小さくできればその分、運搬が楽になる。完成すれば革命的な魔法になるだろう。空間がどうとかも言っていたし、休憩がてら見学してみよう。


 倉庫のような広く、無機質で何も置かれていない部屋の中心には直径五メートルの魔法陣の描かれた布が敷かれていて、その上には三メートルくらいの箱が置かれていた。その周りにはモータル含めて五人の男女混合の職員が立っている。


 男性職員が魔法陣に手を添えて魔法を起動させると、箱はみるみる内に縮んでいき、手のひらサイズにまで小さくなった。


 おぉ、凄い。小さくさせる魔法は完成しているみたいだ。一度弁当を犠牲に間近で見させてもらったが、やはり前世にもないような技術を見ると感心する。


 続けて観察していると、職員たちは長い棒で箱を引き寄せて回収する。そして床に敷かれた魔法陣の布を円筒形に丸めて、新たに一メートル程度の布を広げた。そこにももちろん、魔法陣が描かれていた。


 その上に先ほど縮めた箱を置いて、モータルが魔法陣に歩み寄った。


 今度はモータルが魔法陣を起動させる役割を担うようだ。


 ……近くないか? 木箱が元の大きさに戻るとしたら、絶対にぶつかる位置だ。爆発している弁当を見ているからか、不安が込み上げる。いや、流石にその辺の安全は確保しているだろう。


 モータルが四つん這いになって魔法陣に触れて、魔法を発動させた。ガタン、ガタンと揺れながらじわじわと大きくなっていき、一回りほど膨張したタイミングでボンッと一気に膨らみ、三メートル大の木箱へと戻った。


 破裂こそしなかったもののモータルは顔面を強打しただけに留まらず、弾き飛ばされてしまう。


「大丈夫ですか! モータルさん!」


 職員たちがひっくり返ったモータルに駆け寄る。彼女は笑顔で起き上がると無事であることを示すように右手を上げた。しかし、鼻血が垂れている。


「鼻血出てるじゃないですか! とりあえず医務室へ行きましょう」


 女性職員がモータルの顔を拭いながら進言する。


「大丈夫、大丈夫。骨折れてないし、このくらいなら」


「馬鹿者、すぐ治療してこい。魔法の負傷は擦り傷でも洒落にならん時があるのだと、いつも口を酸っぱくして言っているだろうが」


 年配の男が厳しい口調で指示をする。このチームのリーダーだろうか、モータルは大人しく従って顔を拭ってくれた女性職員に連れられながら部屋を出て行く。


「だからもっと柔らかい素材でやりましょうって言ったじゃないですか」


「あれ以上耐久の低い素材じゃ、縮小に耐えられないじゃんかぁ」


 二人が出て行くのを見送りながら、残った職員たちが木箱の調査を始める。形は保っているようだが、所々に亀裂が入りボロボロになっていた。そっと、職員が触れるとバラバラと木箱は崩れ落ちる。


「やはり、空間を圧縮する手法では対象への影響が甚大ですね」


 興味深い話が聞こえて、俺は耳をそば立てる。


「言ってしまえば、力技で無理やり形を変えているだけだからな。小さくさせる一度だけならともかく、元の大きさに戻すとなると形の維持が出来なくなるんだろう。まあ、小さくするのもこの間成功したばかりだし、いろいろと試して行こう」


 話を聞く限り、物を小さくする原理は強烈な圧力をかけて押し潰しているような感じに近いのだろう。それを空間ごとやっていると……並大抵の物体は耐えられそうにない。あいつ、人の弁当になんて魔法をかけやがったんだ。


 しかし、これは使えるかもしれない。


 二点の”距離”という空間を圧縮することが出来れば――例えば100メートルを1メートルに縮めることが出来れば、それはもうワープと言って差し支えないだろう。


 他にも解決しなければならない課題は山ほどあるだろうが、ひとまずこの研究をミクロアの転移魔法に応用することが出来れば完成に近づけるのではないだろうか。


 そこまで単純な話でもないだろうが、やってみる価値はあるはずだ。

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