少女の抱える思い
「ほぁっ! ヤバい、寝すぎた……」
そんな声を聞いて俺は眼を覚ます。窓からは夕焼けが降り注いでた。
俺は大きくあくびをしてから立ち上がってグイッと体を伸ばす。隣ではボサボサになった頭で呆然と窓の外を眺めるミクロアの姿がある。
眠気を覚ますためであろう、掌で顔を乱雑に拭うその動作には後悔が滲み出ていた。そうしてじろりと俺を睨みつける。
「こうなるからご飯は食べたくなかったのに」
そんなことを言われても知らないね。俺は敢えて、反応を返さず机の上に飛び乗った。今まで放置していた布袋から本を取り出して勉強を始める。
ミクロアは俺のことをまじまじと見つめた後、ゆっくりと近寄って来た。
「あなた……字が読めるの?」
感嘆と驚愕の混じった声でミクロアは言った。初めて彼女の方から接触してきたことを意外に思いながらも、俺は頷く。
「最近の使い魔は凄いね……あ、これ」
置いてあった二冊へ視線をやり、そっと撫でるように本を触る。
「魔法学の入門書だ。懐かしい……わたしも、これで勉強、したっけ」
ふっ、と儚げに、ミクロアは微笑んだ。きっと自分でも気が付いていない、無意識なのだろう。彼女はそのまま、静かに口を開く。
「わたしの五歳の誕生日にお父さんが買ってきてくれたんだ。五歳のだよ? まだ字が読めるかどうかの時期だったのに……そういえばお父さんもお母さんも仕事ばっかりで、子供へのプレゼントは何がいいのか、わからなかったんだって、所長が言ってたな……」
どうやら彼女の親もワーカーホリックだったらしい。子が子なら親も親だな。
「でも、嬉しかったな。たまに帰って来た時に、この本を持って行くとね、お父さんとお母さん、教えてくれたんだよ。魔法について、熱心に。それが楽しくって、ずっと魔法の勉強してた」
懐かしいのか今日は良く喋るなと思いながらミクロアの顔をちらりと見れば、その瞳に涙が溜まっていた。話しながら当時のことを思い出しているのだろう。
「わたしはただ、お父さんとお母さんに褒めて欲しくて、魔法を勉強してただけなのに……学校だって、辛くても頑張ったのに……」
ポタポタと、収まりきらなくなった涙がこぼれ落ちる。本の上でぎゅっと拳を握りしめ、苦しそうに声を絞り出す。
「……なのに、間違いだったって……!」
エクルーナが言っていた、ミクロアの父親が遺した『我々はとんでもない間違いを犯した』という文言が脳裏を過る。
やはり彼女は父親のメッセージは自分のことだと思い込んでしまっているようだ。エクルーナの話を聞いた限りだとそんなことはないと思うんだが……。
俺はそっと、ミクロアの腕に寄り添った。腕で涙を拭い、被虐的な笑みを浮かべた。
「ごめんね。きみにこんなことを言っても仕方がないのに……でも、慰めてくれて、ありがとう」
そう言ってミクロアは俺の頭を撫でると、その瞳に決意を漲らせる。
「だから、わたしが転移魔法を完成させて、お父さんの選択が間違いじゃなかったってことを、証明するんだ。そうすれば、きっと、お父さんがあんなことをした理由が……」
そこで言葉を紡いでミクロアは俺から離れ、自分の仕事へと戻って行った。
彼女があれだけ必死になって仕事に打ち込むのは、凶行に及んだ父親の動機を探るためか、それとも名誉を回復させるためか、とにかく心情は理解した。
けれど、いやだからこそ、俺が彼女を監視して破滅的な行動を抑制しなくてはならない。
別に俺がそこまで世話をしてやる義理はないが、恐らく人間不信に陥ってしまった彼女を救えるのは、猫である俺だけなのだろう。それを見越してエクルーナは俺をミクロアの監視役として使わせた。
俺としては施設の設備と魔法についての勉強が出来れば良いのだが……まあ、可能な範囲で手助けはしてやるか。知り合いが不幸になるのは目覚めが悪いしな。
ともあれ、ミクロアの仕事――転送魔法の完成については現状、俺に手伝えることはないので、ひとまずジャスタからの課題に取り組むべく、自分の勉強を優先することにした。
先ほどミクロアが言っていた通り、ジャスタに渡された本は入門書の役割を担っているらしく、ジャスタが説明してくれた魔子や魔法学の成り立ちについて事細かに記されている。
加えて、魔法陣についても細かな記載があった。長々と書かれているが、纏めると――。
魔法陣とは、エルフが脳内で行っている処理を目に見える形として描き出した代物で、主な役割は魔子の収集と操作(人体への流入と変換)である。
魔法陣一つに対して一つの魔法しか使うことは出来ないが、最低限の魔子操作さえ習得すれば誰にでも魔法を扱えるようにするものだ。
また、基本的にエルフ以外は魔法陣を使用しないと魔法は使えないのだが、例外として使い魔として動物を使役すれば魔法が使えるようになる。という記載を発見した。
どうやら動物は人間よりも魔子収集能力に長けているらしく、魔法陣の役割である”収集”を補えるのだそうだ。
ただし魔子の変換は出来ないので簡単な魔法しか使えないし、そもそも使い魔を使役できる人間自体が少ないらしく、まだ研究はほとんど進んでいないらしい。
魔法を使う、という行為にもやはり色々とやり方があるようだ。
次の項には魔法陣を作成する注意点が書いてある。
対応する魔法陣を重ね書きすることで効果の増強・変質を可能にする。ただし対比する属性(火と水、地と雷など)の魔法を重ねることは出来ない。
魔法陣は魔子を込めた液体でなければ効果を発揮しない。技術の流出を防ぎたいのであれば魔子を込めた水で描くとよい。
さらに次の項には魔法陣の描き方が、魔法陣のイラスト付きで記載されていた。
これを丸写しすれば、とりあえず簡易的な魔法は使えるらしい。それなら二、三日あればできそうだが、ジャスタの課題はこれでいいのだろうか。まあ、出来上がり次第、見せに行けばいいか。
それからは簡単な魔法陣についての説明に終始し、本の最後は『魔法学は人類の発展を目的として使用することを願う』という文言で締めくくられていた。
ふと、ノーレンスは呪文によって魔法を使用していたことを思い出す。しかし、この本には呪文のことなど一切書かれていない。
上級になれば呪文を使うことが出来るのだろうか。これはあくまでも魔法陣についての専門書のようだし、余計なことを書いていないだけなのか……いや、でも使い魔の記述はあったしな……。
まあ、俺が見逃した可能性もある。後でもう一回読み込もう。
今回は軽く流し読むだけにしておくつもりだったのだが、かなり熱中していたらしい。気が付けば深夜帯に突入していた。
残りの二冊は”人類と魔法陣”という歴史書と”ワーディン・アブロンズの功績”という伝記書だ。興味はあるが、まずはジャスタの課題を優先しよう。
その前に、飯だ。メシ。意識した途端に腹の虫が騒ぎ出す。
まだ食堂は開いているだろうかと気に掛けながら、俺は周囲に散らばっている用紙を引き寄せ、爪にインクを付けて『ご飯、行く』と書いてミクロアに声をかけた。
「……邪魔しないで」
夕方は少しだけ打ち解けたと思ったのだが、素っ気ない態度に戻ってしまった。さらにしつこく絡みついて紙に書いた文字を見せる。
「もう、なに? ご飯……? 勝手に行って来たら。自分で調達できるんでしょ?」
確かにそうだが、お前は行かないのかと視線で訴えてみる。だが、俺の意図は伝わらなかったようで、俺の書いた文字をまじまじと見つめていた。
「きみ、文字も書けるんだ。最近の使い魔は凄いね」
などと、以前も聞いた賛辞の言葉を口にするだけだった。
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