無口な魔法使いの事情
よし、こんなもんだろう。
俺は棚の上から整頓された室内を見渡した。朝とは見違えるほど綺麗になった。これなら気持ちよく仕事ができるだろう。
すでに日は落ち、空は暗くなっている。窓からはちらほらと帰宅する職員の姿が確認できた。
結局、ミクロアとは昼の悶着以外でのやり取りはなかった。俺の見た限りだと、ずっと机に向き合ったまま黙々と仕事に取り組んでいる様子だった。
とんでもない集中力だ。前世の俺もまあまあ仕事に対しては病的なほど執着していた自覚はあるが、それ以上だぞ。
まあ、流石にそろそろ引き上げるだろう。腹も空いているだろうし。せっかくだし、一緒に飯を食べに行こうじゃないか。そして俺に上手い飯を恵んでくれ。
そんなことを考えながらミクロアが仕事を切り上げるのを待つ。十分、三十分と時間は過ぎていき、時刻が十九時を回っても仕事を終えるどころか休憩する素振りすら見せようとしない。
いやいや、いくらなんでもそれはヤバいだろ。そんなに納期が近い仕事を抱えているのか? それにしては独りで作業をしているのはどうしてだ……。
何はともあれ、飯抜きは色々と危ないんだって。というか、そろそろ帰らないと睡眠時間も取れなくなるぞ。
仕事を止めるよう促すため、俺は机の上に登ってミクロアの視界を塞いだ。
「にゃー(飯行くぞ)」
再び仕事を続けるか中止させるかの攻防が始まるかと身構えたが、今回はあっさりと立ち上がりミクロアは俺を抱き上げると外へと向かう。
流石に疲れたのだろう。さあ、このまま食堂まで――。
扉を開けると同時にポイッ、と外へ放り投げられた。着地して振り返る頃には扉はバタンと閉じられる。
あいつ、問答無用で追い出しやがった。仮にも所長から仕事仲間として紹介されたんだぞ。しかも今日の朝。それをここまで無下に扱うなんて、なんて奴だ。
別に放っといてもいいんだが、俺は彼女の監視役として雇われているのでこのまま放置するわけにはいかない。かと言って、窓も閉められた今、俺は部屋に戻ることが出来ない。
これは、一度所長に相談かな。せめて飯だけでもなんとかしないと駄目だろう。俺は渋々、残業して所長への報告書を作るため、タイプライターのある図書室へと向かった。
翌日の早朝、さっそく昨日の出来事を報告しに行く。
「やっぱり、こうなったのね」
報告書を見たエクルーナは事もなげに言った。ほぼ、予想通りといった様子だ。
「猫のあなたとなら上手く打ち解けられると思ったのだけれど、少し甘かったみたいね」
やはり何か事情があるのか。じゃなきゃ、あんな場所に一人で引き籠っていないだろう。彼女の抱える問題なのか、それとも他の人間が関係するのか……。
俺の目的はあくまでも魔法の見識を深めることで、別にミクロアに対して深く関与するつもりはないが、彼女の補佐として雇われている手前、彼女に関する問題は知っておきたい気持ちもある。
ミクロアについて聞きたがっているのを察したのか、エクルーナは逡巡する仕草を見せ、口を開く。
「ミクロアは、重度の人間不信なの。そうなった原因は、いろいろあるわ。まず、彼女はとても優秀で、最年少で魔法学校に入学して首席で卒業したほどなのよ。優秀故に、辛い経験もたくさんしたみたいね。詳しくはわたしも知らないけれど、とても陰湿ないじめを受けていたらしいわ」
いじめ、ね。そういうのはやはりどこの世界にもあるみたいだ。俺も前世ではやっかみで嫌がらせを受けたことは多々ある。死因もある意味では嫉妬が原因だしな。
「それに加えて彼女のご両親がね。自死してしまったの」
不穏な単語に、俺は表情を歪ませる。なんだかとても重苦しい話になりそうだ。
「彼女のご両親も、優秀な魔法研究員だったわ。わたしも一緒に仕事をしていた。けれど、ミクロアの御父上――マーロックは研究が佳境に入った際、焼き払ったの。研究成果の全てと共を」
含みのある物言いだった。エクルーナは当時を思い出しているのか、辛そうに顔を歪める。俺は黙って続きを待っていると、彼女は重々しく口を開いた。
「研究成果には自身と、それに関わった人間も含まれていた。共に研究していた仲間と、妻を殺害して、施設に火をつけたの。かなり強力な魔法でね。誰にも、止めることはできなかったわ」
そこまで話して、エクルーナは悔しそうな、辛そうな表情を浮かべた。きっと"誰にも"の部分にはエクルーナ自身も含まれているのだろう。
「燃え残ったのは遺体と、”我々はとんでもない間違いを犯した”という施設の壁に書かれていたメッセージだけ。マーロックの研究は空間移動の魔法で、なにが彼をそこまで追い詰めたのか、あんな凶行に及んだのかは、結局最後までわからなかったわ」
語られる壮絶な過去に、俺はどう反応していいか分からなかった。ただ、エクルーナの声に耳を傾け続ける。
「そして、ミクロアはそれが自分の責任だと感じている。マーロックが施設で事件を起こした日が……学校を卒業する日だったから、遺されていたメッセージを自分のことと結び付けてしまったのね。学園も自分の父親――マーロックの推薦で入学したから余計にそう思わざる得なかったのかもしれないわ。それに事件も大きかったから、調査も入念に行われた。もちろん、実子であるミクロアには特に。そのときに心無い言葉もたくさん投げかけられたのでしょう」
父親が行った行動は、ミクロアに直接的な関係がないとしても精神面にかなりの打撃を与えただろう。
「わたしがミクロアを保護したのは、事件から一年経ってからだった。マーロックとは古い付き合いでね。わたしも何度か、幼いミクロアに魔法のことを教えていたから交流があったの。けれど、久しぶりに会った彼女は以前の活気は全くなくて、ほとんど抜け殻みたいなものだったわ。マーロックの仲間だった親族が、彼女に対して良くない噂を流していたから……周囲の風当たりも相当、厳しかったでしょうね。あの子は大人びて見えてまだ十八歳だもの、そうなってしまうのも無理のないことだわ」
傷心の身で世間からのバッシングは、彼女の心を壊すには充分なストレスだったに違いない。それを思うと、胸が痛んだ。同時に思った以上に若くてびっくりする。
「……少し、長く話し過ぎてしまったわね。あなたにこんなことを話しても困るわよね」
一転してエクルーナは声音を明るくして、当初の話題へと戻す。
「ミクロアに部屋から追い出された時の対策は考えておくわ。それと、食事についてだけど……あなた、買い物は出来る?」
コクリと頷くと、エクルーナは続けた。
「なら、今後は食堂でこれを渡しなさい。食事を融通してもらうよう、手配しておくわ」
そう言って取り出したのは一枚のカードだった。アルラッド帝国のシンボルと、エクルーナの署名が記されている。
「あなたの分もお弁当を用意するように伝えておくから、ミクロアと一緒に食べてあげて」
それは助かる。これでいちいち職員たちに飯をねだらずに済む。しかし、本当に手際がいいな。この人は。
「じゃあ、ミクロアのことをお願いね」
どこまで本気かは分からないが、事情も把握したし、仕事である以上は責任を持ってミクロアの世話をしてやろう。
……あれ、本来なら俺が世話をされる側のはずなんだけどな。まあいいか。
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