三章:人見知りの魔法使い

今後に備えて

 パン屋の騒動から一週間ほど経過したある日の夜中、俺は研究所内部にある図書室へと足を運んでいた。


 店の方も落ち着きを取り戻し、借金返済の目途もついた。シャム猫に客引きの仕方を教え込んだから当分は俺が関与しなくても大丈夫だろう。


 それで、飼い主候補を探すでもなくこんな場所へ来た目的は、魔法について調べるためだ。


 猫の身では魔法なんて縁がないと思って後回しにしていたのだが、パン屋の一件で魔法についての知識不足を痛感した。


 ノーレンスが襲撃してきた時、俺は何も出来なかった。仲間がやられてようやく、動けるようになるという醜態を晒してしまった。想定外の出来事にはそこそこ対応できる自信はあったんだが、未知に遭遇してしまうと色々と考えすぎてしまって身体が動けなくなってしまうようだ。まったく情けない。


 それにノーレンスが使っていた不可視の攻撃。レノアの使っていた光る槍だって魔法だろう。あんなのが今後、俺に向かないとも限らない。あれで終わりとは思えなかった。


 それと、ノーレンスが変貌した姿の既視感をようやく思い出した。絵本だ。オルトへの手紙を作る時、参考にした絵本で見た怪物の眼に似ているのだ。あのあと確認したから間違いない。


 絵本の怪物は空を覆うほど大きかったが、あんな特徴的な瞳を持った生物が何種類もいるとは思えない。怪物の大本は異界へ飛ばされたはずだが、それの子孫か何かだろうか。


 ついでに怪物についても調べようと思ったのだが、それに関する書籍はこの図書室にはなさそうだった。そこそこ広い場所だし探し切れていないのかもしれないが。


 ともかく、怪物の存在が明らかになって、そしてそいつらがなぜかアリィを狙っているのなら魔法の知識は蓄えていた方がいいだろう。もしまたあの怪物と対峙するようなことがあるならば、魔法についての無知のままだと対策の取りようがない。


 魔法陣についても、ある程度の法則性はあるだろう。それらを学んで、なんなら魔法が使えるようになるのもいいかもしれない。そうすれば色々と便利そうだし。


 そう思ってこの一週間ほど、図書室にある本を読み漁ったのだが……まるで理解できなかった。


 文字はこの半年ほど町の学校で、恐らく低学年クラスであろう授業を盗み聞いて文字はある程度読めるようにはなった。


 けれど所詮は小学生レベルの語彙力では論文や専門書であろう書籍たちに太刀打ちできるはずもなく、こうして適当に本を広げては、ただ睨みつけることしか出来ないでいた。


 何度か魔法陣の研究現場を見学してみたが、専門用語が多すぎて何を言っているのか理解できず、本を読んでも意味を理解できず、完全に行き詰ってしまった。


 せめて入門書的な物があればいいのだが、それを判別することもままならない。頼りに出来そうな猫友もいないし、適当に本を開いては理解できそうな文言を探すくらいしかすることがなかった。


 今日も今日とて深夜になるまで理解できる本を探すという無為な時間を過ごしていると、不意に部屋の扉が開く。慌てて俺は本棚の上に身を潜めた。


 人の気配は気にしていたつもりだったが、長時間の作業で気が緩んでいた。というか、時刻はもう深夜を回っているはずだが、いったい誰だ?


 研究職の人間が徹夜で作業しているのは不思議じゃないが、この時間に図書室へ誰かが来るのは珍しい。


 徐々に蛍光鉱石が明かりを灯していき、本棚の隙間を縫って現れたのは初老のエルフの女性──エクルーナ所長だった。


 彼女は真っすぐにこちらへやってくると、開きっぱなしの本を見てから周囲を見渡し、俺の方へと顔を上げた。


「あぁ、やっぱりあなただったのね」


 微笑みながらエクルーナは言った。どうやら侵入していたことがバレていたらしい。


 まあ、国の重要機関だろうし何かしらのセキュリティーはあるのだろう。見つかった瞬間こそドキリとしたが、俺はあたかも寝床を確保しに来た猫を装うために身体を丸める。


 エクルーナがどこかへ行くまでこのまま寝たふりを決め込んでやろうと思っていれば、不意に俺の身体を何かが触れた。


 優しい感触だが、手ではない。触れられている所を見てみれば魔法の粒子が纏わりついていた。


 身体が浮かび上がり、ゆっくりと本棚から机の上まで移動させられる。流石に追い出されるか? 身構えていたがエクルーナは微笑みながら俺を見下ろすだけだった。


 だが、その笑顔に見覚えがある。何かを企んでいる人特有の厭らしい表情だ。どこか嫌な予感を覚えながらも、エクルーナのアクションを待つ。


「あなた、魔法の勉強をしていたの?」


 エクルーナが机の上に出しっぱなしだった本を横目で見ながら問いかけてくる。俺は無反応を決め込んだ。というかどう応えればいいのか分からないのが本音だった。


 反応を示さない俺に対して、エクルーナは再度、口を開く。


「あなた、度々ここへ侵入して何かしているわよね?」


 咄嗟に、視線を逸らしてしまう。あ、と思った時には手遅れだった。彼女は確信を得たように笑みを深め、視線を合わせるためか椅子に座る。そうしてじっと俺の眼を見ながら口を開いた。


「あなた、普通の猫ではないでしょう? ここはとても重要な場所だから、得体の知れない存在を好きに出入りさせるわけにはいかないのよ。今までは大目に見ていたけれど、ここ数日の侵入頻度は看過できないわ」


 うぐ……彼女の言い分はごもっともだ。というか、普通の猫じゃないってバレた今の状況は普通にヤバいのでは……。


 ここが使えなくなるのは今後を考えるとかなりの損失になるが厄介な事になる前に逃げた方がいいかもしれない。


 そっと、俺は逃げる決心を固める俺にエクルーナは続けた。


「本来なら出入りを禁じるところなのだけれど……協力してくれるのであれば出入りを許可してもいいわ」


 その言葉に、俺は逃げるのを中止した。


 エクルーナの表情は微笑みを浮かべてこそいるが、こちらを欺こうという意思は感じない。彼女は俺を対等な存在として認め、取引を提示しているのだ。その意思を汲み取って俺は真剣に考えてみる。


 これからもタイプライターを使いたいし、魔法の勉強だってしなくてはならないのだ。


 色々な場所を探してみたが、普通の学校や図書館だとタイプライターなどは必ず片付けられていて俺が勝手に扱えるような物は見つからなかった。ここを出禁にされてしまったら人間との意思疎通がやりにくくなる。


 しかし、協力と言っても内容が分からない以上は俺も迂闊に頷くことは出来ない。実験動物になってくれ、なんてことを言われたら最悪だ。


 俺の意図を読み取ったのか、エクルーナは話を再開させた。


「別に難しいことではないわ。ミクロアの……パン屋さんで変な噂が立ったときにあなたが逃げ込んだ部屋で会った子よ。彼女の手伝いをお願いしたいの」


 ミクロア、という名前を聞いて該当する人物を思い浮かべてみる。確か、部屋の中で一心不乱に作業をしていた少女だったか。パン屋の調査にも来ていた人見知りの。


「彼女は優秀なのだけど、人との付き合いが苦手みたいでね。あなたなら良い助手になってくれると思うのよ。手伝いと言っても彼女に何かあった時、わたしへ伝えてくれるだけでいいの。いわば伝言役ね。他にも簡単な雑用は頼むかもしれないけれど、伝言役を引き受けてくれるなら研究所内を自由に行き来して構わないわ。必要に応じて設備の使用も許可しましょう。それにここで働けば魔法についても学べると思うけど、どうかしら」


 伝言役と軽い雑用だけで設備の使用と魔法について学べるというのは俺にとってはかなり破格の条件だ。それが逆に怪しいとも感じるが、もしもの時は逃げればいいだろう。それに勝手に色々と使わせて貰っていた手前、断るのも心苦しい。


 エクルーナの申し出を受けるため、俺はエクルーナへ右手を差し出す。


「受けてくれるのね?」


「にゃー」と鳴いて俺が頷くと、エクルーナは差し出した手を握った。


 取引成立だ。

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