一件落着

 首を切断するまでには至らなかったものの、首元に開いた傷口は誰がどう見ても致命傷だった。


 ――だった。はずなのに。


 ぐりん、とノーレンスは目玉の位置そのものを変えてウェストを見ると、触手の一本をしならせてウェストの身体へ攻撃する。


 腕によるガードには成功するが、ウェストは大きく弾き飛ばされて地面を転がった。


 ぶらん、と半分斬られた首がぶらさがる。それをノーレンスは事もなさげに腕で元の位置に戻すと傷口は見る間に再生し、完全に塞がってしまった。


 次いで、ノーレンスが五本の触手を絡みつかせるように一本に纏めると、レノアへ向かって突きの攻撃を繰り出した。


 レノアは腕を交差させて魔法の防壁の濃度を高めて防御を試みるが、多少の遅延を強いただけで防壁を貫き通る。レノアは瞬時に防御失敗を悟り、横へ飛んで回避を行う。


 左腕を掠めるだけで済んだ触手の槍は、レノアの背後の地面に深々と突き刺さった。当たっていれば確実に身体を貫いていたであろう必殺の一撃に、ゾクリと背筋が凍るのを感じる。


『みんなー! レノアを助けるぞー!』


 どこかの猫が号令を出すと、数匹の猫たちがノーレンスに向かって駆け出した。


『ま、待て、お前ら!』


 俺の制止を無視して、猫たちはノーレンスに飛び掛かる。すると腹の口が呪文を唱え、猫たちはノーレンスに触れることなく不可視の触手に弾き飛ばされてしまった。


 その光景を見て、ようやく俺の固まっていた身体が動き出す。


『アレに近づくな! おい、怪我した奴らを助けるぞ!』


『お、おう!』


 シャム猫に言いながら俺たちは屋根の上から飛び降りる。ストン、と着地した瞬間にノーレンスがこちらを向いた。


 きっと動くモノに反応しただけだろう。魔法の有効範囲は分からないが、近づきさえしなければ大丈夫なはず。そう思ったのだが。


「ネコ、ネコォォォォオオオ!」


『ンニャァ!?』


 憎悪に満ちた声を放ちながらノーレンスが四つん這いのままこちらへ突撃してくる。


 驚き、俺とシャム猫は逆方向へと飛び退いた。標的が左右に別れて、ノーレンスは急ブレーキをかける。


 ちょうど、俺とシャム猫の間に位置する場所で、ノーレンスは首を左右に振ると、俺の方へと狙いを定めた。


 俺かよ! チクショウ! とは思いつつも、俺はシャム猫へ叫ぶ。


『コイツは俺が引き付けるから、その間に怪我した奴らを頼む!』


 シャム猫は一瞬、戸惑いを見せた後、頷いて駆け出した。それを見送る暇もなく、五本の触手が俺を捕えようと襲い掛かってくる。


 異質な攻撃に気後れはあったが、動きは単調で動きもそこまで速くない。避けることはさほど難しくなかったが、如何せん手数が多い。このまま逃げ続けてもすぐスタミナ切れで捕まってしまう。


 もしもあの触手に捕えられれば……撫で回されるわけでもないだろう。それ以上はどうなるのか想像もしたくなかった。


 とにかくやられた猫たちの救出が済むまでは俺がこうして引き付けておかなくてはいけない。その間にコイツをなんとかする方法を考えないと。


 だが、猫の身では皮膚に傷を付けるのが精いっぱいだ。目玉を攻撃すれば怯ませることくらいは出来るだろうが、首を切られても平気な相手に勝てる気がしない。頼りになりそうなのはレノアだが、流石にこんな化け物相手じゃどうしようも……。


 そう思ったのも束の間、視界の外から光る何かが飛んできてノーレンスに突き刺さる。


 それはどうやら魔法で形成された槍のようで、続けて二本、三本と数を増やしていく。飛んできた方向に目をやれば、レノアの周囲に十本近い光の槍が浮かんでいた。


 その光景を目の当たりにした直後、光の槍が一斉にノーレンスへと襲い掛かる。接近に気が付いたノーレンスは回避を試みようとするが、先に刺さっていた槍の一本が腕を地面に固定して動けない。


 俺に伸ばしていた触手を戻してガードに徹するも、槍は触手を貫通してノーレンスの身体へ到達する。


「ギィィィアアアアアア――!」


 甲高い絶叫を上げながら、ノーレンスは地面に倒れ伏した。けれどまた再生して起き上がるだろう。


 警戒を緩めず様子を窺っていると、ノーレンスの身体はボロボロと崩れ始め、最後には僅かな塵を残して、彼の存在は消え去った。


 突如現れた化け物を打ち倒し、わっとギャラリーから歓声が上がる。けれど当事者である俺たちとしては、いまいち喜ぶことが出来ないでいた。


 いきなり化け物へと変貌を遂げたノーレンスもそうだが、アレの正体が最後まで分からなかった。しかも、その未知の存在はレノアの娘を……アリィを狙っている。


 困難を乗り越えた達成感よりも、謎の敵が出現したことへの不気味さの方が勝っていた。そんな中で、立ち直ったウェンスがノーレンスだった塵へと歩み寄ると、羽織っていたスーツの上着を脱いで残骸を回収し始める。


 レノアもウェンスの元へ行こうとしたようだが、それよりも先に駆け寄って来たアリィに捕まった。


「お母さん! 大丈夫?」


「えぇ、大丈夫よ。何も心配いらないわ」


「でも、怪我……すぐに治すから!」


「私は後でいいから、それよりも猫さんたちの治療を先にしてあげて」


 レノアが指し示した方向には、魔法攻撃を食らった猫たちが倒れていた。それを見て、アリィは一瞬の逡巡の後、頷いて駆け出す。


 俺としても仲間たちの安否は気になったが、それよりもまずは退けた脅威についての方を優先する。


 この中で一番、事情を知っていそうなのはウェンスだ。それはレノアも分かっているのか、アリィの背中を見送りながらウェンスの元へと行き声をかける。


「ウェンスさん。今のは、いったいなんだったんですか?」


「わかりません。ひとまず、これを持ち帰って領主様に報告いたします。詳細は、分かり次第、あなたにもお伝えします」


「お願いします。どうやら、娘が狙われているようなので」


「えぇ、その件についても、追って対処を考えておきます」


 それから通報を受けたのであろう騎士隊が数名、現れて現場を整理し、負傷したラムダも運ばれてひとまずこの場は落ち着きを取り戻した。


 幸い、猫たちも大事には至らなかったようで、アリィの治癒魔法をかけてもらうとあっという間に元気になった。


 ノーレンスの最後はどうにも後味の悪い、不穏な結末となってしまったが、パン屋の復興についてはほぼ達成したと思っていいだろう。


 とりあえず当初の目標はこなしたという事実を受け入れながらも、俺は言い知れぬ胸騒ぎを無視することが出来ないでいた。

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