強行
ノーレンスたちの襲来から一週間が経過した。
あれから俺や野良猫たちで警戒を続けていたが、ノーレンスが戻ってくることも、パン屋へ何かしらの報復処置があるわけでも、アリィが襲われることもなく平穏が保たれている。
店の警備をしてくれている騎士も、一人に戻っていた。
猫についても”危険だから排除しろ”などの命令が出回っている様子もない。正直、拍子抜けと思えるほどに何も起こらなかった。
あの後、オルトは領主へ話をしに行くと言っていたし、説得して問題が解決したのかもしれない。ただ、あれからオルトが姿を見せていないから心配だ。オルトの部下であるラムダが今日の警備についているので無事だとは思うが。
また、あの騒動は街中でかなり話題になっているらしく、至る所で現在の領主への不満が上がっているのを耳にした。中でもこの街を私利私欲のため支配するつもりで前の領主を暗殺したんだ。なんていう陰謀論紛いの代物も少なくない場所で上がっている。
前領主の暗殺を今の領主がやったのでは、というのは常に囁かれていた噂であったがオルトが屋敷へ入っていくのを目撃した住民が、騎士団が領主へ介入したと勘違いして話が広まり、噂の信憑性はさらに加速したようだ。
そんな最中、パン屋に領主の元から使いの者がやって来た。レノアと学校が休みで店の手伝いをしていたアリィの仕事が落ち着いたタイミングで、男は店に入り自己紹介を口にする。
「こんにちは、お二方。領主からの使いで来たウェンスと申します。今、お時間よろしいでしょうか」
ウェンスと名乗った男はノーレンスとは違い、厳格で切実そうな初老の男だった。領主関係者は敵だと認識している猫たちの間に緊張が走る。さっそく飛び掛かろうとするシャム猫を抑えながら、成り行きを見守った。
「アリィ、少し奥へ行っていてくれる?」
レノアはそっと告げると、アリィは頷いて店の奥へと引っ込んだ。それを確認してからウェンスは話を始める。
「この度は我々の早合点により、多大なるご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした。今後はこういったことが起こらないように尽力いたします。貸付金の免除は出来ませんが、返済期日まで我々は一切の関与を致しません。領主クリフォードに代わり重ねて謝罪申し上げます」
どうやらノーレンスたちがやらかした横暴の件で謝罪に来たようだ。これが上辺だけのモノでないと判別できないが、ひとまず敵対の意図はなさそうだ。レノアはそれを聞いて安堵の微笑みを浮かべる。
「私への疑いは晴れたみたいですね……よかった。ところで、ノーレンスさんは……」
ウェンスは顔を上げると、淡々と言葉を返す。
「ノーレンスについてですが、今まで与えていた一切の権限を剥奪しております。もし、今後彼が尋ねて来て何か申したとしても、それは領主の預かり知らぬ所――追い返すなり、警備の騎士団なりに引き渡してください。領主へ直に報告してもらっても構いません。こちらの方で早急に対処いたします」
どうやらノーレンスは完全に見放されてしまったらしい。失敗を名目に切られたのだろうか。
あいつも命令を受けていただけだろうに哀れなものだ。まあアリィの父親を殺している時点で同情の余地はないが。
では、とウェンスはもう一度頭を下げてレノアに背を向ける。謝罪だけで帰るつもりか。
相手の不手際で迷惑を被ったのだから借金を減らすなりなんなりの交渉を行うチャンスなのだが、もったいない。俺が交渉できる状態であの場にいれば……。
『おーい! 大変だー!』
もどかしい想いを募らせていると、周辺警戒に協力してくれていた猫が駆け寄ってきた。何事かと注意を向けると、猫は告げる。
『ノーレンスこっちに向かって来てるぞ!』
『なんだって!?』
ウェンスの口ぶりから察するにノーレンスが店へ来る理由はもうないはずだ。いったい何が目的だ?
『どうする、追い返すか!?』
シャム猫が問いかける。
『……いや、一旦、様子をみよう』
問題を起こしていない人間を襲うのはこちらが不利益を被る危険性も孕んでいる。今回は様子見に徹する事にしよう。
どんな目的であれ、領主の使いがいる前では流石に下手なことはしないだろう。
そうこうしている間にノーレンスの姿が見えた。以前のような風格はなくなり、服も髪も乱れている。足取りは荒いが、いきりたつ、というよりはどこか焦っているような印象を受けた。
そんなノーレンスにラムダが声をかける。
「ノーレンスさん。お疲れ様です」
それを無視して店の中へ近づこうとするノーレンスをラムダは肩を掴んで制止する。
「待ってください。あなたはここへ来ることは禁じられているはずで」
「――――」
ノーレンスはラムダを睨みつけながら何かを呟いた。刹那、ラムダの身体が何かに弾かれるようにして吹き飛び、数メートル離れた向かいの建物の壁に激突した。
『!?』
突然の騒動に辺りからは悲鳴が上がる。吹き飛ばされたラムダは心配だったが、それよりもノーレンスが何をしたのかが全く分からず、動けずにいた。
一瞬、空気が揺らいで鞭のような物体がラムダを襲ったように見えたが、あまりにも速くて正体を捉えることが出来なかった。もしかしたら魔法の類かもしれない。
騒ぎを聞きつけて、店の中からウェンスとレノアが飛び出してきた。レノアはちらりと騎士の飛んで行った方向を見て、ノーレンスを睨みつける。
「ノーレンス!? 貴様、どういうつもりだ!」
「レノア、娘を、こちらによこせ」
ウェンスの問いかけを無視してノーレンスは言った。どうやら裏工作は諦めて真っ向から連れて行くことにしたらしい。こんな白昼堂々と実行に移すなんて余程余裕がないようだ。
「馬鹿なことを言うでない! それに、貴様は領主様よりこの店への接触は禁じられているはずであろう! 今すぐここから去れ!」
「黙れ、ワタシに、指図をするなっ! ――××――××」
怒声を飛ばしてウェンスの言葉を遮ると、続けて言葉を発した。けれどもそれは俺の知識を総動員させても理解できない、聞き取ることすら困難な――まるでこの世の言語ではないような言葉だった。
空気が揺れて、ウェンスへ先ほどラムダを襲った不可視の鞭が振るわれた。寸前で、レノアが彼の襟首を後ろから引っ張って攻撃を躱す。辛うじて空振りに終わった攻撃は地面に細く鋭い傷を付けた。
やはり魔法だ。しかし発動条件は魔法陣ではなく呪文のようだ。魔法を使うのにそんな方法もあるのか。
「どいつもこいつもワタシに命令ばかりしやがってそのくせ誰もワタシの言うことなんて聞きやしないくせにみんなワタシの言うことに従っていればいいんだそうすれば全部うまくいくのにどうして――!」
唾を飛ばしながらまくしたてられる言葉は意味を成しているようで支離滅裂だった。まるで自分の中に溜まる憎悪を吐き出すように、息つく間もなく言葉を紡ぎ続ける。
レノアは尻もちをついて呆然とするウェンスの前に出て、ノーレンスを注視していた。
まるで次の行動を警戒しているような、そんな隙の無い視線だ。しかしノーレンスはそんな彼女から顔を背け、パン屋を仰ぎ見る。
「この店があるからワタシの計画はうまくいかないんだ。こんなもの、壊してやる!」
叫び、ノーレンスは両手を店へ向けると再び得体の知れない言葉を紡ぎ始める。
「レ、レノアさん。
立ち直ったウェンスは言うが、レノアはそれを無視してノーレンスの元へと歩み寄る。
レノアを無視して呪文を唱え続けるノーレンスへ、レノアは固く握った拳を思いっきり顔面へと叩き込んだ。
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