失敗の代償

「ノーレンス、貴様はいったい何をやっているのだ!」


 とあるパン屋の前で猫の集団が男たちと争った話は街中へと広まり、領主であるクリフォードの耳に入るのにそう時間は掛からなかった。そして騒動の原因であるノーレンスが呼び出されるのも必然の出来事であった。


 領主の住まう屋敷の、豪勢な一室に呼び出されたノーレンスは怒気を孕んだクリフォードの視線の前で身も心も竦ませていた。


 これまで数多の荒くれ者やひねくれ者たちと対峙し、屈服させて来た経験も街一番の権力者の前ではなんの役にも立たなかった。自身に非があるのであれば尚更である。


 それでもノーレンスはこの場を切り抜けようと弁舌を振るう。


「領主様より、敵国のスパイが紛れ込んでいるという情報を聞き、早急な対応が必要だと思いまして……」


「確かに伝えた。だが、ワタシが命じたのは調査だ。連行しろとは言っていない。そもそもどうして主計官である貴様がわざわざ出向く必要があった? 騎士団なりに指示を出せばここまで騒ぎが大きくなることもなかったというのに」


 頭を抑えながら正論を口にされてはノーレンスも黙る他なかった。


「ただでさえ前領主暗殺の犯人であると、有らぬ疑いをかけられておるのに……! とにかく、貴様は今後、あのパン屋に接触することは禁ずる! 貴様がしでかした事態の収拾に務めよ。処遇は追って伝える」


 そこで話は終わりだとばかりに睨み付けるクリフォード。ノーレンスとしてはまだ弁解を続けたいところであったが、これ以上は逆効果になると分からないほど愚かでもなかった。


 心中穏やかでなかったが、それを悟られないよう細心の注意を払い「失礼します」と頭を下げて部屋を出る。


 領主の部屋から出るとノーレンスはいきりたった足取りで自室へと向かい、乱暴に扉を開けた。室内では白い面を付けた人物が、ソファに座っている。


「面倒なことになったな」


 まるでノーレンスとクリフォードの会話を聞いていたような口振に驚くが、それよりも他人事のような物言いに対する怒りが勝る。


「何を悠長なことを! 半ば強引でもあの親子を連れてこいと言ったのはお前だろう!」


「すまない」


 あまりにも素直に謝罪を口にされて、ノーレンスは一瞬、面食らう。けれどもう謝罪一つで済む問題ではないと思い直し、さらに怒鳴ってやろうと息を吸い込んだタイミングで相手が先に言葉を発した。


「まさか失敗するとは思わなかった。標的さえ連れてこられればどうとでもなったんだが……お前がここまで無能だと、考えが及ばなかった」


「んなっ!? 貴様……!」


 侮蔑の言葉をぶつけられてノーレンスは怒りに任せて掴みかかろうと相手に近づく。だが、それは後ろからの衝撃によって防がれた。


 背中を押され、うつ伏せの状態で地面に抑えつけられる。顎を強かに打ち付け視界が回る。痛みと眩暈に耐えながらも、何とか自分に無礼を働いている輩の顔を確認するため首を限界まで捻る。


 視界の端に捉えたのは、これまで自分の付き人として従えていた男だった。


「アバンス、どういうつもりだ!? 今すぐに解放しろ!」


 ノーレンスの命令にアバンスはまるで反応を示さない。ただ、無機質なほどの無表情でノーレンスを見下ろしていた。


「くっ……! 誰か! 侵入者だ! ひっ捕らえろ!」


 ノーレンスの叫ぶが、誰かが助けに来ることはなかった。二度、三度と助けを呼ぶが、結果は同じだった。


 そしてようやく、ノーレンスは異変を察して背筋を凍らせる。自分が今、とんでもない窮地に陥っていることを理解する。


「騒ぐな、うるさいだろう。やはり、人間は面倒くさい」


 いつの間にか仮面の男が目前に移動しており、膝を曲げて顔を近づけてくる。


「これからお前は我らの人形として働いてもらおう。やはり初めからこうしておくべきだった」


 淡々とした口調で相手はぼやく。嫌な予感が警鐘となってノーレンスの脳内で響き渡り、拘束から逃れようと暴れるが無駄だった。


 スッ、と男の手がノーレンスの顎に伸びて顔が固定される。視線が自分に向くように抑えながら、男はゆっくりと仮面へと手を移動させる。目を瞑るか否か、数瞬の迷いがノーレンスの行動を鈍くし、その間に仮面が外れた。


 ノーレンスの眼と大きな眼で視線がぶつかった。青い瞳に虹色に輝く眼球――決して人間の瞳ではない、もっと巨大で、異様な眼だった。


 そして何より、仮面の下には鼻も口もなく、虹色の目玉が一つあるだけだったのだ。


「――ぁ」


 なんとか絞り出せた声を最後に、全身が固定される。視線も、呼吸さえも、もう自分の意志で行うことは出来なくなっていた。


 頭の中が塗り替えられていく感覚をノーレンスは覚えた。初めこそ不快であったが、次第にそれは快感へと変わり、至福の絶頂を迎えると同時にノーレンスの意識は二度と浮上してくることはなくなった。


 完全に沈黙したノーレンスを見て、男は仮面を着けて立ち上がる。アバンスが拘束を解くと、のそりとノーレンスは立ち上がったが、男に食ってかかることもなく能面のような表情で佇むのみだった。アバンスも同様に、並んで仮面の男を見据えている。


「さて、次の手を考えるか」


 そう呟いて、男は再び仮面を着けると再びソファへ腰掛け、物言わぬ傀儡と化した男たちを横目に物思いに耽るのだった。

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