抵抗の意志

『お、おい! あの人間、連れて行かれちまうぞ? 助けないでいいのかよ?』


 シャム猫が問いかける。助けに入るか? 


 しかしそれはあまりにもリスクが高すぎる。付き人の実力も不明だし、そもそも今、俺たちが助けに入ったところでどうにかなるのか?


 ここはやはり夜になってから助けに行くのが得策だ。ここは我慢して、連れて行かれる場所の特定に努めよう。


 頭の中で方針を決めていると、アリィがレノアを追いかけて店から飛び出して来た。


「お母さん! まって、行かないでよ!」


 悲痛な叫び。しかし、状況が変わることはない。アリィは自分を追って来たオルトを振り返り、追い縋る。


 「オルトさん、お願いします。お母さんを助けて……!」


 アリィは懇願するが、オルトだってどうすることもできない。アリィに矛先が向か泣かくなった現状で、レノアの次に立場が危ういのは彼なのだから。


 オルトは苦虫を嚙み潰したように表情を歪め、心底申し訳なさそうに「すまん」と言葉を発するのがやっとのようだった。


 オルトが役に立たないと分かって、アリィは踵を返しレノアの元へと駆け出そうとする。が、それを察したオルトが肩を掴んで制止した。


「はなして! はなしてよ!」


 アリィは必死にオルトの手から逃れようとするが、叩いても引っ張ってもビクともしない。


「まって! 嫌だよ、お母さん……!」


 悲痛な声がこだまする。俺はいたたまれなくなって耳を塞いでしまいたくなった。


「だれか、だれかお母さんを、助けて!」


 アリィが誰にともなく叫んだ。本当に、特定の誰かに向けた言葉ではなかったはずだ。


 視界の端で何かが動く、気づけば横にいたはずのシャム猫がノーレンスたちの前に立ち、威嚇していた。


「なんだぁ……? この猫は」


『あのバカ……! 何やってんだ!』


 俺は屋根の上から降りずにシャム猫の近くへと移動する。構わず歩みを再開させるノーレンスたちの足元で、シャム猫は噛みつかんばかりの勢いで吠えて押しとどめようとする。


「チッ、鬱陶しい。邪魔だ! ど――」


 不意にノーレンスが顔を上げる。


 釣られて俺も視線を巡らせると、辺りには猫たちが密集していた。


 俺が集めた十匹以上の猫たちが屋根上や家の陰からノーレンスたちを見据えている。動物の鋭い眼光の中心にいる三人は唖然としながら立ち止まる。


『おい、兄弟!』


 揃って呆然としてしまっていた俺の耳朶をシャム猫の声が打った。


『アリィを助けるんだろ! これからどうすればいい!?』


 俺のこの場は見過ごすという意図とは裏腹にシャム猫はレノアを助ける気満々だった。そうすることでこの後どうなるのかなんて考えていない。シャム猫の頭にあるのは目の前で困っている恩人を助けることだけだった。


 その勇姿を見て、俺はデメリットだとか打算だとかをこねくり回して勝手に諦めていた思考を取っ払う。


 この場でアリィとレノアを救えるのは立場も何も関係なく、打開策を考え出せる俺だけだ。なのに真っ先に俺が諦めてどうするんだよ!


 自分に活を入れて再び頭を働かせる。奴らが呆気に取られている今がチャンスだ。まずはレノアを助けて奴らを追い払うことさえ出来れば、後はオルトがなんとかしてくれるだろう。というかしてもらわないと困る。


 俺は地面に降りてシャム猫の隣に並んで叫んだ。


『思いっきりやるぞ! アリィを泣かせる奴らなんてやっつけてやれ!』


 言うと同時に俺はノーレンスに飛び掛かる。すかさず付き人の男が剣を引き抜くが、続いて飛び掛かって来た猫たちに気を取られてしまったようで刃が振るわれることはなかった。


 十数匹の猫たちの爪や牙が男たちに襲い掛かり、ノーレンスは堪らず悲鳴を上げる。


「なんだ、こいつらは!? レノア、お前の使い魔か!? 今すぐにやめさせろ!」


「わ、私はなにも……」


 猫に群がられながらも付き人の男が剣を構えた。自分のことは後回しにしてまずはノーレンスを助けるつもりなのだろう。


 数は多いが所詮は猫、人間相手に致命傷を与えられる攻撃は出来ないからある程度なら無視しても問題ないと判断したのだ。


『背の高い方の攻撃が来るぞ! 注意しろ!』


 剣先にいた猫たちへ警告した直後に剣が振られる。ノーレンスの腕や足に噛みついていた猫たちは一斉に離散し、攻撃を躱した。


『人間が振り回してる棒には絶対に触れるな! 頭や背中にしがみついて、耳と鼻と目を集中的に攻撃しろ!』


 俺が指示を飛ばすと猫たちは素直に従ってくれる。無理はせず斬撃が来れば身体から離れ、隙を突いて再び飛び掛かる。周りを見れば騒ぎを聞きつけた住民や猫たちが集まってきていた。


 猫たちによる猛攻に加えて注目され始めたことに気が付いたノーレンスたちは堪らずと言った様相で逃げ出した。


 距離が開いた所でノーレンスは一度立ち止まって振り返ったが、猫たちが威嚇してやればぎょっと目をひん剥いてそそくさと去って行った。


『アハ、アハ! 見ろよ、尻尾巻いて逃げてくぜ!』

『ざまぁねえな!』

『アイツ、いっつもオレたちに意地悪するんだ。スカッとしたなぁ!』


 猫たちが思い思いに歓声の言葉を上げる。そんな彼らとは裏腹に、主計官という重鎮に喧嘩を売ったことで発生するであろう問題を考えると胃が痛くなりそうだった。


「大丈夫ですか、レノアさん!」


「はい、なんとか」


 オルトがレノアの元へと近づく。会話こそ成り立っているが、二人の視線と表情で俺たちを何が起こったのか分からない、という困惑が手に取るように伝わってきた。


 これは面倒くさいことになる前に撤退した方が良さそうだ。


 俺が猫たちへ号令をかけようとしたタイミングで、アリィが駆け寄って来た。


「みんな、助けてくれてありがとう!」


 少女の謝辞に対して猫たちは「にゃー」と返事をしながら集まっていき、順番にアリィの愛撫を堪能していく。


「この猫たちはアリィが呼んだの?」


「ううん。でも、わたしを助けてくれたの!」


 返答になっているのかよく分からない返答を聞いて、ますます困惑顔を深める二人。まあ、まさか猫が自発的に助けたなんて想像も出来ないだろうし、理解なんて到底不可能だろう。


 これで終わりではないだろうが、アリィの嬉しそうな顔を見たら不安なんてどうでもよくなってきた。今はひとまず、目の前の困難を乗り越えられたことを喜ぼう。


 半ば現実逃避気味に、俺もアリィの撫でられ列へと加わった。

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