無抵抗

 オルトへ手紙を渡してから数日、俺の思惑通りアリィの周辺警備が強化された。


 朝は必ずオルトが一緒に駐屯所まで共にし、登下校もアリィが気づかない遠目から騎士たちが見守ってくれるようになった。パン屋の方も相変わらずだ。


 変わったことと言えばオルトが店の警備に加わったことだろうか。役職としてはかなり上の立場っぽいんだが、警備についたりもするのは意外だった。


 加えて猫たちも協力を受け入れてくれた。驚いたことにシャム猫を始めとして十匹以上の猫たちが無償でアリィたちの見張りを快く引き受けてくれた。


 理由は世話になったから。どうやら俺だけでなく少なくない数の猫たちがアリィに命を救われているらしい。売り上げが微妙だった時期は売れ残ったパンを猫に分け与えていたようだ。


 その恩を、彼らは覚えていた。猫は以外にも情に厚いのだ。


 そういえば以前、飼い猫は飼い主への感謝を伝えるために鳥やネズミを家の前に置いて行くと聞いたことがある。猫は自分勝手なイメージがあったが、自分から進んで行動しないだけでちゃんと恩やらは感じているんだな、と自分が猫になって彼らと接することで分かった。


 頼もしい仲間たちも得た。騎士団への協力も得た。国側でも何かしら動いてくれているようだし、もうこれ以上は俺が出来ることもないだろう。


 今日、アリィは学校が休みのようで店の手伝いをしていた。二人が揃っているからか、警備はオルトが担当している。


 一応、店の周辺を数匹の猫たちで奴らが仕掛けてこないか見張っているが、今日は大丈夫そうだな。


 後は如何にして借金を早く返すかだ。人員の関係上、出荷数は今が限界だろう。例えパンの個数を増やしたとしても売る人員が足りない。


 猫たちを俺が教育して売り子として公園などでパンを売るのも考えたが、流石に無理があると諦めた。俺は出来るが、他が無理だ。特にシャム猫なんて絶対に売り物のパンを食べてしまうだろう。何より会計が出来ない。


 返済期日には間に合いそうだし、ひとまず様子見に徹するか。そんなことを考えていたある日のことだ。パン屋周辺を警戒していた猫から知らせが来た。


『要注意人間が近づいて来てるぞ! 注意しろ!』


 ザワッ、と報告を聞いて周りでくつろいでいた猫たちがが立ち上がる。事前に猫たちにはノーレンスやそのほかの人物については顔を見せて覚えさせていた。シャム猫が俺に問いかける。


『お、追い返すか?』


『待て。人間がたくさんいる場所で俺たちが目立つのはマズい。一度、様子を見よう』


 俺はシャム猫たちに告げて向かいの屋根の上からパン屋を窺った。オルトが警備をしている前に、ノーレンスと付き人の二人がやってくる。


「やぁ、騎士隊長。警戒ご苦労さん」


「これは、主計官。お疲れ様です」


 これ見よがしに、どころかオルトは姿勢を正して対応する。しかも相手への呼び名は驚くべきものだった。


 主計官。俺の認識違いでなければオルトは確かにこう言った。


 日本で主計官と言えば、国の予算管理をしてるような役職の人間だぞ。あいつら、ただのチンピラかと思っていたが、とんでもない人物じゃないか。


 そんな人間が口を挟んでいたなんて……昨夜のオルトとジャスタの会話が信憑性を帯びて来た。


 ジャスタやオルトが警戒していたし、国ぐるみの企みではないと思うんだが、これは俺が想定していた以上に厄介な問題だったみたいだ。


「今日はどういった要件でこんな場所へ?」


 オルトは丁寧な物言いで問いかける。対するノーレンスは不愉快そうに眉をひそめた。


「……君こそ、こんな所で油を売っている場合かね。もっとやるべきことがあるんじゃないか?」


「上からの指示ですので。それに、治安維持も立派な職務です」


「ふん、減らず口を。騎士団に回す予算を見直した方がいいかもしれんなぁ」


 牽制にも似た言葉を最後に、男たちはパン屋の中へと入って行った。


 わざわざ来たということは何か仕掛けてくる気か? 今日は店の中にアリィがいる。オルトも店の外で待機しているし、群衆の目がある時間帯に立場のある人間が下手なことはしないと思いたいが……。


 気が気じゃない状態で、俺は店の中で繰り広げられる会話に耳を傾けた。


「あ、いらっしゃ……」


 接客のために顔を向けたアリィが固まる。まだ子供ゆえに取り繕うこともせず、露骨に表情を歪ませる。すかさずレノアがフォローを投げた。


「いらっしゃいませ、ノーレンスさん。今日はどうしました? ――アリィ、ここは大丈夫だから裏に行ってなさい」


「そんな警戒することもないだろう。別に攫ったりせんのだから」


 ノーレンスはへらへらと笑いながら言う。


「それよりレノアさん。最近調子がいいみたいじゃないか」


「そうですね。新しく始めたことがうまくいってくれたみたいで。おかげでお金は期日までには必ずお返しできると思います」


「そうか、それは大変よろしい。だが、少し事情が変わってしまってね」


 距離を詰めるかのようにノーレンスはカウンターへ肘を乗せる。そうしてゆっくりと、相手に言い聞かせるように告げた。


「あんた、アウトラーゼの人間らしいな」


「……!」


 ノーレンスの放った言葉を聞いて、辛うじて笑顔を浮かべていたレノアの表情が険しくなる。


 アウトラーゼというのは確か国の名前だったはずだ。港で聞いた話だと海を挟んで隣に位置し、アルラッド帝国とは敵対関係にある小国。


 レノアが、その国の出身だとノーレンスは言っているのだ。今、その話を国の偉い人間が持ち出すことに、嫌な予感を覚える。


「もう、十年以上も前の話です。それがどうかしましたか?」


 レノアの動揺は一瞬だったようで、笑顔を戻して肯定してみせる。けれど、その目は笑っていない。対してノーレンスは淡々と続けた。


「君には現在、アウトラーゼの工作員ではないかという疑いがかけられている」


「どうして今さら。その件については、前の領主様に了承を得ています。皇帝陛下だって承知して」


「以前の領主が決めたことなんぞ知らん。とにかく、そういう輩と分かったからには国の金を貸したままにしておけん。今すぐに借用中の金を全て返金しろ」


「そんな……!」


 無茶苦茶だ。いくらなんでも言いがかりが過ぎる! 


 アウトラーゼとかいう国とアルラッド帝国の関係は詳しくないが、俺が見ていた限りだとレノアはアルラッド帝国へ敵対するような意志も行動もとっていない。というかそんなことをする余裕なんてなかったはずだ。


 流石にオルトも相手の言い分がおかしいと判断したのか、店内へと入ってノーレンスへ物申す。


「ノーレンスさん! 突然押しかけて来て何を言いだすんですか。それに彼女が工作員だという証拠だってないはずです」


 ぎろり、とノーレンスが乱入者であるオルトを睨みつける。権力者特有の鋭く厳しい視線からは敵愾心むき出しで、その瞳には自分に逆らうとどうなるか分かっているのか? と無言で脅しているのが読み取れた。


 だが、オルトは怯むことなく助け舟を出し続ける。


「見たところ令状の類もないですよね。せめてもっと猶予を設けてあげても――」


「君ぃ、ワタシが着任一年目の若輩者と馬鹿にしているのかね?」


 相手を小馬鹿にするようなおどけた声音だったが、有無を言わせないような威圧感を覚える口調。堪らずオルトは口を紡ぎ、「いえ、そういうわけでは」と否定の言葉を口にする。


「なら、貴様は黙っていろ」


 理不尽な物言いで会話を打ち切ってレノアへと顔を戻す。


「とにかく、今すぐ金を用意しろ。出来なければ――」


 ノーレンスの視線が向いたのか、びくりとアリィが身体を跳ねさせる。


「子供をいただいていく」


 突きつけられた言葉にレノアが息を呑むのが伝わってくる。


「いくらなんでもそれは……!」


 すかさずオルトが一歩、前に出てノーレンスの肩を掴みにかかるが、付き人の男が剣先を喉元へ当て、動きを止める。


「あなたは関係ありません。口を挟まないでいただけると助かります」


 付き人の男はあくまでも丁寧に警告するが、やっていることはただの脅しだ。


「子供を連れて行くのは待ってください。お金ならこれまで貯めた分があります。それだけでは足りませんが、お店を潰して空き家として売れば残りの分には……」


「ダメだ。時間が掛かりすぎる。その間にアウトラーゼへ逃げられては困るからな」


 奴らは何が何でもアリィを連れて行くつもりらしい。ど、どうする……?


 主計官が相手じゃオルトも迂闊に動けない、かと言って俺たちが介入すれば、危険とみなされて駆除されてしまう可能性もある。


「――決まりだな。子供を連れて行く」


 四の五の考えている間にノーレンスが告げた。


 もし連れて行かれたら、どうなるんだ。どこかに奴隷として売られるのか、それとも稀少な人種として実験体にされるのか……とにかく碌な目に遭いそうにない。最悪、深夜に俺が忍び込んで助け出すくらいしか助ける方法は――。


「私が行きます」


 レノアの発言で俺の思考は中断された。子供の代わりに自分が行くと、彼女はそう言ったのだ。


「借金は私たちが作ったものです。子供は関係ありません。それに、私ならこの子よりお役に立てるはずです」


 そう言い放つレノアの瞳には、店主や母親以上の強い意志が感じられた。


「……ふん、まあいいだろう。それなら付いて来い。抵抗しようとは思うなよ?」


「……オルトさん、すみませんがこの子をお願いします」


 レノアは男たちに連行されていく。俺は、それをただ眺めていることしか出来なかった。

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