忍び寄る影

 出張販売を提出してから数日後の早朝、いつもより早い時刻、店が開店する前にアリィが大きなカゴを引っ提げて店を出るのを目撃する。


 匂いから察するに中身はカゴの中身はパンだろう。手紙を出したその日から準備をしているのを見かけていたが、今日から本格的に始めるらしい。


 今回も無事に俺の案は採用されたが、稚拙な手紙で、しかも差出人も不明なのに毎回受け入れてくれるのはありがたい。レノアの読解力と柔軟性に感謝だな。


 一応、手紙では駐屯所近くでの販売を促しておいたのだが、それも上手く伝わっているようで、アリィは真っすぐ駐屯所へと向かっている。オルトには話も通っているようだし(にも関わらずオルトは今日も朝一番に店まで買いに来ていたが)問題は起こらないだろう。


 とは思いつつも、やはり簡易的な案とは言え自分が提案した物事の結果は気になる。気づかれないようアリィの後を追いかけた。時刻としては六時過ぎだろうか、昼勤帯の人間がちらほら出勤し始めているのが見て取れる。


「お、おはようございます!」


 アリィは表情に緊張を孕ませながらも元気な声で、出入口で立哨をしている騎士へと声をかけた。若い男の騎士はアリィに笑顔を向けながら気さくに対応する。


「おや、おはよう。どうかした?」


「えっと、ここでパンを売りたいんですけど、いいですか?」


「あぁ、オルトさんから話は聞いてるよ。売るならこの辺りでやったらいい。通行の邪魔にならないようにね」


「ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げてお礼を言う。微笑ましく頷きながら、若い騎士は続けた。


「ついでだし、パンを一つ貰おうかな。ちょうど小腹が空いていたところだったんだ」


「はい! もちろんです、どうぞ!」


 早速売れた。アリィがパンと金の交換をしていると、ぞろぞろと騎士たちが集まってくる。


「お、この子が例のパン屋? 俺にも売ってくれるかい」


「旨そうだな。せっかくだし、オレも買っておこうかな」


「三つ、貰えるか?」


 近場の騎士たちが次々にパンを買っていき、軽い行列が出来上がる。騒ぎを見つけて入口を通りかかった騎士も寄って来て、籠の中身はあっという間になくなってしまった。


 初日の様子見のつもりだったのか、もともと持って来ていた個数は少なかったはずだが、俺が予想していた以上の盛況っぷりだった。


「アリィ、調子はどうだ?」


「あ、オルトさん!」


 ちょうど出勤してきたオルトがアリィの元へと近づき声をかける。そんな彼へ、少女はカゴの中身を嬉しそうに見せた。


「見て! 全部売れたの、売り切れ!」


「おぉ! 凄いじゃないか。アリィは商売がうまいな」


 誉められて満面の笑みを浮かべるアリィ。そんな二人の元へ先日、オルトとパンのやり取りをしていた騎士が駆け寄ってくる。


「オルトさん、おはようございます! その女の子が言ってたパン屋ですか?」


「あぁ、今日から売りに来てくれているアリィだ」


「可愛らしいお嬢さんっすね。じゃあ、さっそく三つほど売ってくれるかな?」


「あ、すみません……もう全部なくなっちゃって」


「えー!? もうないの? 一つも?」


「売れ切れだってよ。諦めろ」


「そんなぁ、結構楽しみにしてたんすよー」


 心底、残念がる若い騎士にアリィはおずおずと告げる。


「あの、明日はもっとたくさん持って来るので」


「本当? 楽しみにしてるよ!」


 それから二人といくつか言葉を交わして、アリィは学校へ行くべくオルトや周辺の騎士たちに別れを告げて駐屯所を後にした。


 初日としては上々、というより予想以上の手応えだった。オルトが事前に話を通してくれたのがデカかったな。やはり、営業先の内部に身内がいるとやりやすい。最初にここを売り場に決めたのは正解だった。


 最悪、店の宣伝くらいになればいいだろう、くらいに思っていたのだが、かなりの利益が期待できそうだ。持って行ける個数に限りがあるのはネックだが、売り込みが学校への登校前である以上、荷車を押して行くわけにもいかない。


 まあ、足りなければ足りないで店の方へ足を運んでくれる人もいるかもしれないし、また追々対策していくことにしよう。



 そうして何事もなく一日は過ぎ、出張販売を始めた翌日。


 昨日と同じように籠を提げたアリィと一緒に、オルトが並んで店から出てくるのを目にした。しかもその両腕にはアリィと同じパン入りのカゴが。


 どうやらオルトは手伝いを申し出たらしい。昨日の騒動を見ていたから、というのもあるだろうが一番の理由はレノアに良いところを見せたいからだろう。


 しかもこれならアリィとも仲を深めることが出来る。レノアを落とす前にまずは外堀から埋めていく気か。回りくどいように感じるが子持ちともなれば子供と仲良くなるに越したことはない。なかなかやるじゃないか。


 アリィは駐屯所の前でオルトと別れ、先日と同じ位置で商売を開始する。昨日も買っていた顔ぶれを中心に、買い損ねた騎士たちも今日こそはと列に並び、あの若い騎士も購入してまた完売となった。


 それにしても好調だ。恐らくもともと需要があったのだろう、と観察していて思った。


 パンは腹に溜まらないが、逆に言えば動き回る職業である騎士にとってはそちらの方が助かるのかもしれない。万一の事態が発生した時、腹がいっぱいで動けない、となったら目も当てられないからな。その点、ただ空腹を誤魔化すだけならパンはちょうどいい軽食になるのだろう。


 それに、アリィ自身もなかなかに商売が上手いのだ。愛らしい容姿に元気の良い声、何より厳つい顔の多い騎士たちに物怖じしない接客には、これまで子供と縁がなかったであろう厳つい顔のおじさま方にクリティカルヒットしたらしい。


 盛況なのは喜ばしいが、その分対応時間長くなって切り上げるのが遅れてしまい、アリィは慌てて学校へと駆け出した。


 籠は出入口横の待機所に置かせてもらう。登校前、というのはやはり負担が大きそうだ。これも今後、改善しないといけなさそうだ。


 アリィは学校へ遅刻しまいと走り、路地へと飛び込んだ。いつもと違う道、確かあそこは学校までの近道だったはずだ。


 突然の方向転換に対応できず、俺は少し行き過ぎてしまって慌てて立ち止まり、アリィを追いかけようと振り返る。


 その時、一つの人影が路地へ入って行くのを目にした。


 嫌な予感がして、急いで俺も路地へと入る。屋根の上、男と並走する形で風貌を観察する。


 服や髪など全体的に薄汚れており、浮浪者のような風采の中年。駆け足気味だった歩行は徐々に早くなっていく。顔には明らかな悪意が滲み、アリィへとその汚い手を伸ばした。

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