新たなる策
パン屋の調査が入ってから一週間、噂によってもたらされた悪評は完全に払拭されて店は盛況を取り戻していた。
仮面の男の尾行を切り上げてシャム猫と会った後、密会の場へ戻れば男たちの姿はすでになく、結局は何も分からず終わってしまった。
やはり無理をしてでも仮面の男を追いかけるべきだったか。まあ、もう済んでしまったことは仕方ないと、気持ちを切り替えて奴らの計画を潰すための行動を開始する。
まずは奴らの話で出ていた人除けの魔法とやらを探してみると店から数十メートルほど離れた物陰に、店を取り囲むようにして魔法陣が描かれているのを発見した。
猫特有の敏感さか、嫌な感じのする方向を探しているとあっさりと見つかったのだ。
消そうかどうか迷ったが、現時点で目に見える問題はないように思う。人除けの魔法といいつつ猫の誘惑に負ける程度でしかも集客にも影響が出ている様子もはない。
恐らく効果は弱いのだろう。なので放置することにした。後で何かの証拠になるかもしれないし、あまり細工を弄ると俺の存在もバレかねない。
今のところ奴らが仕掛けてくる気配はない。と、いうかパン屋の周辺を頻繁に騎士が巡回していて手が出せない、と言った方が正しいだろう。
どうしてだか店の調査が終わった翌日から騎士が店の周りをうろつくようになった。パンを買いに来ているわけじゃない、明らかに何かを警戒しているのが傍から見ていて分かった。
もしかするとパン屋の疑惑は完全には晴れていないのかもしれない。だからこうして周りを警戒するフリをしながら店を見張っているのか――なんにせよ、おかげで直接的な妨害は心配しなくてよさそうだ。
この偶然出来た余裕は有効に使いたい。だが、次にどんな手を使ってくるのか分からない以上、策を講じたところで時間の無駄だろう。
奴らはレノア親子を手中に収めるとか言っていた。そしてその手段として店の借金を口実にしている。
なら、とにかく店を繁盛させて金さえ稼げれば、借金を理由にされて否応なしに従わないといけない事態は避けられる。借金返済を完遂して、もしも強硬手段とやらに出るのであればその時は騎士に任せればいいだろう。
そうなれば現行犯で捕まえて、後でまたタイプライターなりを使って今までのことを伝えてやればいい。文字に関しては学校の低学年クラスに忍び込んでちょくちょく勉強しているが、まだまだ実用可能レベルには程遠い。頑張らなければ。
それでも諦めないようであればオルトとレノアをくっつけてやる手段もある。
流石に騎士である人間が身内になれば手を引くだろう。そのためには今の内に二人の仲を深めておく必要があるが、前世で恋愛事と無縁の生活を送っていたので良い案が思い浮かばない。
またシャム猫にでも相談してみようか。でも、アイツも恋愛経験豊富とは思えないんだよなぁ。
ともかく、今は仕掛けて来るであろう妨害を阻止しながら店の更なる発展へ向けてのアイデアを考えることにした。
借金返済期日までまだ半年以上あるし、レノアの日頃の会話を聞く限りでは今の調子でいけば借金の返済も問題はなさそうだ。
表情や声音から察するに無理をしている様子もない。もともと借りていたのが半年で返せるほどの金額なのか、貯金があったのか、真意は定かではないが問題がなければなんでもいい。
しかし、金策と言っても従業員がレノアしかいない状況で、これ以上の集客をしても手が回らなくなってしまい営業に支障が出てしまうだろう。
アリィもたまに接客の手伝いをしているが、まだ十歳にも満たないほどに幼く学校もある彼女では店の戦力として数えることは出来ない。
店の護衛は騎士に任せて、何かいい案はないかと街の中を歩いて回る。そうして辿り着いたのは騎士隊の駐屯所だった。騎士たちは午後の勤務も半ばを過ぎて休憩がてら各々持参した簡易食糧で仕事が終わるまでの空腹を慰めている。
その中にオルトの姿もあった。朝にレノアの店で買った猫パンを齧りながらも何かの資料を眺めている。そんな彼の元へ数人の若い騎士たちが集まっていく。
「オルトさん、お疲れ様です。いつもそのパン食べてますね」
「そんなに旨いんですか? ちょっと分けてくださいよ」
「ダメだ。これは俺の唯一の楽しみだからな」
和気あいあいとした会話。レノアへの恋心や義理でなく、ただ本当にあそこのパンが好きで食べてくれてるようだ。その事実は営業に一枚嚙んでいる俺としても嬉しい。
「というか、お前ら自分で持ってきた分はどうしたんだよ」
「食べましたけど、全然足りないんですよ」
「オルトさんがこれ見よがしに旨そうなパン食ってるから余計に腹が減りますし」
「なら、お前らも買いに行けばいいだろう。あの店は早朝から開いているし、ここへ来る前に寄ってこい」
「そうしたいのは山々なんですけど、オレの家からは遠くて」
「場所は前に聞きましたけど、結構街の奥まった場所に行かないといけないじゃないですか。流石にちょっと面倒で」
「なら、我慢するんだな。まあ、また気が向いたら買ってきてやるよ」
「おお、期待してますからね!」
「せめてもっと近場で売ってくれればなぁ。休憩時間で買いに行ける距離なら通うのになぁ」
「ほら、無駄話はそこまでにして、そろそろ戻るぞ」
パンを食べ終えたオルトが会話を切り上げて、騎士たちは持ち場へと戻っていく。それを眺めながら、俺はさっきの会話を頭の中で反芻する。
休憩時間に行ける距離なら通うのに――そこで、パンを売る方法はなにも店の中だけではないことに気づく。
出張店、とまでは行かなくてもパンを持って回れば幾らかの収入源にはなるだろう。そして出先で売れば売るほど店の宣伝にもなる。リスクも少ない。以前にも思いついた手だが、色々な問題が起きて後回しになっていた。
この案の良いところはアリィでも可能な点だ。学校に通っているから金勘定は問題ないし、店の手伝いで金の扱いにも慣れている。
それに人懐こくて明るい彼女なら接客する時も物怖じせず、一人で売って回ることも出来るだろう。パンなら小さな子供でもある程度の量を持ち運ぶのも苦にはならないはずだ。
学校の登校前に駐屯所を訪れば買ってくれる人間も多いだろう。タイミングを選ばなくては仕事の邪魔になってしまうかもしれないが、子供相手に邪険にはしないだろう。
一つ気掛かりなのは悪党どもがどんな行動に出てくるか分からないことだ。今の所、学校への行き来で何か仕掛けてくることはないし、まだ表立って子供を襲う、なんてことをしてくることはないと思いたいが……。
店の方は騎士が巡回しているから放っておいて大丈夫だろうし、しばらくは俺がアリィの周りを警戒しておくか。猫の身体でどこまでやれるか分からないが、やると決めた以上は全力でやってやるさ。
さて、アリィの出張販売案を伝えなくてはならないな。また、手紙を書けばいいだろう。タイプライターが使えるのは夜中だけなので一度パン屋へと戻った。
見張りの騎士は朝と違い、ラムダがいた。今までは騎士はそれとなく視界に入るくらいの位置で、街の警邏の途中に近くを見回っている風を装っていたのだが、ラムダはがっつりとパン屋の真ん前に立っている。あれではもはや専属の警備員だ。
道行く人や店に出入りする人たちが何事かとラムダに視線を向けるが素知らぬ顔で、生真面目に直立している。
「騎士さま、こんにちは」
そんな異様とも呼べる空気の中、アリィが学校から帰って来てラムダへ挨拶を飛ばす。
「こんにちは」
ラムダは姿勢も表情も崩すことなく挨拶を返した。子供に対してそれは威圧的すぎるんじゃないか、と心配したがアリィは持ち前の人懐こさを発揮して更に言葉を続ける。
「こんなところでなにをしてるんですか?」
「街の見回りです。最近、物騒ですから」
「そうなんだ。えっと、ごくろうさまです」
たどたどしくもそう言ってアリィは店の中へと入って行った。横目で見送ってからラムダは変わらず見張りを続ける。
しばらくして、再びアリィが店から出て来た。その手には猫型クロワッサンが収まっている。
「いつもおつかれさまです。これ、差し入れです。どうぞ」
ニコニコと笑いながらアリィが猫パンをラムダへ差し出した。そこで初めてラムダの表情が動く。どこか困ったように眉根を下げて彼女は言った。
「いえ、勤務中ですので……」
「いりませんか……?」
不安げな表情と、そして酷く悲しそうな声音でアリィが言った。
うぐ、とラムダが喉を詰まらせ一瞬の逡巡の後、軽く周りを見回してから膝を折り、少女から猫パンを受け取った。あんな顔を見せられたら誰だって受け取ってしまうだろう。俺が思った以上にアリィはやり手なのかもしれない。
「では、いただきますね。ありがとうございます」
受け取った瞬間、パァッとアリィの顔に笑顔が戻る。それを見届けてからラムダは再び姿勢を正して直立姿勢に戻った。パンは口に運ばず、後ろ手へ隠すように持つ。
「食べないの?」
子供特有の純粋な疑問とどこか期待に満ちた眼差し。少女の瞳にはパンを食べた感想を待っている思惑がありありと現れていた。
ラムダも察したらしく、幾らか躊躇してからパンを口に運んだ。パク、パクと忙しなく感じない速度で、それでいて女性にしては大口の三口でパンを全て口の中へと放り込む。
咀嚼し、嚥下し、少女へ告げる。
「美味しかったです。ごちそうさまでした。では、お金を」
「騎士さまはたくさんの悪者をやっつけてるんですよね?」
不意に問われてラムダは懐に入れていた手を止める。少し考える素振りを見せて頷いた。
「えぇ、そうですね」
「いままでどんな悪者と戦ったんですか?」
興奮気味にアリィは更に問う。完全に子供の好奇心に捕らわれてしまったラムダは、その勢いに押されながらも口を開く。
「わたしは新人ですので、まだ経験は浅いのですが」
そう前置きしてから、若き女騎士は自身の働きを語り始める。不慣れながらも臨場感のある内容に、少女はまるで童話を聞くように聞き入っている。
そんな和やかな光景を眺めながら、俺は日が落ちるのを待った。
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