不穏な気配
借金取りの男はまるで人目を避けるように路地裏へ入って行くと、十数分ほど歩いてとある家の中へと入って行く。
ボロッちい、一見すると廃屋のような建物だ。奴らのアジト、にしてはみすぼらしい。
俺は周りに置かれた木箱やらを足場に、男の入って行った家の屋根へと上る。ちょうど潜り込めそうな穴を見つけたので、中へするりと入り込み、屋根裏から部屋の様子を窺った。
天板に阻まれ目視は出来ないが、部屋の中には数人の気配がある。
「いったいどうなってやがるんだ。あのパン屋は!」
その中の一人が苛立たし気に言葉を発したと同時にドンッと机を叩く音が響く。この声は聴いたことがある。レノアに借金の催促に来ていた男、ノーレンスだ。
「どうしてわざわざ帝国の機関が調べに来やがった? たかだが民間の、それもしがないパン屋如きに!」
怒りを隠そうともせずノーレンスは怒鳴る。確かに他から見れば不自然に見えるかもしれないが、どうしてそんなことをこいつらが気にするんだ?
「まさか……計画がバレているんじゃないだろうな?」
と、違う男が低い声音で興味深い話を口にした。計画――こいつら、何を企んでやがる?
さらに
「それはあり得えん。もし、この件が仕組まれていると勘ぐられたとしても、我々に辿り着かないよう慎重を期している。その点は心配ない」
「慎重なのはいいが、回りくど過ぎやしないか? クレーマーだの悪評を流すだの」
「我らとてバレればただでは済まないんだ。慎重にもなる。元より弱小な店だ。潰すにはこのくらいで事足りるはずだったのに……!」
歯ぎしりが聞こえそうなほどに、ノーレンスが語る。どうやら先の騒動はこいつらの仕業だったようだ。
領主が変わって金が要る、と言っていたはずだが、目的は金じゃなかったのか? どうしてわざわざ店を潰そうとするような真似を……。
「その思惑は外れたじゃないか。なんだ、あの盛況っぷりは」
「なにやら新しいパンを作り始めてから経営が爆発的に伸びたようだ。猫パン、とかいうパンだったか」
「チッ、くだらない戦略に乗せられる愚民どもめ……! せっかく旦那を殺したってのに」
ピクッ、と思わず耳が動く。いま、なんて言った? 旦那を殺しただって?
レノアの夫、元パン屋の店主は事故で死んだはず。まさかそれもこいつらが仕組んだことだっていうのか。パン屋を潰すためだけに?
「なんとしてもあの親子を手中に収めなければならない。特に娘の方は我らの計画には必要不可欠な存在だ」
どうやらこいつらの狙いは金ではなく、レノアとアリィの二人らしい。彼女らを手に入れるために、アリィの父親を殺して妨害工作を仕掛けていると。
──パン屋についてはアリィへの恩義で手伝っていた。
ある程度手を貸してみて、それでも改善されなかったら諦めて手を引くつもりだった。飲食店の経営なんて俺も詳しくないし、運も絡んでくる。どうしようもないときはどうしようもない。
最有力飼い主候補だとしても最終的に借金が返済できなかった場合はそれ以上の深入りはしないつもりだった。経営の失敗は自己責任、流石にそこまで面倒は見てやれない。
しかし、それが他者の悪意による妨害となれば話は別だ。
俺はあの親子がどんな考えで借金を抱えながらもパン屋を経営しているかなんて知らない。だが、店を成功させようと頑張っていることは確かだ。
前世で、人の足を引っ張るばかりか人生そのものを潰そうとしてくる輩は幾度となく見て来た。俺も実際に体験してきた理不尽だ。その極めつけが死に際の逆恨み。
この借金取り共が何を企んでいるのかは分からないが、真っ当な努力を無下にするような行いを見過ごすことは出来ない。
前世の意趣返し、というよりほぼ八つ当たりになるだろうが、前世で晴らすことのできなかった鬱憤をコイツらの思惑を潰すことで払拭させてもらおう。
ここからは俺も本気でやらせてもらう。お前らのクソみたいな計画は徹底的に邪魔してやるから覚悟しておけよ。悪党ども。
「人除けの魔法も張り巡らせてあるんだろう? そっちはどうなってる」
密かに決意を滾らせる俺を他所に、話は進む。
「調べたが、健在だ。客が増えたのは、本当に魔法か何かを使ったのかもしれないな……とにかく、失敗は許されない。今後、うまくいかないようであれば強硬手段も辞さない。その時は、お前らも覚悟を決めておけ」
最後に低い声が締めくくり、話は終わった。
恐らく今回の主犯、計画とやらの立案者であろう男が外へ出て行く気配がしたので顔を拝んでやろうと俺も外へ向かう。
だが、俺の狙いが達成されることはなかった。建物から出てきた人物は、仮面をつけていたからだ。
目も鼻も口も描かれていない真っ白の、まるでのっぺらぼうのような面。
なんとも薄気味悪い見た目をしているが、結局は人間だ。いつかは仮面を取るだろう。それまで後を付けて素顔を確かめてやろうと、屋根伝いに追いかける。
不意に男がこちらを見上げた。
見つかった、と心臓が跳ね上がるも自分が猫であることを思い出して平静を取り戻す。
だが、男は俺のことをじっと見据えて視線を逸らそうとしない。何も描かれていない仮面だが、男が俺のことを捉えて離さないような、そんな錯覚に陥って、ぞわりと背筋が粟立った。
野生の直感か、これ以上の尾行はヤバいと判断して俺はそそくさと逃げ出す。
絶対に正体がバレることはないだろうが、今後のことを考えて相手の印象に残るのは避けた方がいいだろう。俺自身、覚えられやすい見た目だし、声は覚えたから次聞いたら分かるだろう。
それにしても、なんだ。この得体の知れない気持ち悪さは。まるで俺の存在を猫としてではなく、ちゃんと敵として認識しているような、あの反応。
ちらりと、男の歩いていた道を屋根の陰から見下ろす。すでに男の姿はなくなっていた。
気味が悪いが、切り替えて行こう。
さて、これからどうするか。もう一度借金取りコンビの所へ戻ろうか。今後もパン屋に対する嫌がらせは続くだろうし何をするつもりなのかを聞けるかもしれない。計画や人除けの魔法とやらも気になる。
『アハ、アハ! よー、兄弟! また難しそうな顔してるな』
考え事をしながら歩いていると、特徴的な笑い声がした。振り返れば、そこにはシャム猫がいた。戻る足を止めて彼への対応に切り替える。
『あぁ、ちょっとな』
『なんだよ。悩みごとならなんでも聞くぜ?』
『いや、まあ悩みってほどのことじゃないんだけど』
『じゃあ、今度こそうんこか? 我慢すると身体によくないぜ。ん?』
もはや鉄板と化した会話の最後にシャム猫は怪訝そうな声を上げる。どうしたのかと思えば、シャム猫はおもむろに俺の首元へ口を持って行き、何かを咥えて俺に向き合った。
『おい、なにかはりついてたぜ』
ペッと吐き出されたのは人の親指くらいの紙切れだった。そしてその表面には、魔法陣が描かれている。
『なんだ、これ?』
もっと間近で見てみようと顔を近づけると、紙切れはボッと突然着火し、あっという間に塵となって風に飛ばされて消えてしまう。
『なんだぁ? 人間にイタズラされたか? 意地悪なヤツもいるから、オマエも気をつけろよ。アハ、アハ!』
何気なくシャム猫は笑うが、俺は愛想笑いを取ることすら出来なかった。
パン屋の騒動に続いて魔法陣の描かれた紙が俺についているなんて、偶然と吐き捨てるには出来過ぎている。
何か、良からぬことが起きなければいいのだが……。
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