調査開始

 十数分の距離を歩き、パン屋へ辿り着く。


 店の中にはレノアがいるだけで他の客はいない。昼のピークは過ぎているものの、いつもならそれなりの客が入っている時間帯なのに。


 やはり噂の影響は深刻なようだ。


 そんな店内へ、パースを先頭にして調査隊は入って行く。ラムダは店先で待機のようだ。


 いつものように営業スマイルで迎えるレノアに、パースも人当たりの良い笑顔で応じながら事情を説明する。


「突然の訪問、失礼します。現在、この店には他者へ害を及ぼす魔法を行使している疑いがありますので、これから店の調査を執行します」


 言いながらパースは一枚の紙を取り出し、レノアへ見せつける。どうやらあれがエクルーナの言っていた令状らしい。


 昨日の今日でそんな物まで用意したのか。あの所長、もしかして俺が思っている以上にとんでもない人物なんじゃないか?


 レノアは少し戸惑いつつも、ある程度は予想していたのか取り乱したりはせずに毅然とした態度で対応する。


「私は何もしていません」


「それをこれから調べるんです。申し訳ありませんが、あなたに拒否権はありません」


 きっぱりと言い切ってジャスタとミクロアを呼び、全員が店内へ入るとパースが告げる。


「では、調査を開始します」


 三人はそれぞれ眼鏡を取り出し装着する。よく見れば左側のレンズには魔法陣が描かれていて、何かしらの魔法が施されているのだろうということは分かるがそれがどんな効果をもたらすのか、俺には判別しようもない。


 レノアが見守る中、三人はそれぞれパンを眺めて行く。


「魔法の残滓がこびりついている。やはり黒じゃないか?」


「しかし、微量すぎますね。この量で人に影響が及ぶでしょうか」


「何度も食べれば可能かもしれん」


 声量が小さく聞き取り辛いが、パンに魔法がかかっているかどうかを調べているようだった。そしてどうやらパンには魔法の痕跡が残っているらしい。


 俺はレノアのことを完全に無罪と思っていたのだが、これはもしやマズいのでは……。


 一応、調理現場は見たものの、生地に細工していたかどうかなんて、ましてやそれが魔法となれば俺には判別は不可能だ。


 もしかして藪蛇だったか……?


「ミクロアはどう思う?」


 パースが問いかけると、ミクロアはパンをじっと見据えながらポツリと答えた。


「……こ、これだけではなんとも。ただ、す、少なくとも人を害しようと魔法を使ってはいない、と、思います」


「その根拠は?」


「……色が、濁っていません。そ、それどころか、澄んでるように、見えます」


「魔法の残滓に、使用者の心情が色で反映される説は否定されているだろう。それだけでは否定できる根拠にならん」


 色、という言葉であの幻想的な調理風景が脳裏に思い起こされる。輝く空間で楽しそうに踊る器具たち、そして何より必死に、けれどどこか楽しそうにパン生地を捏ねるレノアの姿。


 俺がレノアの魔法を使っている現場を見た回数は少ない。だが、あれが人に害を与えようとしている光景だとは到底思えなかった。やはり俺には、レノアがよからぬことを企んでいるなんて考えられない。


 色うんぬんのやりとりを眺めていたパースはレノアに向き直り問いかける。


「パンを作る時、何か魔法は使いますか?」


「えぇ、器具やパンの運搬の時に」


「なるほど、それなら残滓の件は納得できます」


「あの、これって変な噂の調査ですよね? うちのパンが人を惑わせるって。それなら売られているパンだけを調べれば済む話では? どうしてわざわざお店まで来て調べる必要があるんですか」


「パンだけが原因とは限らないからです。来店したお客さんに魔法をかけているのかもしれないし、建物自体に何かしらの魔法がかけられている可能性もあります」


「そんなことはしていません。お店に魔法を施すなんて。娘だって出入りしてるんですよ。それに、実際に入っても何も感じないでしょう?」


「感覚はいくらでも誤魔化せます。ので、今から少し大掛かりな調査魔法を展開します。少々、おさがりを」


 抗議するレノアに対して、にこりと笑いながら眼鏡を外したパースはレノアをカウンターの向こう側へと押しやる。


 それを待って、ミクロアとジャスタはカバンから折り畳まれた布を取り出した。


 二人がそれぞれ布を広げると四方一メートルほどになり、それぞれに半分ずつ魔法陣が描かれていた。二枚の布を繋ぎ合わせて、部屋の真ん中に二メートルの魔法陣が展開される。


 その中心にミクロアが立ち、祈るように胸の前で手を組む。


「……で、では、いきます」


 宣言した直後、魔法陣が輝き出す。ミクロアの髪や服が下から風に煽られているかのように軽く舞い始める。


 青い粒子が集まり、人間の姿を形成していったかと思えば店内、一人二人と増えて行く。青い人間たちはパンを物色する仕草をしてからカウンターへと歩いていき、カウンターの向こう側にいる青い人と会話するような仕草を取った。


 それが二、三度続き、粒子は霧散していく。同時にミクロアの髪や服も落ち着きを取り戻していった。


「……せ、接客中に、おかしい動作をしている様子は、あ、ありません。魔法の行使も、か、確認できませんでした」


「では次だ」


 ジャスタの言葉に従って床に敷いた布を折り畳み、カバンから新たな布と入れ替えた。


 今度は先ほどの物よりかなり小さい、三十センチ程度だろうか。布は何枚もあるようで、しかもそれぞれに魔法陣が描かれている。それらを床や壁、天井に張っていく。


 ふと、後ろが騒がしくなっているのに気が付いた。振り返れば住民たちが興味深そうに店内を覗き込んでいる。


 どうやら異変を察知して集まって来たようだ。どこの世界も人間は野次馬根性が旺盛で困る。まあ、悪い噂が立っている店に行政の調査が入れば興味を惹かれるのも無理はないか……。


 もし、この場で店の評判を下げるような悪意のある言葉が発せられていれば俺が行ってその口を黙らせようと思っていたが、好奇心に満ちた言動ばかりだった。


 店先に待機していたラムダが油断のない視線を群衆に巡らせているのでそれを気にして悪評を口にしていないだけかもしれないが、ひとまず問題ないと判断して俺は店内に意識を戻した。


 小さな布は張り終えたのか、最後に一メートルほどの布を足元に敷くと、再びミクロアが魔法陣の中心に立ち、さっきと同じように魔法を行使する。


 足元の魔法陣から室内に張り巡らされた魔法陣へと赤い光が紡がれ、昼間であるにも関わらず、パン屋はまるで簡易的なイルミネーションに似た様相を醸し出す。


 その光景は綺麗で、日常的に魔法陣による魔法は見ているはずだが、ここまで大掛かりなのは見慣れないらしく民衆からは「おぉ」と歓声が上がった。


 パースが言っていた通り、確かにこれは大掛かりだ。ミクロアはこちらに背を向けているのに加えてかなり集中しているのか衆目に晒されていることには気が付いていないようだったが、かなり目立つ。


 こういう調査は内密に済ませておきたかったのだが……いや、逆にこれは好機かもしれない。


 公的機関の調査が入った、という不名誉は被ることになるが何の問題もないことが今ここで証明されれば、根拠のない噂よりも実際に見て聞いた情報は強い力を持つことになる。


 それでも店の悪評が払しょくされるにはかなりの時間を要することにはなるだろうが、少なくとも”まあ、食べても大丈夫だろう”くらいの認識を植え付けることは出来るんじゃないだろうか。


 しばらくして、赤い光は収束していきミクロアが告げる。


「……魔法の反応は、ありませんでした。お、お店には、なにも細工は、されていません」


 結果が告げられ俺はホッと息を吐き出す。無実と分かっていてもこういう調査はやはり緊張する。


 魔法陣を剥がす作業に入ったミクロアが、ようやく外の集まっていた人々に気が付いた。


 一瞬、理解が追い付かない様子で瞠目し、彼らの視線が自分に向いていると分かると「ひぁっ」と軽く悲鳴を上げて店の隅へ逃げてしまった。


 そんな彼女とは裏腹に、ジャスタは気にすることなく作業を続け、怯えるミクロアに「サボるな」と注意を投げかける。


 そんなやり取りの横ではパースがレノアと話を始めていた。


「ひとまず接客時や店内に魔法が仕掛けられている疑惑は晴れました。最後に――パンを頂いてもよろしいですか?」


「……えぇ、どうぞ」


 パースは金を払い、近場のクロワッサンを一つ手に取った。そうしてパクリ、とまるで見せつかるかのように一口、二口とかぶりつき、三口目で全てを食べ切った。


「うん、美味しいですね。ごちそうさまです」


 そうしてにこりともう一度笑い、片付けを終えたミクロアたちへ告げる。


「では、撤収しましょう。レノアさん、この度はご協力ありがとうございました」


 釈然としない曖昧な笑みでレノアは応える。そうしてパースは店から出ると、今度は民衆へ向けて言葉を発した。


「お騒がせして申し訳ありません。パンをお買い求めの方はどうぞお入りください」


 パースの言葉に従う人間はいなかった。代わりに、一人の女性――クレーマーの時に口を挟んでいた女性が近寄って問いかける。


「ここのパンは安全なの?」


「はい、アルラッド帝国研究所の名に賭けて」


 サラッと凄まじいことを言ってのける彼女の宣言を受けて、パースたちと入れ替わるように店の中へと入って行く人間がちらほら見えた。その中にはもちろん、質問を投げかけた女性の姿も。


 これでひとまずは一件落着か。あまりにもあっけない、というよりは上手く行き過ぎな気がするが。


 特にパース、どうして最後にあんな目立つマネをした?


 まるでパン屋を助けるためにわざと見せつけるようにパンを食べたようだった。


 なんとなく気になって、研究員の面々の後を追いかけようとした矢先、群衆の中にもっと気になる顔を発見した。


 それは、以前レノアに借金の催促に来ていた男だ。背の高い方、名前は分からないがノーレンスと一緒にいた男で間違いない。


 男は盛況を取り戻す店を忌々しそうに眺めてから、街中へと歩いていく。


 パースたちとどちらを追おうか気になって、俺は借金取りの方へ付いていくことに決めた。

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