調査隊

 その翌日の昼過ぎ、ミクロアと若い二十代くらいの女性とエルフの中年男性、そして先日オルトと模擬戦を行っていた鎧姿の少女ラムダが、パン屋の調査員として施設前に集まっていた。


 研究職三人はそれぞれかなりの荷物が入っていそうなカバンを提げている。


 それらを俺は、屋根の上から見下ろしていた。耳を集団に向けると、ラムダのハキハキした声が聞こえて来る。


「本日、皆様の護衛を任されたラムダ・ヨークスです! よろしくお願い致します」


 ピシッと背筋と左手の指先までを伸ばし、右手を胸に当て、肘は地面と平行するようにきっちりと上げる。これがこの世界の敬礼なのだろう。様になっている。


 対して研究員の方は物腰柔らかに対応する。


「調査担当のパースよ。今日はよろしくね」


「監察官のジャスタだ。君は確か、昨年入隊した子だな。なかなか優秀だと聞いている。頼りにしてるよ」


 和気あいあいと話す三人から一歩以上離れた位置でミクロアはその様子を眺めていた。


 三人の視線が向き、ミクロアは大袈裟なほどにびくりと体を震わせる。そしてしばしの沈黙、三人は自己紹介するのを待っているのだろうが、ミクロアはあわあわとするだけで声を発しようとはしない。


 見かねてか、パースと名乗った女性が口を開いた。


「あなたは確か、所長が推薦した人よね? お名前は、ミクロア……さんで、合っていたかしら」


「あ、はい。そうです、ミクロアです……」


「今日はよろしくね」


 言いながらパースは笑顔で右手を差し出す。それを慌ててミクロアが両手で握りしめる。


「あ、は、はい。よろしくおねがいします……」


 そうして尻すぼみに返事をする。どうやらミクロアはかなりの人見知りのようだ。それでも自己紹介すら出来ないのはなかなか重症だぞ……。


「では、行きましょう。案内しますのでついてきてください」


 ジャスタは露骨に眉を潜めて何か言おうとしたようだったが、それより先にラムダが「では、行きましょう」と号令をかけたので一団はパン屋へ向けて出発した。それを屋根伝いに追いかける。


 ラムダを先頭に、パースとジャスタはこれからの仕事について話していた。猫の耳であればこの程度の距離なら集中すれば問題なく声を拾える。


 ただ、専門用語が多くて俺にはあまり理解することが出来なかった。特にパン屋の調査方法についての部分。


 まあ、この辺りは理解できたとしても俺にはどうしようもないのでスルーでいいだろう。他にはごねられた時の説得方法についても話しており、最悪は強硬手段に出ることも視野に入れているようだった。


 ラムダはその時の対処も任されるのだろう。まあ、レノアのことだから荒事に発展するまでごねるなんてことはないだろうが。


 ミクロアに関しては集団の一番後ろを着かず離れずの所で歩いて、時折話を振られれば「それでいいと思います……」と曖昧な答えを返していた。


 一応、エクルーナ所長に今回の調査を頼まれたのはミクロアのはずで、責任者的な立場に当たると思うのだが、本当に大丈夫なのか? 


 この調査でパン屋の無実が証明されなければ困るんだ。しっかりしてほしい。


 何をそんなに緊張しているかは知らないが仕方ない、ここは俺がひと肌脱いでやるか。


 屋根の上を駆けて集団の先回りをし、前方から接触を試みる。媚び媚びの猫撫で声を出しながら近づくと、一瞬だけラムダの表情がほわっと緩むが、すぐさま真剣な表情に戻るのを横目に見ながら通り過ぎ、後ろの調査員たちへ絡みに行く。


 とりあえず場のまとめ役であるパースに狙いを定めて、彼女の足へと擦り寄った。


「わわ、そんな所を歩いてたら危ないよー」


 始めは仕事優先で俺のことは構わず歩を進めていたパースだったが、しつこく付いて行く俺に根負けしてしゃがみ込む。


「もう、どうしたの? お腹空いてるのかな。ごめんね、何も持ってないのよ」


 俺の頭を撫でながら話しかけて来るパース。その背後でジャスタが顔を顰めた。


「おい、野良猫なんて触るな。汚いぞ」


 失礼な。これでも毎日水浴びと毛繕いをしてるんだぞ。このツヤツヤの毛並みが見えないのか?


 パースはそんな警告なんて意にも介さず「でも可愛いですよ」と俺を撫で続ける。


「あれ……?」


 そこでミクロアが怪訝そうに声を上げる。ようやく反応してくれた。すかさず俺はミクロアの足元へ近づき甘える仕草を示す。


「……どうしてあなたがここにいるの? もしかして、ついてきた……? そういえば所長もこの猫のことは知っていたみたいだし、もしかして所長が何か仕組んで……?」


 構ってくれると思いきや、ミクロアは一人でブツブツ言い始めた。しかも割と見当違いの事を。


 ついてきたのは事実だが、俺はただ君の緊張を解したかっただけなんだ。ほら、お仲間さんたちと俺を介して親交を深めな。


 という俺の思惑は届くことなく、ミクロアは完全に自分の世界に入って行ってしまっていた。そんな彼女へ、パースが声をかける。


「ミクロアさん、もしかして猫は嫌い?」


 その言葉にハッとする。その可能性を全然考えていなかった。万人に愛される猫であっても、全人類が好きとは限らない。


 もし、彼女が猫嫌いだったら逆効果だ。ドキドキしながら返答を待っていると、ミクロアはしばらくまごついてから、恐々と口を開く。


「あ、えっと……別に嫌いじゃないです。でも、ちょっと、触ったことがなくて……」


「そんなに怖がらなくっても大丈夫よ。この子、人慣れしているみたいだし、適当に撫でても怒らないわよ」


 そう言いながらパースは俺の顔をくちゃくちゃと揉みしだく。ただ、力加減が絶妙で不快に感じるどころかマッサージのような心地よさがあった。


 猫の扱いが手馴れている。もしかしたらパースは猫を飼っているのかもしれない。


 パースの行動を見て、ミクロアも恐る恐るといった様子で俺の背中を撫でた。そっと指先が毛先に触れてこそばゆい。触るならもっとがっつり触ってほしい。


「ほら、そろそろ行くぞ。猫と遊んでて遅れたら研究所の名前に傷がつく」


 ジャスタに急かされ、最後に俺の頭をひと撫ですると彼女たちは再び歩き出した。雰囲気は、ほんの少しだけマシになったようだった。

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