解決策を求めて

 研究所は簡素な造りの、学校のような長方形の建物だ。敷地はかなり広大で規模の大きな大学くらいの面積が確保されている。


 夜間に忍び込んだ時とは違い、今は多くの人たちが行き来していおり、白を基調とした軍服を身に纏っていた。


 服の造りはほとんど騎士隊の物と同じだろうか。ということは、ここは騎士隊と同じく国の施設ということになる。重要施設っぽい感じだが、それにしては易々と侵入できるくらい警備が手薄な気もするが、猫だから関係ないだけだろうか。


 来てみたはいいが、どうしよう。ここからだとどう頑張っても店まで誘導は出来ないだろうし、声をかけて協力を募るわけにもいかない。


 どこかで動物の言葉が分かる魔法を研究している人間はいないだろうか。


 出来る限り人目につかないよう注意しながら施設内をうろついていたのだが、やはりこういう場に猫という存在は目立つようで、すぐ職員に見つかってしまった。


「あ、猫だ!」「本当だ。どうしてこんな所に?」「本を傷つけられると困るし追い出そう」


 そんな会話が聞こえてダッシュで逃げる。それからも発見されては外へ出そうと追いかけて来る人間から逃げるのを繰り返し、辿り着いたのは施設の片隅だった。


 そこにポツンと小屋のような建物を発見する。まだ人が追いかけてきている気配がしたので、俺は開いていた窓から小屋の中へと入った。


 室内は本がたくさん置いて――というよりも散乱していた。びっしりと文字が書かれた紙や、明らかに書きかけと分かる魔法陣の描かれた紙がそこかしこに散らばっている。


 その中心には少女が一人、机に向かって一心不乱に作業をしていた。


 年齢は十代後半くらいだろうか、腰くらいまである長い黒髪は手入れされていないのかボサボサで、眼鏡の奥の目は眠たげでじとっとした目つきになっている。


 あの状態になるということは、もう何日も寝てないんだろう。前世であんな感じになっている人間を何人も見てきた。


 少女は俺が入って来てもまるで気づかず、作業に没頭している。まだ外には人の気配を感じるし、ひとまずここでやり過ごそう。ついでに少女が何をやっているのか覗いてみる。


 俺が机の上に乗っても意に介さず、分厚い本と睨めっこしながら少女は用紙に幾何学模様を描いていた。


 なにやらブツブツ言っているが、何を言っているのかいまいち聞き取れない。


 どうやらこの子もここの研究員らしい。まだ高校生くらいなのに凄いな。いや、待て……よく見れば胸が凄い大きい。もしかしたら童顔なだけで二十歳は超えているのかもしれない。それかただ発育がいいだけか。


 そんなことを考えていると、不意に部屋の扉が開いた。


 俺としたことが少女の胸に夢中になっていて人の接近に気が付かなかったらしい。咄嗟に隠れようとしたのだが、机から降りようとしたタイミングで訪問者と目が合ってしまう。


 金髪で優し気な顔立ちの初老のエルフ。彼女は確か、店への誘導作戦初日に出会った不思議な雰囲気の。


「あら、あなたは」


 対面したのは一度だけだったはずだが、向こうも俺の事を覚えていたようで驚きながらも旧友に出会ったかのような穏やかな表情で近づいてきた。


「どうしてこんな所にいるのかしら」


 問いかけと独り言の間のようなニュアンスで言ってくるので、俺はそっと目を逸らした。ついでにあなたのことなんて気にしてませんよ、と主張するため毛繕いもしてみせる。


 それが功を奏したのかは分からないが、彼女は視線を俺から少女へ移す。少女はかなり集中しているようで、人が入って来てもまるで無反応だった。


「ミクロア、ミクロア?」


 ミクロア、とは少女の名前なのだろう。何度か呼びかけるも反応はなく、肩を叩いてようやくミクロアは振り返った。


「わっ、あ、エ、エクルーナ所長……おつかれさまです」


 びくりと飛び上がり、慌てて立ち上がるとたどたどしく頭を下げる。というか、あの人ここの所長だったのか……。


「お疲れ様。熱中するのはとても良いことだけれど、ほどほどにしないと駄目よ。あなた、また徹夜したでしょう」


「えと……はい」


「全く、様子を見に来て正解だったわ。夜は寝なさいとあれほど言っているでしょう。また倒れたらどうするの」


 母親のような優しい口調で注意するエクルーナに、ミクロアはバツの悪そうな表情で応える。あれは多分、これからも改善する気はないだろう。


 エクルーナもそれを察してか小さくため息を吐き出す。そして視線を俺へと向けた。


「ところで、そこの猫さんはミクロアが飼い始めたの?」


「ねこ?」


 そこで初めて俺の存在に気がついたのか、ミクロアは驚きを示す。


「わっ、いつの間に……わ、わたしは飼ってません。世話とか、出来ませんし」


「そうよねぇ」


 言いながらエクルーナは俺を抱き上げる。あまりにも自然に捕まえられて、逃げる間もなかった。


「じゃあ、この子は外へ連れて行くわね」


 ま、マズイ! まだ何も解決策を見つけられてないのに追い出されるのは困る! なんとかして離してもらわないと。


 爪を立てないよう注意しながら腕の中でもがき、なんとか脱出して部屋の隅にあった棚の下へと逃げる。


「あら、ここが気に入ったのかしら」


「そ、それはダメです! 荒らされると困る資料がたくさんあるのに……ほら、おいで」


 なんとか連れ出そうとミクロアが覗き込んで手を入れてくるが、今はまだ捕まるわけにはいかない。別にここを荒らしはしないし、周りが落ち着いたら出て行くから放っておいてくれ。


 しばらく攻防が続き、結局ミクロアは諦めた。どうせまた作業を始めたら俺の事なんて気にしなくなるだろう。そうなってからそっと窓から脱出しよう。


 だが、施設を軽く回っても噂を払拭するための解決策を見つけることは出来なかった。早々に諦めて次に行くべきか……?


「そういえば、その猫さんが案内してくれたパン屋なのだけど、ちょっと気になる噂が流れているのよ」


 俺を捕まえるのを諦めて立ち上がったミクロアにエクルーナが言った。


「噂、ですか?」


 どうやらレノアのパン屋についての話だと分かって、俺はそっと棚下から二人の様子を覗いてみる。


「なんでも、そこで売っているパンには人を狂わせる魔法がかかっているらしいわ」


「なんですか、それ? 人の精神に作用する魔法……? 存在は知っていますけど、確か法律で禁止されているはずです。そもそも、使える人自体が少ないですが」


「そうよ。そんな魔法を一介のパン屋がそんな魔法を使うだなんて、おかしいと思わない?」


「パン屋の人はエルフなんですか?」


「そうね」


「ならあり得ないとは断言できません。一度調べてみないと」


 エクルーナの口角が少しだけ上がる。まるでミクロアがそ言うのを待っていたようだった。


「なら、お店の調査しないといけないわね。ミクロア、お願いできる?」


「えっ、わたしが、ですか?」


「えぇ、あなたなら魔法にも詳しいし、適任だと思うわ」


「ですが、研究が……」


「煮詰まっているのでしょう?」


「うっ、はい……」


「部屋の中で同じことを繰り返していても頭は固まるだけだわ。たまには違う事もやってみないと。それに、多くの人に長期的な効果を与える魔法はあなたも興味があるんじゃない?」


「確かに、解明できれば今の研究に応用できるかもしれませんが……」


「なら決まりね。あと二人、同行者を決めておくから準備しておいて。店への令状もこちらで用意しておくから。事が事だし、明日には行けるようにお願いね」


 とんとん拍子で話は決まり、ミクロアも何か言いたげだったがエクルーナの作った強引な流れには逆らえず「はい……」と小さく了承の声を出すことしか出来ないでいた。


 国の施設が査察に入るなら、これはどうにかなるかもしれない。


 今回の査察で無実だと証明できれば、この店のパンは安全だと国からお墨付きを貰えるということだ。なんという僥倖。俺がここに来なくても問題なかったかもしれないな。


 そんなことを考えていれば、エクルーナが俺へ視線を寄越し軽くウィンクして見せた。


 ……まさか、俺の意図を汲んで調査に乗り出してくれたのか……? いや、流石に考え過ぎだろう。


 答えは出ないまま、エクルーナは部屋を出て行ってしまった。半ば無茶ぶりとも思える指示を与えられたミクロアはしばらく茫然と立ち尽くしてから作業に戻った。

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