一難去ってまた一難

 それからクレーマーは猫の毛入りのパンを捏造しようと町の猫に近づいて返り討ちに遭ってから(俺が事前に要注意人物として広めていた)諦めたのか一度も来店する事はなく、パン屋に平穏が訪れた。


 猫パン販売開始から一週間も経過する頃には客足も戻り、というより更に数が増えた。店の存在が認知され始めたのだろう。もともと味は良かったし、広まってしまえば人気が出るのも当然だ。


 ただ、一気に客足が増えたことでパンの製造が追いつかず、何回か完売を繰り返すことになった。


 そもそも接客から経営、魔法を使っているとはいえパンの製造までレノア一人で賄っているわけで、やはりどうしても人間一人では限界がある。


 猫の手ならいくらでも貸してやるのだが、残念なことにそういうわけにもいかず、俺は見守ることしかできなかった。


 そろそろ従業員を増やしてもいいのではなかろうか。そんなことを想った矢先、パンの製造が追いつき始める。


 見た感じ新しく入った人間はいない。気になって厨房を覗き込んでみれば(もちろん窓の外から)、驚きの光景が広がっていた。


 厨房を覗いてみれば、以前見た時より慌ただしく、器具やパンたちが宙を舞っていた。どうやら魔法で量産体制を敷いたらしい。あれだけの物を一度に操作できるなんて、魔法使いの基準は分からないが、彼女はかなり魔法を使いこなしているのではなかろうか。


 まあ、これで大丈夫だろうと安心したのも束の間、パタリと客足が途絶えた。


 ある日、本当に突然に。客の数が半分近く減ったのだ。


 初めはそういう日もあるだろうと思っていたが、以前と同じように客を誘導しても、店の前まで来るのだが外から少し眺めるだけで店に入ることはなかった。


 流石におかしい。原因究明のために町へ調査に出かけてみる。まずは商売敵のパン屋の様子だが、なんとすでに数店で猫パンが並んでいた。


 いつかはパクられるだろうとは思っていたが、いくらなんでも早すぎやしないか? クオリティはまだレノアの店の方が上だが、やはり町中にあるという利便性を考えると商品をパクられるのはなかなかキツイ。


 だが、客が来なくなった決定的な理由はそれじゃなかった。町の、そう狭くない範囲でとある噂が流れていた。


『エルフの作るパンには人を狂わせる魔法が掛かっているらしい』


 そんな、根も葉もない噂がまことしやかに囁かれているのだ。どうしてそんな話が出てきているのか、出所はどこなのか、気になることは色々あるが問題はそこじゃない。


 マズいのは少なくない人間がその噂を信じてしまっていることだ。


 せっかく軌道に乗ってきたこの時期に悪評が流れてしまうのは客商売的にかなり厳しい状況だった。早急に対策を練らなくては取り返しがつかないことになる。だが、いったいどうする?


 前世の世界でなら、噂が沈静化するまで放置するのが一番なのだが、この世界じゃそういうわけにもいかない。経営する町で悪評なんて流れて根付きでもすれば、年単位で客が来なくなる。下手をすれば店を畳まなくてはならなくなるかも。


 なら噂の根元を見つけて撤回させるのが手っ取り早く思えるが、方法は? 


 犯人に怪文書を送りつけて脅す手もある。それにはまず相手のメンタルを潰さなくてはならない。それまでにかなりの時間がかかるだろう。それに力づくで撤回させた場合、噂がもっと酷くなってしまう可能性もある。


 猫の身では噂は嘘だと言って回ることも出来ない。食べて問題がない事を証明して回るのも無理だ。俺が出来ることは、もうないのか?


 思考を巡らせながらパン屋へ戻ってくると、オルトがレノアと何やら話をしていた。


「どうやら、この店のパンに変な魔法が仕込まれていると噂が流れているようです」


「そんな、あり得えません。そんなこと……」


「もちろん、俺も食べているのでそんな物がないのは知っていますが……」


 どうやら噂の真相を確かめに来たようだ。だが、流石のオルトもこればかりはお手上げの様子だった。


 要するに、住民はこの店のパンが危険であると怖がって来なくなったわけで、であれば、パンの安全性を示さなくてはならない訳だ。


 ここで騎士隊であるオルトが協力して大々的に安全性を広めてくれれば楽なのだが、国の機関が、国にとって特に重要でもないただの飲食店に肩入れするのは色々と問題があるのだろう。


 最悪の場合、更によからぬ噂を流されて共倒れになってしまう。


 オルトの手は借りられない。なら、もっと魔法方面に強い人間に助けを求めるのはどうだろう。それこそ学者みたいな。


 ふと思い出したのはタイプライターを借りた施設だ。あそこは確か魔法陣の研究をしている、ような雰囲気があった気がする。


 とにかく、今は行動するしかない。一縷の望みを賭けて魔法陣研究所へと向かった。

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