厄介な問題
猫パンが発売されてから二カ月が経過した。あれから順当に客は増え、すでに当初の数倍以上の稼ぎが出ていた。
今までは閑古鳥が鳴いていた昼時も今はそれなりに客が入るようになってきた。他の店舗に比べればまだまだ客足は少ないが、固定客もそれなりに着いたしこれからも増えていくだろう。
ひとまずは成功、という判断を下しても大丈夫そうだ。
これでわざわざ通りから人を誘導するなんて手間をかけずに済む。あれは結構な重労働だった。
さて、次はどうしようか。商品の需要があることも分かったし、ここいらで大々的に告知でもしておきたいところだが、この世界の広告はどこでどうやって出せばいいのだろう。
町を見た限り、看板や張り紙のような物は見かけなかった。新聞のような定期的に配布される物は存在しているようだし、それに載せてもらえばいいのだろうか。でも、頼み方が分からないな。
ネットがあれば写真なり動画なりを垂れ流しておけば無料で周知出来るのだが……こんなことになるならもっとネット以外のマネジメントを学んでおけばよかった。
個人で負担が少なくて済みそうな告知方法はやはりビラを配ることだろうか。だが、タイプライターはあれど印刷技術のないこの世界だと、あまり量産は出来ない。そもそも紙の単価もいまいち分からない。
本の流通具合や、学校で気軽にメモ用紙を使っているからそこまで高価な物ではないと思うが、ビラの内容やデザインを考えないといけないし、そもそも社員がレノアしかいないから量産は出来ないだろう。あまり現実的ではない。
なら、アリィにパンを持たせて公園とかで簡易的な出店を開くのもいいか。アリィなら店の手伝いで会計も出来るし、人見知りもしない。きっとたくさん売れるだろう。
猫パンが売れると分かった今、やりようはいくらでもある。このまま店をこの町一番のパン屋にのし上げてやるのも面白いかもしれないな。
「どういうことだって聞いてんだよ!」
俺が今後の事について思いを馳せていると、店内から怒号が聞こえて来た。何事かと覗いてみれば、中年の男がレノアに向かって怒りをぶつけていた。
「テメェの店はパンに猫の毛を混ぜて焼いてんのか?」
「ですから、店の中に猫は入れていませんので。パンの中に毛が混じるなんてことはないはずです」
「現に混じってたんだよ! それともオレが嘘を吐いてるって言いてぇのか!?」
うわ、クレーマーだ。この世界にもいるんだな、ああいう輩は。
どうやらパンに毛が混じっていたという苦情らしいが……パンに付着していた、ならまだしも混入はあり得ないだろう。
レノアは店や厨房に猫が入らないよう徹底しているし、外で猫に触れたりするのも
開店してからだ。それからは追加で焼いたりしていないし、そもそも触れ合った所でちゃんと手洗いや着替えを行って衛生面は管理している。
アリィだって厨房には入らないようにしているし、今回のクレームは男のいちゃもんか自演だろう。実物を持ってきていないのがなによりの証拠だ。いや、例え持ってきていたとしてもいくらでも細工は出来るが。
男は他の客の目を気にすることなく、レノアに言いたい放題だ。今すぐにでも顔面に網目模様を刻み込んでやりたいが、俺が店に入れば余計に事が大きくなる。ぐっと堪えて、ここはレノアに対処を任せるしかない。
今回はかなりの悶着を経て、新しいパンを提供する事で決着したようだった。男の姿が見えなくなってから、レノアは他の客へ頭を下げる。
接客業をしてればクレーマーの出現は避けられないだろうが、ああいう輩はこれからも増えるだろう。
日中はアリィも学校へ行ってしまって従業員はレノアしかいなくなるから、そこにただ時間を取られるだけのクレーマー対応はかなりの損害になる。それに店の雰囲気そのものだって悪くなってしまうだろう。
新しい従業員を雇う余裕はまだないだろうし、これは早急に対策を考えないとダメそうだ。しかし、どうやって?
クレーマーだと分かっている人物なら店に入る前に、猫たちを集めて集団で襲って追い払ってやろうか。だが、手荒な対処をしてしまえば店に悪評が付くデメリットが発生してしまう。
クレーマーが出現してから誰かに助けを求める手もあるが、自分に関係のない荒事にわざわざ首を突っ込むお人好しは早々いない。同じ店内にいても見て見ぬふりをするか逃げるのが普通だ。
荒事に強くて、自分に無関係でも助けに入ってくれるような、そんな人物――。
パッととある人物の顔が思い浮かんだ。あいつならこういう場面を見れば必ず助けに入ってくれるだろう。それにはまず、奴の行動を探ろうと、俺は駆け出した。
向かうは町の中心にある騎士隊の駐屯所である。敷地は石壁で囲まれているが、猫の身であればこんな物は障害ですらない。木に登ってから壁の上に飛び移って、外周を巡りながら目当ての人物を探す。
騎士隊の建物はかなり豪華で堅牢な雰囲気を醸し出している。見た目は俺の世界で言うところの教会に近いだろうか。この町で一番豪奢な建物は領主の住む城(豪邸?)だが、それに負けず劣らずな見た目をしていた。
建物の裏手には騎士隊が訓練で使用する広場があり、そこで俺が探していた人物――オルトの姿を見つけた。
いつもはラフな私服姿だが、ここでは深緑色の軍服と両手足に鎧を身に着けている。今は模擬戦の最中なのか、オルトは十代後半くらいの少女と木刀を打ち合っていた。
相手の少女も、オルトと同じような、軍服に両手足の鎧という格好だ。
ここへは何度か来たことがあるが戦闘をしているのを見るのは初めてだ。ついでだし見ていくか。
少女の方が攻め手側なのか、鋭い剣筋をオルトへ叩き込んでいる。だが、そのスピードが尋常じゃない。
手足の防具は鉄であろうにも関わらず、まるで何も身に着けていないように俊敏な動きを見せている。振るわれる木刀は猫の動体視力をもってしても追うことが出来なかった。
そんな猛攻をオルトは軽く避け、いなし続けていた。
おぉ、すげぇな。剣技なんて剣道とフェンシングくらいしか見たことがないが、比較にならないくらいに動き回っている。それに本気で相手の息の根を止めてやると息巻く、鬼気迫るような空気がそこにはあった。
夢中になって観戦していると少女の動きが鈍っていく。あれだけ動き回ってたら息も切れるだろう、と思いながら見ていれば、突然なにかにつっかえるような動きを見せた。その隙を突いて、オルトが木刀を少女の腹に叩き込む。
なんだ。なにかの魔法か?
少女はそのまま後ろへひっくり返り、腹を抑えて表情を苦痛に歪ませるが、すぐに木刀を杖代わりにして起き上がった。が、息を整えるのに必死で動けそうにない。片膝を着いて項垂れている。
状況の掴めない俺を他所に、オルトは荒い呼吸を繰り返す少女へと歩み寄る。
「無駄な動きが多い癖に攻撃が単調だ。だから読まれやすいし魔力もすぐ切れて動けなくなる」
「す、すみません……」
それなりの距離があるが、猫の聴力なら余裕で二人の声を聞き取れた。
どうやら少女の動きがおかしくなったのは外部から何かされたわけでじゃなく自分の持久力の問題だったようだ。
しかし魔力と、いうことは魔法を使っていたということだ。どこで何の、と思っていれば手足の防具の付け根部分に魔法陣があるのを見つけた。
「も、もう一本、お願いします!」
少女は立ち上がり、木刀を構えて叫ぶ。しかしオルトは首を横に振った。
「もう立ってるのがやっとだろうが。それにお前、また昼飯を食ってなかっただろ。魔力回復がてら腹ごしらえして来い」
言われて、少女は重い足取りで隅に捌けて行った。周りで見ていた集団が「お疲れ、ラムダ!」「いい戦いだったぜ」と励ましながら迎え入れる。
ラムダ、とはきっと彼女の名前だろう。ラムダは軽く笑みを浮かべて応えていた。
交代で二十代半ばくらいの青年がオルトの前に立つ。彼は両足しか防具を着けていない。
「よろしくお願いします!」
脚防具の付け根に記された魔法陣が輝き、青年が地面を蹴った。かなりの速度と勢いだ。人間の脚力であれだけの初速が出せるとは思えないし、やはりあの動きは魔法によるもののようだ。
動きは少女と同じくらいだが、木刀の振りは全然遅かった。きっと、あの魔法陣で肉体を強化しているのだろう。
一つ、謎を解けたところで青年はあっという間にオルトの反撃を食らって撃沈していた。
「お前はまだ二つしか魔法陣の併用が出来ないんだからラムダと同じような戦いをして勝てるわけないだろう。もっと考えて動け。ほら、まだ余裕はあるだろ。立て、もう一本だ」
痛みに悶えて蹲る青年に、言葉で容赦のない追撃を行う。それに負けじと青年は立ち上がり、再び戦闘を始める。
結構なスパルタだなぁ。騎士隊が民事の荒事にどこまで対応するかは不明だが、これくらいやらなきゃ町の防衛なんて務まらないのだろう。
それから夕方まで模擬戦闘は続き、オルトは夜中まで仕事をすると真っすぐに帰宅した。
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