命の恩人

 ガサゴソ、という物音で目を覚ます。と、目の前には見覚えのあるシャム猫がいた。


『よお、起きたか』


『何をやってるんだ?』


『残ってたから食ってやろうと思って』


 何を、と問いかけようとしてパンが乗っていたはずの皿が綺麗になっているのを見る。


『お前、あれは俺のだったのに!』


『細かいことはいいじゃねえか。それよりも身体、もう大丈夫そうだな』


 言われて、俺は自分が動けていることに気付く。


『あれ? なんで……』


 半信半疑のまま、籠の中で動き回ってみる。痛みは残っているものの、動けないほど激痛が走る、なんてことはなくなっていた。


 馬に撥ねられ、昨日起きた時に感じた痛みから察するに少なくとも骨は折れていたはず。どれくらい意識を失っていたかは分からないが、どれだけ長くても三日かそこらだろう。そんな短期間であれだけの怪我が治るはずない。


 猫は傷の治りが早いのか? いや、それにしたっていくらなんでも早すぎる。


『怪我が治ってて驚いただろ。それ、アリィのおかげなんだぜ』


 言われて昨日の身体を内側から弄られているような激痛と、彼女が手から発した謎の光を思い出す。そういえばあの光、俺の身体の中に入って来てたような。


『まさか、あの光……?』


『そう! 不思議な光で傷を治しちまうんだ。人間ってすげぇよな! アハッ、アハッ』


 いやいや、いくら人間でもそんなこと出来るはずがない。手をかざすだけで傷を治すだなんて、そんなの魔法じゃないか……そんな非科学的な力、あるはずが……。


 いや、待てよ。ドラゴンがいるなら魔法があったっておかしくはない。この世界は俺のいた世界とは別物なのは確実、俺の常識で物事を図るのは誤った結論を出す危険がある。慎重に物事を見極めなくては。


『どうした、真剣な顔して。うんこか? やるなら外でしてこいよ。もう動けるんだろ?』


『違うよ。考えごと……なぁ、この世界じゃあの……不思議な力ってのは、人間はみんな使えるのか?』


 魔法、というのが動物語でどう発音するのか分からず曖昧な質問になってしまった。


 正直、コイツに聞くのは躊躇われた。見るからに何も考えてなさそうなアホ面だし。だがこの場で頼れそうなのがコイツしかいないので仕方がない。


『どうだろうなぁ。あんな光を出せる人間は、アリィ以外に見たことない。まあ、アリィ以外の人間は見分けつかないけどな! アハッ、アハッ』


 そして返ってくるのは参考になりそうもない、予想通り頭の悪い回答だった。コイツに魔法について聞くのは諦めよう。


『それで、いつまでここにいるつもりだ? 狭いんだが』


『そう固いこと言うなって。アリィを死にかけてたオマエの所まで案内してやったのはオレだからな。相応のおこぼれは貰うぜ』


 そうだったのか。じゃあコイツは俺の命の恩人ってことになる。それなら寝床や食事を分けるのは当然だ。むしろそれだけじゃ足りないまである。


 受けた恩はしっかり返す。それが俺のモットーだ。まあ、今の俺には返せる物なんてなにもないんだが。


『ありがとう、助けてくれて。あんたがいなかったらどうなってたか、考えるだけで恐ろしいよ』


『アハッ、アハッ、いいってことよ。困ったときはお互い様。助け合って生きていかねえとな』


 なかなか良いことを言う。頭は悪そうだがどうやら悪い奴ではなさそうだ。


『それにオレも雨風凌げる寝床とおこぼれを貰ってるからな! オレもオマエにありがとよ! アハッ、アハッ』


 あぁ、俺を助けたのは自分の食い扶持を増やすためか。結局は自分のためだったのだろう。見た感じ野良猫だし、普通はそうなるか。それでも命の恩人には変わりない。


『アリィが世話してくれるのは太陽が七回出るまでだ。それまではよろしく頼むぜ。兄弟』


 どうやらこのシャム猫はアリィの保護がなくなるまで、ずっとここに居座るつもりのようだ。


 良いように利用されている気がしないでもなかったが、恩もあるし、なにより見知らぬ町で満足に動けない中、一人ぼっちで心細い思いをするよりはマシかとシャム猫を受け入れることにする。


 保護期間まで知ってるなんて、コイツなかなかの情報通なのか? 魔法のことは知らないようだが、他のことなら色々と聞き出せるかもしれない。


『アリィは何度も猫を助けてるのか?』


『ああ、この町にいる猫は結構アリィの世話になってるんじゃねえかな。オレも死にかけたとき、アリィに助けてもらったぜ。あの人間はオレたちにとってカミサマさ!』


 神様ね。確かに命を助けてくれるのだからそう見えるのも仕方ない。俺だって最初に見た時は女神かと思った。その後の荒療治で考えを改めたが。


 そう思いながら、俺はシャム猫の横に寝転んだ。



 アリィに助けてもらってから一週間が経過した。動けるようになって何度か外に出て判明したことだが、現在地は町の中にある公園の茂みの中だった。人目にも付かず鳥類に襲われる心配も少ない絶好のポジションだ。


 アリィの、恐らく魔法のおかげで怪我はみるみるうちに治っていき、今ではもう完全に回復した。今後あの凄まじい痛みを伴う治療を受けずに済むと思うとかなり嬉しい。


 それにしてもあれだけの大怪我が一週間で治るだなんて未だに信じられない。元の世界でだって完治させる術は存在しないだろう。なんにせよ後遺症も残らないようで安心した。


 治療中、アリィに対して「このまま家に連れて帰ってくれないかなぁ」と何度か真ん丸眼で訴えかけてみたものの、一度も彼女は自らの手で俺を籠から出してくれなかった。


 それどころか撫でる以上のことはしてくれない。あくまでも死にかけた動物をたまたま助けるという、一歩引いた感じの距離感を保っていた。


 そしてシャム猫の言っていた保護期間最終日である今日、アリィは俺の身体をくまなく触り、最後に嬉しそうに笑いながら俺に何かを告げると、籠を回収してそのまま去って行ってしまった。


『あーあ、どうやらここまでみたいだぜ。これで旨くて柔らかいパンともしばらくお別れかぁ』


 アリィの背中を眺めながらシャム猫は心底がっかりしたように言う。


 ついにこの時が来てしまったか……ここまで世話をしておいて放置するなんて無責任だとも思うが、命を救ってもらっただけ儲けものだと割り切るしかない。これからはまたしばらく野良猫生活だ。


 ――と言うとでも?


 これで俺が大人しく引き下がると思ったら大間違いだ。アリィが猫好きであることは確定している。おまけに美少女、胸は分からないがまだまだ成長する余地はある。さらに見知らぬ猫を助けて回るほど優しいと来た。


 こんな優良物件、みすみす見逃してたまるか。


 なんとしてもアリィの飼い猫になってやる。もう野生動物の生肉と虫を食べて飢えを凌いだり、いつ死ぬかもしれない危険な生活には戻りたくない。


 何より助けてもらっておきながら、事が済んではいさようなら、というのは俺としても避けたいところだった。寝覚めが悪いというか……なんにせよモヤモヤするんだ。


 なんとしても、アリィに恩を返したい。


 俺はこの一週間ですっかり仲良くなったシャム猫に顔を向ける。


『なぁ、兄弟。もうひとつ頼みがあるんだが、聞いてくれるか?』


『た、頼み? オ、オレにか? なんだ? 何でも言ってくれよ!』


 ピンと尻尾を立てて興奮気味に言うシャム猫。どうしてこいつはこんなに嬉しそうなんだろうか。まあ乗り気なのは良いことだ。


『この町での生き方を教えてくれないかな。実は俺、生まれも育ちも森の中でこの辺のことはよく分からなくてさ。親ともはぐれちゃったし、一人じゃ生きて行けそうにないんだ』


 一度死にかけて痛感したが、町と森では勝手が全く違う。人間の知識を持っていればなんとかなると思っていたが、甘かった。せっかく友人も出来たんだし、頼るに越したことはない。


『おお、いいぜ。いい餌場を知ってるんだ。他にもいろいろと案内してやるよ! 付いて来な!』


 その呼びかけと共に、俺はシャム猫と新たな世界での生活へと飛び出したのだった。

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