町へ

 猫になって二ヵ月が経過する頃には、俺は立派な猫に成長していた。もう一人で狩りも出来るし、猫世界での処世術も身に着けた。俺はついに、人里へ降りる決意を固める。


 今ならまだ見た目は子猫として通るし、人間に飼ってもらうならこの時期を逃すのはもったいない。


 何よりそろそろ虫や小動物を生で食べるのに限界が来ていた。むしろよく耐えたと思う。大きなダンゴムシなんか……正直もう思い出したくもない。


 家族には黙って出て行くことにした。ここまで育ててくれたのに不義理な行いだと思うが、母親に告げれば止められるかもしれない。無事、飼い猫になれたら手土産の一つでも持ってくることにしよう。


 朝方、母猫が狩りへ出かけた隙に、俺は巣穴を飛び出して町へと下った。場所や方向は何度も崖上から眺めていたので把握している。少なくとも山を下りれば町へは辿り着けるだろう。


 ふと、以前に見たドラゴンの姿を思い出す。あれから何度か町を観察していたが、あれからも三回ほど町を行き来するドラゴンを目にした。


 別段争いが起きている様子はないし、ドラゴンが人里を襲うような事態ではなかったのだろう。背中に人間が乗っていたし、この世界のドラゴンは友好的な存在なのかもしれない。


 ドラゴンよりも心配な点がいくつかある。その内の一つが、人間は猫に友好的なのかどうかだ。

 

 仮にこの世界が俺の知っている世界と違う場合、猫という存在を忌み嫌っている場合は充分にあり得る。


 俺の世界でさえ地域や時代によって猫は不吉の象徴になっていることもあるのだ。特定の動物を悪魔の使いとして忌み嫌っている可能性は考えておかなければならない。


 俺は四足の先だけが白い、いわゆる靴下柄の黒猫だ。黒猫は不幸の象徴として扱われることがある。下手をすれば人間に見つかっただけで殺されてしまうかもしれない。


 そうでなくても町の清潔感を保つために動物類を排除しているパターンもある。


 無関心で上々。もしも人間が友好的でなかった場合は巣穴に戻ることも視野に入れておかなくてはならない。そうすると、やはり黙って出てきたのは正解だったな。出戻っても少し遠くに行っていたと言い訳すれば問題ない。


 それらの不安点を抱えながらも、俺は無事に町へと辿り着いた。


 町に降りてまず行うのは人間観察だ。まずは外周の茂みに潜みながら町並みを見て回る。町の中には多くの人間が行き来していた。欧米系の顔が多いだろうか。髪の色は金髪から茶髪、赤、青、緑と多種多様だがどれも違和感は感じられない。


 自動車などは見当たらず、馬や牛に似た動物が荷車を曳いている姿が散見された。その中にドラゴンもいる。俺が最初に見た奴よりかなり小型で翼も生えていないが、少なくとも俺の知っている世界では考えられない生物が町の風景として浸透していた。


 やはり、ここは俺の知っている世界とは違うと見て間違いなさそうだ。驚きは、ドラゴンを見た時点である程度予想できていたからあまりない。というか自分に猫になった経験に比べれば、もう異世界なんて大したことがないように思えた。


 もしかしたら魔法なんてものも存在するのかもしれない。猫の身にはあまり関係のない話だが。


 町の雰囲気は平和で穏やかだ。その風景の中には猫も混じっていて、特に柄によって扱いに差がある様子もなく、どちらかと言えば人間は猫に対して友好的のようだった。


 忌み嫌っていたり、排除しようとしたりはしていないようでひとまずの懸念事項は払拭されて安心する。だが同時に問題点も発覚する。


 人間の言葉が理解できないのだ。道行く人々の会話に聞き耳を立てたものの単語の一つすら聞き取れない。俺の言語力は日本語はもちろん、中国語、英語をマスターし、他の言語も軽い聞き取りくらいなら出来るくらいはあるが、知識の中にあるどの言語とも当てはまらなかった。


 まあ、ドラゴンや町並みを見た時点で予想はしていた。異世界なら言語が違うのも仕方ないことだ。もともと人間との対話は諦めていたし、日常会話を聞いていればいずれ理解できるようになっていくだろう。


 言語習得は追々やっていけばいい。猫への接し方や雰囲気で友好的かどうかの判断は可能だし、飼い主候補を探す分には支障は出ないはずだ。


 最優先事項は飼い主を見つけること。住む場所さえ確保してしまえばあとはどうとでもなる。


 それに早く町の散策に行きたい。旅行やドライブが趣味だった身としては、新しい町というのは否応なしに心躍る。自分の知らない世界となれば殊更だ。


 安全だと分かった途端、居ても立っても居られなくなって俺は意気揚々と身を潜めていた茂みから出て町の散策へと赴いた。


 探すのは猫が好きそうな人間だ。


 俺自身、猫を飼ったことはないが、ほぼ毎日帰路にいた黒猫と戯れていたし猫動画も見まくっていたから、猫が人間に対する媚の売り方は心得ている。果たしてそれがこの世界の人間に通用するかは分からないが、やってみる価値はあるだろう。


 飼われるならやはり、優しく美人で財力のある女性がいい。出来れば巨乳で。そんな女性の胸に抱かれて撫でられるなんて、まさに夢のようじゃないか。人間なら絶対に体験できない。いや、まあ、金を払えばいくらでもできるだろうが、それとこれとはまた別だ。


 あぁ、早く運命の出会いがないものかと、心躍らせながら道へ出た。


 慣れない町で、そんな妄想に浸って歩いていたせいだろう。俺は猛スピードで馬車が迫っていたことに、寸前まで気づくことが出来なかった。


 あ、と思った時には馬の強靭な脚が目の前にあって、凄まじい衝撃と共に俺の意識は暗転した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る