新たな世界で猫として
猫になってから一週間が経った。兄妹たちと母乳の取り合いをしながら周囲の状況を把握した結果、どうやら俺は本当に猫として生まれ変わってしまったらしい。
兄妹たちの姿から鑑みるに、自分は生後一ヶ月足らず、と言ったところだろう。
これはいわゆる転生、という奴だろうか。確かに死ぬ寸前、猫だったら良かったと思った記憶はあるが、まさか本当に猫になってしまうなんて……。
いや、何を嘆くことがある。これはチャンスだ。人間の意識を有したまま、しかも前世の記憶があるまま猫になるなんて、やりようによっては簡単に勝ち組人生、もといニャン生を歩めるはず。
そうやって無理やり思考を前向きにして、猫にとっての成功は何かを考えてみる。
やはり縄張りのボスになることだろうか。
猫界のトップ、というのは憧れるが権力で上に立っても何年かすれば若い奴に追い払われる。力が物を言う動物の世界ならなおさらだ。下手をすればまた闇討ちを食らって前世の二の舞になりかねない。そんなのはごめんだ。
なら、やっぱり誰かの飼い猫として過ごすのが一番だろう。
そう、飼い猫だ。暖かい住居で食って寝て遊ぶだけ。多少の媚売りは必要だが、何をしても褒められ可愛がれる夢のような生活。
いいじゃないか。どうせ猫になったんだ。こうなったらとことん猫としての特権を活かしてのんびり、楽しく、最高の一生を送ってやる。目指すは食う寝る遊ぶの飼い猫生活だ!
そのためにはまず、生き残らなければならない。子猫の生存確率はよく知らないが、人間とは比べ物にならないほど過酷だろう。
現住居は大きめの木の根っこに出来た穴倉だ。今のところ気温は暖かいが、ここがどこか分からないから今の季節の予想が出来ない。
気温的に夏や冬ではなさそうだが……これで春なら問題はないが、秋だった場合、この壁の無い場所で冬を越さなければならなくなる。風晒しの中、0℃前後の気温で生活するなんて、正直、生き残れる気がしない。
それ以前に食べ物だ。今でこそ母猫に世話をしてもらっているが、それもいつまで続くか不明確だ。確か猫の親離れは三ヶ月前後だったはずだが、母猫は野良っぽいので、事故か何かで死んでしまう可能性もある。
本当なら子猫の間に人前へ出て情に訴え、さっさと飼い主を獲得したいが、巣穴付近に人の気配はないし、自分の生存方法を確立出来ていない状態で母親の庇護下から離れた場合、飼い主が見つからなかった時のリスクが大きすぎる。
飼い主が見つかるまでに飢えや他の生物に襲われて死んでしまったら飼い猫どころの話じゃない。まずは猫としての生き方を学ばなくては。
そう決心したその日から、俺は極力母親と行動を共にすることにした。言葉が通じないのなら見て覚えるしかない。
まずは周辺環境の把握だ。巣穴にしているのは人の手が入っていない森の中。しかし人里は近いのか熊のような大型の動物はおらず、注意するべきは同型の動物と大きめの鳥だろうか。この森の中には俺たち家族の他にも何匹か猫が住み着いているようだった。
縄張りのボス的な立ち位置の猫は灰色の雄猫だ。一度見かけたが、右耳が無くなっていて体中傷だらけだった。かなりの修羅場をくぐっているらしく、眼つきは鋭く筋骨隆々。戦ったら俺なんてひとたまりもないだろう。
しかし、特別仕切っているとかはなく、森の中の猫たちはみんな自由気ままに過ごしていた。エサの取り合いとかもあまりない。比較的平和な感じがした。
猫の他には、ウサギほどの大きさのモモンガや狸みたいな犬などの動物。それと鳥類だが、カラスに似た鳥は見かけたが、雀や鳩のような見慣れた種類はおらず、鮮やかな緑や赤色といった日本ではあまり見られないような種類の小鳥たちが生息しているようだった。
あとは虫。子猫の自分と同じくらいの大きさがる蝶やダンゴムシ、それに鼠ほどのカマキリがいたのには度肝を抜かされた。下手に近づけばこちらが食い殺されそうだったので見かけた瞬間、逃げるようにしている。
これらの生態系を鑑みるに、現在地は少なくとも日本ではなさそうだった。沖縄にはかなりデカい虫やカニがいると聞いたが、なんかそれとは違う気がする。
そうして森の中を巡りながら狩りの仕方、危険な場所や生物などを覚え、他の猫への挨拶や距離の取り方を学び、兄妹とじゃれ合うことで身を守る術を身に付けていく。
そして同時に、猫の――いや、動物の言葉が分かるようになっていった。
どうやら動物たちは人間に聞こえない音域を使って様々な言葉を発し、コミュニケーションを取っていたようで、動物間なら人間と遜色ないくらいの会話が出来るようだった。
ちなみに獲物の小鳥などの声も分かるようになってしまったので、食事時に精神的に辛いことになったが、生きるためなら仕方ないと割り切った。
徐々に行動範囲を広げて行き、崖際の木々がない見晴らしのいい場所を見つける。大型鳥類に気を付けながら景色を眺めてみれば、眼下に町が見下ろせた。そしてその先には大海原が広がっている。
おぉ、と思わず感嘆の声をあげてしまうほど見事な景色で、しかし同時に町並みは日本の物とは全く違うことが分かった。家々のどれもが石造りでぱっと見はヨーロッパ的な印象を受ける。やはりここが日本でないのは確実のようだった。
そして、町の中心地には洋風の城と豪邸を足して割ったような建物が聳え立っているのに気が付く。明らかに他の建物とは毛色の違う、立派で年季の入っていそうな建物だ。
あれだけ特徴的な建物があるなら国の特定が出来そうだ。前世の記憶を探って、どこの国だろうと考えに耽る。でかい虫や色鮮やかな鳥がいたからてっきり南国系の国かと思ったが、欧州やその辺りの可能性も――。
不意に頭上を大きな影が通り過ぎた。大型の鳥が来たのかと慌てて草陰に隠れようとして、頭上を通過し町の方へ飛び去るソレの姿を見て俺は目を疑った。
真紅の鱗で包まれた巨体に、刃のような鋭い翼の生えた――いわゆるドラゴンが空を滑空していたのだ。そして、その背中には銀の鎧に身を包んだ人影が。
俺はあまりの出来事に呆然とし、ドラゴンが町へ降り立つ頃になってようやく思考が動き出した。
大きな虫に見たことのない動物たち。そしてドラゴン……もしかするとここは、地球じゃない? そういえば以前、取引先の人間と話を合わせるために読んだ本で、異世界に転生する話があったような……。
いやいや、そんな馬鹿な。それならどこかのテーマパークの中と言った方がまだ現実味がある。猫になっただけでも一杯一杯なのに、異世界に転生なんて俺のキャパを越えている。
――この件についてはとりあえず保留。深く考えないことにして、俺は現実から目を逸らすように町から顔を背け、家族の元へと戻った。
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