第53話* 接吻

 僕はそのあとを追って後ろから姉に抱きつきたい激しい衝動にかられた。僕はホールで姉を後ろから抱きしめ、乱暴にこちらを向かせる。驚いた顔の姉に口づけをする。姉は抗わず僕にきつく抱きついてきて応える。長い口づけが終わると姉は僕の顔をなでながら涙と鼻水を流し声を震わせて囁く。


「だめ…… だめだよ、あたし決心が鈍っちゃうじゃんか……」


「これくらいで鈍るようならやめちまえ」


 姉を抱きしめる僕。結婚式のあの夜これが最後だと覚悟してした抱擁と口づけ。だが僕たちはその戒めをいとも簡単に破っていた。


 だが、抱きしめてどうする。口づけてどうする。それは一時の慰め。僕たちは永遠に添い遂げることのできない産まれ。だとしたらこんなものに何の意味がある。


「ああ優斗…… 優斗…… なんで優斗は弟なんだよお…… 好きになった人が弟でなんでいけないんだよう……」


 僕は初めて姉の口から「好き」という言葉を聞いた気がする。胸に何かが突き刺さる。姉は鼻をすすりながら続けた。


「でももう優斗への依存から脱却する時なんだ。潮時なんだよ」


「そんなの判らない……」


「判れよ新郎…… 自分から結婚したんだろ。潮時の設定をするために」


「……」


 その通りだ。だが今の僕にはこの目の前にいる小柄で三歳年上の女性のことしか頭になかった。


 抱擁を解いて向き合う。視線と視線が交錯する。僕たちに真剣な表情が浮かび上がる。


 僕は再び強引にキスをした。姉は抵抗せず僕の首にしがみ付いて爪先立って僕の口づけに応える。それはやがて今までで一番穏やかなキスになった。これまでになく丁寧で相手を慈しむような行為だったのは、これが僕たち姉弟の最後の接吻だとお互い感じていたからなのだろうか。一体何分こうしていたんだろう。夢うつつうちに口づけから目覚める。


「……帰らなきゃ」


 どこかのぼせたような顔で姉がつぶやく。


「うん」


「じゃね、ゆう君」


「ああ」


 姉はエレベーターを待つ間僕に言った。


「今までありがと」


「僕の方こそ」


 姉はまた涙を流していた。エレベーターが来てそれに乗り込み、ドアが閉まる瞬間、花が咲いたような満面の笑みを見せて姉さんは言った。


「大好き」


 ドアが閉まる。茫然と姉を見送った僕は車に戻り、運転席に座るとハンドルに頭を打ち付けんばかりにして静かに泣いた。


 僕が帰宅するといつもなら遠慮会釈のない彩寧も静かだった。


「お姉さま本気なのかしら」


「ああ多分な」


「それって、あなたのことを――」


「先風呂入っていいか」


「え、ええ……」


 風呂の中で僕は考えた。姉さんは僕よりずっと強い想いを秘めていたんだ。僕はそんなことも知らずにのほほんとしてきっとたくさん姉さんを傷つけていただろう。その結果が今回の事だとすると。僕は自分の愚かしさを強く責めた。いくら口づけても埋められない僕の罪。その罰として姉はもう僕の手の届かないところに行ってしまう。そんな自分に我慢ならなかった。

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