第54話* 出立
それからたった一週間で姉は移住先を決め、僕たちのところに酒を持って報告に来た。そこは北海道の限界集落で構成された寒村だった。
「なんで北海道なんだ? もっと遠いところだってあっただろう」
僕は姉の強い想いを知ってから、姉の移住に反対できなくなっていた。ただ遠くに引っ越すのではだめなのだろう。更に奥地の容易には抜け出せない場所でないとだめなんだというのも理解できた。だが、九州の離島とかならまだしも北海道では直線距離にして些か近すぎるのではないか。
「まあね、でもやっぱり北国がいいなあって思ってさ。そこって雪はそんなにないみたいだし冬でも少しは楽かなあって。でもすっごい寒いみたいだけどね」
「そんなところで一人暮らしは大変じゃないですか?」
「だからいいんだよー。生きるのに精いっぱいで他に余計なことを何も考えられないようなところがいいのさ」
と言うと姉は缶ビールを開けながら僕をちらりと見た。つまりはそういう環境で何も考える余裕もない生活をして僕を忘れたいということか。
「とにかく薬だけは切らさないようにしろよ」
「了解了解」
さらにわずか一週間後、姉は出立することになった。向こうの役場が本格的な冬到来の前に一刻も早く来てほしいと言ってきたからだ。はやぶさ号のドアの前でほぼ手ぶらの姉と僕、彩寧、そして冬樹と春樹は姉を見送る。
「寒いからいいよ」
と姉は言うが皆名残惜しくて離れられない。これが今生の別れと言うわけでもないだろうが、姉は僕への想いを断ち切れるまで新天地に引きこもっているのは間違いないと僕は思った。それは何年か、何十年か。
「お身体お大事にしてくださいね」
「いいか、半年に一回の検査は必ず受けろよ。それと薬。薬は絶対切らすな」
「まーねーちゃんまたねー」
「バイバイ」
「大丈夫だって。心配いらないよ、子供じゃあるまいし。冬樹も春樹もバイバイな。まーねーちゃんちょっくら引っ越してくるからなー」
姉が乗り込むとすぐにドアが閉まる。笑みを浮かべた姉が小さく手を振る。これで僕と姉の縁は切れる。そう思ったら僕はやり切れなかった。思わず「おーい!」と叫ぶ。大きく手を振る。手首には中一のクリスマスに姉からもらった革のブレスレットをしていた(※)。姉もそれに気づいたのか驚いた顔になってから必死に手を振る。そこにはやはりあのブレスレットが小さく光って僕の目を刺した。一瞬だけ姉が口元を押さえ泣きそうな顔をする。それでも懸命に手を振る。アクアマリンのチャームが揺れる。僕の顔も情けないものだったに違いない。
あっという間に姉は見えなくなり、はやぶさ号も小さなメタリックグリーンの点になりやがてそれも消えた。
今度会う時の姉はもう僕なしでも充分生きられるようになっているだろう。その姉はもう僕の姉ではない全くの別の誰かになっているに違いない。
僕はそっと初雪ちらつく北の景色につぶやいた。
「さよなら、姉さん」
※茜川の柿の木――姉と弟の風景、祈りの日々、第4話 クリスマスブレスレット参照
https://kakuyomu.jp/works/16816700429251377326/episodes/16816700429334622988
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