第45話* 宿泊

 助手席に身を沈めた姉は、柿の木が見たいと言って双眼鏡まで出してきた。この時期は柿も熟してカラスたちの独壇場だろう。僕はあの陰気な雰囲気が苦手だった。


 だが行ってみるとなぜかカラスたちの姿はそこにはなく、様々な鳥たちが柿の実をついばんでいた。大喜びの姉は双眼鏡で鳥たちを観察する。


「メジロ、ツグミ、ヒヨドリ。これは定番だねえ。甘いの大好きなんだもんねえ。おっ、アカハラ。これはちょっとレアですねえ。おームクドリも来るのか。おやおや? なんでアカゲラちゃんとエナガちゃんがいるのかな? エナガちゃん、君かわいいねえ、でゅふふふ」


 とずっと独り言を言っている。僕には何のことかさっぱりわからなかった。


 姉が満足するとまた車に乗る。


「ちょっと時間中途半端だけどどこか行きたいところある?」


「んー、プラチナクレストかなあ」


 しれっと何をおっしゃいますやら。


「ホテルなんてだめ。明日にはもう引っ越しの準備で荷造りだ。それにそんな『ラグジュアリー』なホテルなんて無理だからな」


「金ならある」


 余裕の表情の姉。


「いや金だけの問題でなくて、引っ越し予定日も近いのに」


「ずらす」


「はあ? 職場復帰とかどうすんだよ。適当すぎるよ姉さんは」


「でも、一緒に泊まりたくない?」


「……っ」


 痛いところを突かれた。泊りたかった。前に泊りデートをした時の姉の浴衣姿を思い出す。前のお泊りデートではだけた浴衣の背中に口づけた時の感触がよみがえる。退院パーティーの翌日の裸身にシャツだけ羽織った姉の姿が頭にちらつく。僕はけがれた妄想を振り払うのに必死だった。もう2度とあんな過ちを犯すわけには。


「それにもうこれで本当に最後じゃん。姉ちゃんが引っ越したらすぐあーちゃんが来るんでしょ。そしたら泊りなんてできるわけないもん」


「そ、そりゃまあ……」


「だから、ね、行こ……」


「……判った」


 僕の理性はあっけなく敗北した。僕はやはり姉が悪魔に見えた。


「ねーちゃんがチェックインしてくるから優斗はそっちで座ってて」


「いやそういうわけには」


「これはねーちゃんのわがままですることだから全部ねーちゃんに任せてよ。ね、お願い」


「……うーん、じゃあそこまで言うなら任せる」


「やった、じゃ、ちょっと待っててね」


 小走りにカウンターまで行く姉は身振り手振りで何やら色々しゃべっている。一切の手続きを終えた姉は満面の笑みでこっちに駆け寄る。


「とれたよ。さ、いこっ」


 意気揚々とさりげなく僕の手を取ってエレベーターに向かうものだから僕はどぎまぎしてしまう。


「いやいや、ちょっと待った、待って待って姉さん」


「ま・な・み」


「あ、愛未」


 姉は上機嫌だ。引きずられるようにしてエレベーターに乗せられる。やけに高層階まで行くんだな。姉が客室のドアを開ける。


「じゃーん、見て驚けー」


 僕は驚いた。


「なんだよこれ!」

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