隣国での生活 -3


 翌朝早く。ティモンは、リオレティウスに呼ばれて彼の部屋へと向かっていた。

 言われずとも、ティモンは朝一で王子を訪れることを日課としている。そこをわざわざ彼のほうから呼びつけてくるのはめずらしい。何かあったのだろうか……などと巡らせつつ、早足で廊下を行く。


 部屋に着くと、支度がすっかり整った格好で椅子に掛けるリオレティウスがいた。手には七分目ほどまで液体が入った大きめのグラス。中身は彼が朝食代わりにしている、野菜や果物をふんだんに用いたジュースだ。

 これといって変わった様子はなさそうだけれども、と、ティモンは心の中で独りごつ。



「殿下、おはようございます。どうかいたしましたか?」

「ティモンか。朝からすまない」


 リオレティウスはやってきた世話役に目をやると、手にしていたグラスをテーブルの上に置いた。その動作の延長上で、胴体のガラス部分をつっと弄ぶようになぞる。


 ややあって、彼はぽつりと呟いた。


「……あれが泣いていた」

「え?」


 彼は手元のグラスに視線を落としたまま、所在なさげにそれをいじっている。


 何のことかと、すぐにはピンとこないティモンだったが――少ししてようやく、目の前の王子が最近年若い妻を迎えたことに思い至った。


「シェリエン様のことですか?」

「ああ。故郷が恋しいのだろうか」

「……そうですね」



 ティモンは驚いていた。王子が彼女のことを気にかけていたとは、と。


 ろくに妃教育も受けていない少女が隣国に嫁ぐのはさぞかし心細いだろうと、ティモンはできる限り彼女を気遣っていた。


 しかし今、話を出されて、そういえば彼女の夫はこの人であったと後から気がつくほど。それくらい、リオレティウスは自分の妻に興味がないように見えた。


 当の王子は無表情だ。何でもないことのように妃の話をしつつ、けれどグラスをなぞる手はどこか落ち着きがない。

 その様子を意外に思いながらも、ティモンは彼の話に、真摯に耳を傾けた。




 朝の支度と食事を終えたシェリエンは、部屋のソファーにもたれてぼんやりしていた。

 両目が重く、痛いのだ。侍女が用意してくれた濡れタオルでいくらかマシになったものの、まだ腫れているのは鏡を見なくてもわかった。

 昨夜あれだけ泣いたのだから仕方ないと、観念して瞳を閉じる。


 一方で、重い瞼とは対照的に、彼女の心は存外すっきりしていた。

 何にもはばからずに泣きじゃくったからだろうか、それとも――。


 彼女の思考が昨夜の出来事へと向かいかけたちょうどそのとき、部屋にノックの音が響いた。


 入ってきたのはティモンだった。

 目が合うと、彼は眉尻を下げて微笑んだ。腫れた瞼に気づいたのだろう。心配させてしまったかな、とシェリエンは思う。



 ティモンは承諾を得てから、彼女の座るソファーの斜め前に置かれた椅子に腰掛けた。

 そして、柔らかな声で尋ねかける。


「シェリエン様、ここでの生活は、おつらいですか?」

「いえ……」


 即座に、シェリエンは頭を大きく横に振った。

 元敵国での暮らしを恐れていた彼女には、こうしてティモンが心を配ってくれることも、整った部屋や食事も、何もかもが贅沢なくらいだ。



 しかし、同じく柔らかに投げられた次の質問には、シェリエンは答えることができなかった。


「では、お寂しい?」

「…………」

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