二国の婚姻 -2


 僅かな静寂ののち。

 コツ、コツと、光沢のある石質の床に足音が響いた。それはゆっくり近づいてきて、シェリエンの前で止まった。

 頭上で声がする。


「これが俺の妻か」


 促されて顔を上げると、思ったより近くに相手の顔があった。

 青い瞳が二つ、真っ直ぐにこちらを向いている。晴れた空の、突き抜けるような青。


 彼女は一瞬震えを忘れ、その青に吸い込まれるかの感覚にとらわれた。



 ――どのくらいの間、その瞳に見入っていただろうか。ハッと我に返り、急いで目を伏せる。

 高貴な身分の相手をじろじろ見つめるなどと、無礼だととがめられてもおかしくない。



 瞳の持ち主は、上半身をかがめて覗き込むようにシェリエンを見ていた。


 背の中ほどまで伸びた豊かな黒髪に、王子というより武人と言われたほうがしっくりくる、鍛えられた分厚い身体。凛と涼やかな目元、通った鼻筋。

 年齢はシェリエンより五つ上、十八歳と聞いている。


 彼が夫となる、ウレノスの第二王子リオレティウスだ。



「武を重んじる国の姫というからどんなかと思ったが……、小動物のようだな」


 無表情に言い放ったリオレティウスは、さっと身を翻して横を向くと、家臣の一人を呼びつける。


「ティモン、あとは任せた」


 呼ばれた家臣にそう言い残し、彼はシェリエンを顧みることなく広間を出ていった。

 素っ気ない――というより、まるで興味がないといった感じだ。事務的に贈られた荷が届いたことを、一応は確認しておくかというような。




「シェリエン様、私はリオレティウス殿下の幼少よりお世話をしております、ティモンと申します。遠慮なくお申し付けください。私に言いづらいことであれば侍女に」

「はい……」


 ティモンと名乗った家臣は年配の男性で、シェリエンの祖父ほどの年齢に見えた。

 ふちの細い眼鏡をかけて、灰がかった髪はひたいを出すように後ろへき上げ丁寧に整えられている。落ち着いた物腰に、柔らかな話し方。


 ティモンに部屋へと案内され、ここでの過ごし方について一通り説明を受ける。異国の姫のウレノス語がまだ完璧ではないことに配慮してか、彼はゆっくり話してくれる。

 そうした気遣いを受けて、シェリエンはこわばった身体から少しだけ力が抜けるのを感じた。


 諸々の説明が終わり、与えられた部屋でしばし一人になる。大きなソファーの端へ背もたれを使わずに腰掛けると、シェリエンはほうっと息をいた。



 この婚姻において、婚儀のようなものは行われなかった。ガイレアの姫がウレノスの王宮へ無事届けられたことをもって、両国における婚姻及び和平の成立と見做された。


 旅に最適とは言えない季節に、路面等の状態を考慮しつつ慎重に進んだ行程は全部でひと月近く。

 彼女を乗せた馬車はガイレアを出てウレノスに入り、王都へと走った。様子を見に集まった人々は沿道から祝いの言葉を述べ、それがちょっとしたパレード代わりになった。

 なおガイレアから同行してきた従者や女官たちは、ウレノス王宮に花嫁を引き渡した足でさっさと帰っていった。



 決して輿入れではなかったが――思いのほかひどい扱いは受けなかったことに、シェリエンはホッとしていた。

 元敵国の姫に一体どんな嫌悪が向けられるのだろうかと、出発前は不安でたまらなかった。けれど、着いてみれば拍子抜けしそうなくらいで。


 ウレノスの国民には、馬車への反応を見る限り、およそ悪くは思われていないようだ。国王をはじめとする王族は、もはや無関心。

 婚姻で一応の和平が結ばれた事実が重要なのであって、故国でも取るに足らない姫である十三歳の少女のことなど、どうでもいいのだろう。

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